木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

近頃気になる大井浜

 松江市大井町の大井神社です。現在の主祭神は天照大神とされ、応神天皇の事ともされる誉田別(ほんだわけ)命など、多くの神様が合祀されていますが、『雲陽誌』には「七社明神」の名で、大国主命を祀ると記されています。
大井神社拝殿

近頃、この周辺の遺跡が気になってます。『出雲国風土記』「島根郡条」の大井浜の記述には、「陶物を造っている」とあり、古代には、須恵器を生産したことが判っています。出雲地方の古墳時代後期から古代の初頭にかけては、この大井産の須恵器が、ほぼ独占状態で出雲中に流通していたことが判っており、この付近は、焼き物の村だったようです。
大井神社の背後の丘陵は、松江東工業団地として造成され、現在では、工場が建っていますが、造成前の発掘調査では、焼き物の村らしい様々な物が出土しています。
大井神社の御本殿

 例えば、古墳時代のお墓は火葬しないので、遺体を納める木棺か石棺が必要なのですが、ここでは、お棺までも焼き物で造っており、そのお棺の一部が、出雲市大社町の古代出雲歴史博物館に展示されています。そのお棺には、人物と馬の絵が描かれていて、馬の飼育に関わった人のお棺だったようです(←お松:この馬がまた・・・。←やや:興味があれば、古代出雲歴史博物館で見てください)。
 大井は、『出雲国風土記』に大井浜と記されるように、浜です。大井で生産された須恵器は、船を使って出雲一円に運ばれたことでことでしょう。大井浜が面しているのは、現在は汽水の中海ですが、『出雲国風土記』の頃は「入り海」であり、現在よりも塩分濃度が高かった事が判っています。
大井神社のホンダワラ

 大井神社の拝殿にかけられたお清めの海藻も、そんな歴史を今に伝えている様な気がします。

おまけ
大井神社の狛ワンコ

お松:なんか、鼻水たれてませんか?
やや:わ・は・は!雨の日の狛ワンコもおもしろいですねぇ。
スポンサーサイト
  1. 2017/07/07(金) 22:51:41|
  2. 神話の足跡探し
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

狛鶏のいる社

 梅雨入り直後から雨が上がり、穏やかな天気が続いていた山陰地方でしたが、やっと休みらしい休みが取れたとたんに梅雨空だよ。
いつ降り出すかわかんない天気で山にも行けず・・・。
梅雨空の朝日山

 朝日寺のある朝日山です。
 『出雲国風土記』記載の神名樋山でもあるこの山には、山頂近くの朝日寺の他、東の麓に成相寺、西の麓に金剛寺、そして何よりも、山の東に佐太神社があるのと言う、古くからの信仰の山です。神様の降る山に、山林修行のお寺が造られる典型的な山ですが、この画像の真正面の麓にも、『出雲国風土記』記載の許曽志社に比定される許曽志(こそし)神社があります。
許曽志神社

 現在の御祭神は猿田毘古(サルタヒコ)命と天宇受売(アメノウズメ)命。
 そう言えば、佐太神社の御祭神も、現在では猿田彦命とされていますが、佐太神社の場合は、『出雲国風土記』の「佐太御子社」と記され、佐太大神を祀っています。なので、明治になって、佐太大神を猿田彦(サルタヒコ)命のことと解釈したのでしょう。佐太神社に限らず、神社の御祭神は時々替わることがあるのですが、許曽志神社の場合は、江戸時代の地誌である『雲陽誌』にも猿田彦神と天鈿女(アメノウズメ)命と記されていますので、古くからそうだったようです。
 サルタヒコは、天孫降臨の際に、アマツヒコヒコホノニニギノミコト(←お松:わざわざフルネームで書きたい人です)を案内した国神、アメノウズメはご存じ天照大神の天の岩戸隠りの際に、衣服をはだけて踊った神様。この二柱の神様は、ご夫婦とされているので、一緒にお祀りされたようです。
狛鶏

 現在では、狛犬さんの他、サルタヒコに関わる猿と、天の岩戸が開いて、朝を告げた狛鶏が境内をお守りしています。

おまけ
引退石造物置き場の狛ワンコ

 引退した石造物置き場にて・・・
 でっかい猿の下に控えしは、ちっさい狛ワンコ!

お松:なんか、やる気満々な!
  1. 2017/06/30(金) 16:05:01|
  2. 神話の足跡探し
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

梅雨真っ盛りなのに

 長野では大きな地震があって、太平洋側では大雨が降っているところもあるようですが、なぜか、梅雨入り以降も穏やかな天気が続く山陰地方です。な・なんか、すんません。

 この4月に異動して以来、いろいろとアレでして(←お松:アレってなんだ~!)、どこにも行けてませんので、とりあえず更新で、すまんことです、ほんなこつ(←お松:どこの人だ~!)。
高野寺山の夕焼け

 梅雨真っ盛りだというのに夕焼けだったので・・・。真言宗高野寺のあった(今は廃寺となって・・・)山です。この山は、『出雲国風土記』「盾縫郡条」に記載の見椋山と推定される山です。見椋山は、『出雲国風土記』には、その山の位置が説明されているだけで、取り立てて由来だの縁起だのが記されている山ではありません。
 とは言っても、『出雲国風土記』に、出雲のすべての山が記載されている訳も無く、なにがしかの意味があって記載されているのだと思われますが、そうした山に、後に(・・・平安期に)山寺が建てられているのが気になります。
 なにがしかの信仰のある山が『出雲国風土記』に記載され、そうした山が、後に山林修行の場に選ばれ、山寺が造られたのではないでしょうか。なんてことを考えています。
お松:そう言われれば、なんだか、神々しい感じもしますね。
やや:感じるでしょ。でも、そう言うことを、印象操作とも言います。
お松:う・・・また、そう言う言い方を・・・。
  1. 2017/06/25(日) 21:51:52|
  2. お庭でひとりごと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

泣いてばかりいた神様の話

 梅雨入りしたというのに、ほとんど雨の降っていない山陰地方です。なので日照りと雨のお話とかしようと思ったのですが・・・。

 で、出雲市大社町の阿須伎(あずき)神社です。御祭神は阿遅須枳高彦根(アジスキタカヒコネ)命。

阿須伎神社拝殿
 アジスキヒタカヒコ(ネ)神は、大穴持命(≑オオクニヌシ神)とタキリビメ命の間の御子神で、『出雲国風土記』には、「神門郡高岸郷」で泣いてばかりいたと言う記載や、「仁多郡三沢郷」では、髭を蓄え成人してからも泣いてばかりで言葉を発せなかったと言う記述がみられる神様です。
 一方、『古事記』『日本書紀』には、垂仁天皇の御子であるホムチワケ命が、泣いてばかりで言葉を話せなかったが、出雲に行って言葉を発したと言う記事があり、共通点が指摘されています。
お松:あちこちで泣いてばかりいた神様の記事は、いったい何を伝えようとしているんでしょうねぇ?
やや:それは判りませんが、『出雲国風土記』「出雲郡」条の「阿受伎(あずき)社」は、異字を含め、同名の社が39社もあったと記されています。また、アジスキタカヒコ神の御子神のタキツヒコ命は、出雲の4神名樋山の一つ、盾縫郡の神名樋山(≑大船山)で生まれたとされるなど、この地域で多くの信仰を集めていた神様だと言う事が判ります。

阿須伎神社の御本殿
お松:ただ、泣き続けていた訳でもなさそうですね。
やや:御子神のタキツヒコ神は、尊名にタキ=滝と入っているように水を導く神様で、日照りの際にタキツヒコ命に祈ると、雨を降らせてくれるとされています。アジスキタカヒコ神が泣き続けるというのも、なんだか想像できませんかねぇ。
お松:な、涙雨ですかぁ?
  1. 2017/06/17(土) 11:35:53|
  2. 神話の足跡探し
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

肥の河上の鳥髪の峯に行ってきた

 『古事記』などによれば、高天原で暴れに暴れたスサノオは、とうとう天照大神の天岩戸引きこもり事件を起こしてしまい、その責任を取らされ、高天原から追放されてしまいます。
 『日本書紀』では、「一書に曰く」として、様々な異説を列記していますが、それによれば、スサノオは、御子神の五十猛(イソタケル)命と共に、新羅(シルラ:朝鮮半島北部にあった国?)の国に天下ったのですが、「こんな国にはいたくない!」っと、粘土で船を作り、その船で漕ぎ出して、出雲国の肥河上鳥髪峯(ひのかわかみのとりかみのみね)に降り立ちます。斐伊川の上流の鳥髪にある峯の意味ですので、一節には、出雲と伯耆の境、奥出雲町鳥髪にそびえる船通山(1124m)の事と言われています。さすがスサノオ、新羅から船で中国山地まで漕ぎ着いちゃいます。
横田から見た船通山

この後のスサノオは、高天原での暴れまくりはすっかり忘れて、ひたすら良い人になっちゃって、泣き悲しんでいる老夫婦とクシイナタヒメを助けるため、ヤマタノオロチと戦うことになるのですが・・・。

で、いつだったか、行こうとして、積雪で断念した船通山に登っちゃいました。
船通山の登山道

 整備された登山道を小川に沿ってしばし登ります。登山道の横を流れる小川は、実は『出雲国風土記』に「出雲大川」と記される斐伊川そのものです。
 そして
斐伊川の源流?鳥髪の滝

 鳥髪の滝です。もちろん滝より上にも川は続いてはいますが、この鳥髪の滝が斐伊川の源流とされています。
船通山の山頂

 そして、やっとこさ山頂。
 山頂には、ヤマタノオロチのしっぽから出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)にちなんだ碑が建っています。
お松:『古事記』や『日本書紀』にスサノオがたどり着いた場所が肥の河上の鳥髪の峯と記されているのは判りましたが、『出雲国風土記』には、どう書かれているんですか?
やや:「鳥上山。郡家の東南三十五里。伯耆の出雲の境。塩味葛(えびかずら)がある。」って書かれてます。
お松:そんだけ?(←やや:そんだけ!)・・・スサノオは?ヤマタノオロチは?
やや:スサノオは、『出雲国風土記』には、「飯石郡」条に須佐郷の地名の由来として登場する他、あまり多くは登場しませんね。須佐郷では、各地を巡行して、最後に須佐にたどり着くと言う様な話です。なんか、けっこうのんびりした感じの神様です。ちなみに、ヤマタノオロチは『出雲国風土記』には見えません。
お松:荒ぶる神スサノオ?・・・なんかイメージが違いますね。
  1. 2017/05/21(日) 18:32:49|
  2. 神話の足跡探し
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

お庭でひとりごと (58)
お松との会話 (53)
出雲のお庭 (33)
いわゆる出雲流庭園 (11)
石見のお庭 (8)
雪舟を探して (9)
雪舟が見つからなくって (8)
屋根フェチの小部屋 (26)
プチ巨石ブーム (23)
石見銀山で散歩 (22)
神話の足跡探し (61)
小泉さんの散歩道 (7)
山寺で修行中 (36)
波乗りウサギに会ってきた (10)
ネタ切れにつき在庫処分 (12)
未分類 (0)

木を見て庭を見ず

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR