木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

秋鹿郡の神名火山とアライグマかハクビシンについて

やや:今朝、まだ暗い時間、我が家の屋根裏をドタドタドタッ!ダ~ッ!って音で目が覚めて、・・・どうやらアライグマかハクビシンか?ナゾの野生生物が侵入した模様です。
 で、さっそく生物化学兵器を屋根裏に投入!
お松:な・ナニを投入したんですか?
やや:カプサイシンの動物避け、つまりトウガラシの束みたいな物です。
お松:びっくりしたなぁ。
やや:ま、それはさておき、今日の話題は秋鹿郡の神名火山のお話です。
 奈良時代に記された地誌、後に風土記と呼ばれた文書は、全国の国毎に記されたはずですが、1200年もの時を経て、現存するのはわずかに5風土記。中でも『出雲国風土記』だけは、その内容がほぼ完本として伝えられている、とされています。
佐太神社の御本殿

 と、されてはいるのですが・・・実際には、「島根郡条」ではっきりと脱落が確認されており、その脱落をそのままにした「脱落本系」の写本と、何らかの方法でその脱落を補った「補訂本系」の、大きく2系統の写本群が知られています。
 『出雲国風土記』の内容の多くを占めるのは地名説話ですが、有名な加賀郷の地名説話・・・佐太大神がお生まれになった所で、支佐加比売(キサカヒメ)命が金の弓矢で窟を射貫いて光りかがやいたので加賀と言う・・・は、脱落本系の写本には見えません。
 また、島根郡の西隣、「秋鹿郡条」には、佐太大神を祀ったと思われる佐太御子(サダノミコ)社(現在の佐太神社?)が記されており、神名火(かんなび)山の記載には「佐太大神の社は、その山の麓にある」と記されているのですが、この神名火山がどの山を指すのか・・・実は、確定していません。
宍道湖南岸から見た朝日山周辺

 秋鹿郡の神名火山は、一般的には朝日山(標高341m)だと言われていますが、佐太神社との間には、いくつか谷が入り込み、佐太神社社の場所が「その山の麓」とは言いがたい距離感です。
 また、最大の問題は、神名火山の高さです。「秋鹿郡条」には、神名火山は「高さ四十丈(約120m)」とある一方、その次に記載のある「足日山」の高さは「一百七十丈(約520m)」とあり、はるかに大きな山が隣にあるかのような書き方がされています。
 で、実際に少し離れて背後の山を見てみました。
佐太神社背後の山々

 画面中央より少し右に見えるきれいな三角形をした山は朝日山ではありません。佐太神社は、画面の右端辺りですので、この三角形の山の麓にあるにはあるのですが・・・。
 で、
 更に離れてみました。
遙か彼方の朝日山

 画面左、遙かに遠く高い山頂が朝日山です。佐太神社は、画面右端に入りきれていない辺りですので・・・。

お松:確かに朝日山の麓ではなさそうですね。と言う訳で、秋鹿郡の神名火山は、この小さな三角形のお山ですね。形も神名火山って感じですしね。
やや:どうでしょう?実は出雲の神名火山は、大和の大三輪山のような三角形の山ではありません。むしろ、ピークが複数あるようなどっしりとした山が神名火山に選ばれています。『出雲国風土記』の他の神名火山から考えても、目立たない小さな山ではないだろうとは思うのですが・・・。
お松:では、ややさんは、やっぱり朝日山が神名火山だと思っているわけですね。
やや:判りません。脱落部分が発見されない限りは解決しないと思います。どこかの神社の屋根裏とかに『出雲国風土記』の脱落部分とかが、そっと残ってませんかねぇ・・・。
お松:屋根裏と言えば、アライグマ?ハクビシン?
やや:それは我が家です・・・。
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  1. 2017/11/12(日) 18:15:56|
  2. 神話の足跡探し
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須佐の益田館

お松:カテゴリは、石見のお庭に入れられちゃいましたが、石見をぶっ飛ばして長門国。山口県萩市須佐のお庭だそうです。
書院から見た益田館のお庭

 このところ、仕事でちょくちょく益田市へ出かけると思ったら、とうとう益田市を飛び越えて、山口県まで?
やや:益田市と萩市須佐はお隣ですので、その間は、そんなに遠くはないのですが、そもそも益田市までが遠い。長~い島根県の端から端まで走った、走った!
 で、萩市須佐の益田館です。益田氏のお庭です。益田氏は、石見地方を代表する戦国武将です。
お松:石見を代表する戦国武将?し・知りませんでした。それに萩市は石見じゃなくって長門では・・・。
やや:です。益田氏、石見地方以外の人はほとんど知らないと思いますので・・・。
 え~。石見には、毛利や尼子、大内と言った抜きんでた戦国武将がいませんでした。
 で、益田氏は、平安時代に石見国司として赴任した御神本(みかもと)氏が祖とされ、12世紀末頃から益田氏を名乗ったようです。その御親戚は、それぞれ本拠地の地名を名乗るなどして三隅氏、周布(すふ)氏、福屋氏などに別れ、石見一円に住んでいました。
 ぅんで、戦国時代。最初に言ったように、石見には抜きんでた存在がいないので、そうした御親戚筋の皆さんが、時に助け合い、時に足を引っ張り合い・・・。大内氏や尼子氏とも仲良くしたり敵対したりを繰り返して、動乱の戦国を生き残っていきます。
戦国末期の混乱を毛利氏に従って生き延びた益田氏は、天下分け目の関ヶ原に参陣!ところが、わずか1日で西軍が敗北。戦後処理で防長二カ国に押し込まれた毛利氏に従い、石見を離れ、長門国須佐へ移ります。その後、益田氏は毛利家の家老として幕末まで毛利家に仕え、多くの文書・典籍などを現代に残しました。
でぇ、その益田氏が須佐に建てた益田館です(←お松:やっと本題に近づいた!)。益田氏自身は萩藩の家老ですので、通常は萩に住んでいますので、ここはメインの館ではありません。また、明治期以後、いくらか改造があり、縮小されてもいるようです。完全にオリジナルではないにしろ、書院から見るお庭はいい感じです。
ソテツと立手水
 
 南向きのお庭の左手・・・つまり東側にはソテツ。当初からあったかどうかは判りませんが、戦国武将には大人気の庭木で、信長や秀吉にまつわるソテツの話が伝わっている他、山口の大内館の庭にもソテツが植わっていたことが知られています。ニュルンとした立手水も庭の雰囲気にあっていい感じですね。

2段の靴脱ぎ石
 須佐は雪が多いという話を聞きませんが、床が高く、靴脱ぎ石が2段になっています。川が近いので洪水対策でしょうか?

おしゃれな欄間
 建物の中のしつらえも出雲地方に比べると開放的で明るい雰囲気がします。月とコウモリの欄間は、なんだかおしゃれな益田館でした。

おまけ
萩なので夏みかん

 庭先に必ずある、ある、夏みかん!(←お松:萩なので!)
  1. 2017/11/06(月) 17:17:29|
  2. 石見のお庭
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久しぶりに、もう一つの雪舟のお庭

 益田にあるもう一つの伝雪舟庭園。万福寺です。医光寺とは異なり、広々とした平庭に、大きな池と低い築山。ごつごつした岩を置いた須弥山などからなるお庭です。
万福寺のお庭

 万福寺は、平安期に創建された天台宗安福寺が前身とされています。その安福寺は、万寿三(1026)年の地震に伴う大津波で流出しました。その後、時宗の道場、万福寺として再建され、益田氏の庇護を得て発展し、現在に至っています。
万福寺本堂

 お庭だけでなく、本堂も室町時代の建築を残した建物で、豪壮な室町建築の雰囲気を現代に伝えています。
 万福寺は、幕末・・・慶応二(1866)年には第2次長州征伐の益田口の戦いの戦場となり、幕府軍の陣営に使用されたため、兵火によって総門が焼け落ちるなど、様々な歴史を伝えている点も重要です。
万福寺にも雨が降る

お松:で、やっぱり雨の中です。
やや:雲に覆われた空を背景に撮ると、空のぼんやりした反射で・・・このレンズじゃダメだなぁ。で、モノクロ加工でごまかしてます。
お松:雪舟さんの水墨画の世界を目指しているかのかと思いましたよ。ほど遠いけど。
やや:・・・雪舟の絵は・・・、けっこうカラーです。
  1. 2017/10/29(日) 10:16:20|
  2. 雪舟を探して
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久しぶりに雪舟のお庭

島根県の西の端、山口に近い益田市には室町時代に活躍した画聖雪舟が作庭したとされるお庭2件が残されています。一つは、万福寺庭園。もう一つがこの医光寺庭園です。
医光寺のお庭

 雪舟は、国宝に指定された作品が最多という方でして、日本画の基礎を築いた方です。山口の大大名である大内氏をスポンサーに、近頃なぜかベストセラーにもなっている応仁の乱のさなかに明に渡り、帰国後は、数々の名作を送り出した方ですが、なぜか、お庭を多く作庭したとされていて、西日本各地に50件ほど、伝雪舟庭園が残されています。
 さて、医光寺は、室町時代には崇観寺と言う寺の塔頭の一つでした。本堂の背後に斜面を利用したお庭があり、右手には枝垂れ桜の巨木。中央の池には亀島。左手には鶴石と枯れ滝が配されているのですが、この日は大雨、枯れ滝だけでなく、その両側にも滝が流れ落ちてます。

お松:どわぁ~!お庭ネタって何年ぶり?そう言えば、お庭ブログでしたっけ?(←やや:やかましい!)しかも雨の中?わざわざ益田まで行ったんですか?
やや:実は、仕事で益田に行く用事があって、一瞬の隙をついて・・・。
お松:一瞬の隙にお庭巡りしたんですか?しかも雨の中?
やや:仕事で行ったんだから天気は選べないの!
お松:雪舟の話も久しぶりですねぇ。ややさん的には、雪舟は作庭はしてないんじゃないか?てな立場でしたよね。
やや:伝雪舟庭園の多くは、雪舟とは無関係だと思いますが、雪舟が活躍した室町期に作られ、共通の特徴を持つお庭が数件あるのは事実です。で、そんなお庭が、どうやってできたんでしょうねぇって、考えても結論は出ないので・・・。
お松:てなことを、大雨の中で考えてたんですね。
大雨で枯れ滝があふれる医光寺のお庭

やや:・・・。ま、他に人がいなくって、一人静かに鑑賞できた点は快適でしたが、大雨で、滝はバンバン流れるし、池はオーバーフロー!ま、変わった一面を見ることができましたわ。
  1. 2017/10/15(日) 17:15:01|
  2. 雪舟を探して
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大社弥山に登ってみた

 涼しくなってきたので、山寺詣で再開です。で、行ってきたのは、前から気になっていた大社弥山!出雲大社のすぐ東側にそびえる山で、このあたりの最高峰。標高は505m。
大社弥山

お松:大社弥山って、確か山頂に神社があるんでしたよね。山寺じゃないじゃん。
やや:そうなんですが、登山道は子安寺から伸びていますし、麓の谷奥には僧侶の墓である無縫塔や薬師堂(?)の跡の石垣なんかも残されています。かつては、山林修行にも使われた山ではあるようです。
 さて、
 登り始めると、これがけっこうきつい・・・。結局一時間以上かかりやっとこさ・・・。
 山頂には、御山神社の鳥居の跡。
御山神社

 そして、園の長浜から三瓶山!国引き神話の世界が眼前に広がっています。
国引き神話の世界

 毎度おなじみ、奈良時代に記された『出雲国風土記』には、山や川、海岸地形が記されていますが、海岸地形に比べ、山の記載はそう多くはなく、特に出雲郡では、山の記載は2件しかありません。
お松:奈良時代の出雲郡って、現在の大社、日御碕周辺から・・・。
やや:簸川平野を挟んで、斐伊川沿いの山塊までを含む範囲です。
お松:その間に山が二つしか無いんですか?
やや:んなバカな。なので、風土記の執筆者は、意味のある山しか載せていないと言う事だと思います。で、二つというのは、神名火山・・・つまり現在の仏経山と出雲御埼山(いずものみさきやま)です。出雲御埼山は・・・
お松:それが大社弥山なんですね。
やや:それが・・・。周囲が九十六里一百六十五歩あるって書かれています。って~と40~50kmほど?一つの山にしては広すぎるんで・・・大社弥山から旅伏山あたりまでを含む山塊全部を言ったものだと思います。
お松:・・・な、なるほど。
やや:当時の人々の山のとらえ方を考えさせますよね。
弥山山頂より
そぉほど・・・。
  1. 2017/10/07(土) 10:38:33|
  2. 山寺で修行中
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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