木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

甘南備寺に行ってみた

 熊本地震から2年・・・。先週の大田の地震も治まったようですが、大田市街では屋根にブルーシートを貼った家もありますが・・・それでも町は平静さを取り戻しつつあります。

 さて、
 広島県三次市と島根県江津市を結ぶJR三江線が、この3月31日をもって廃線となりました。江の川沿いの谷間をのんびり走っていた短い列車。それが、廃線が決まってからは連日多くの観光客で賑わい、最終日には、満員による積み残しにバス代替輸送まで発生(なぜ、バスに乗る?いったいバスに乗る何の意味があるのだ?)する大混雑でしたが、時すでに遅し・・・。
廃線になった三江線

かく言う私は・・・年末から3月末までの異常な忙しさで、ラストランには間に合わず、テレビのニュースでお見送り・・・。

甘南備寺
その三江線が走っていた近く、江津市桜江町の甘南備寺(かんなみじ)です。
 現在の甘南備寺は、江の川に面した谷間に位置していますが、元々は、背後にそびえる甘南備寺山(519m)の中腹にあった山寺でした。明治17年頃に現在地に移転してきたようですが、そのきっかけは明治5年の浜田地震。当時の正確な記録はありませんが、最大震度7と推定されている研究もあり、先日の大田の地震よりも大きい、熊本地震並みの揺れだったのかもしれません。その地震によって、山中の伽藍では生活水が確保できなくなり、現地へ降りたのだとか・・・。
元の甘南備寺は、戦国時代には、近隣の武将が戦勝祈願のため、多くの宝物を奉納。石見銀山争奪戦でも活躍した小笠原氏も戦勝祈願寺とすると伝わるなど、石見を代表する大寺院だったようです。数多くの寺宝を伝えていますが、重要文化財に指定されている黄櫨匂威大鎧残闕(はじにおいおどしおおよろいざんけつ)はその代表。おそらく平安時代に始まる山寺だったのでしょうが、戦国時代頃には、大変な大寺院だったようです。

甘南備寺山
 と、言う訳で、いざ現地へ!
 甘南備寺背後の甘南備寺山は標高519m。その中腹、220m付近に甘南備寺の旧境内があります。
 山中には、長い年月に寸断された所はありますが、それでも一応、当時の参道が残っており、熊鈴の音も高らかにしばし登っていきます。最後は参道が消滅していますが、それでも登り切ると、
甘南備寺旧境内
 ・・・広い!東西100mほどの広~い平坦面に建物跡の礎石が点々と残り、足下には瓦や茶碗のかけらが落ちています。

甘南備寺旧境内の墓所跡
 さらに先には墓所。年号が残る墓石は幕末。古そうな宝筺印塔(ほうきょういんとう)は、戦国期まで遡るでしょうか?長~い寺の歴史を静かに伝えています。

おまけ
 今の甘南備寺の本堂横に置かれている羅漢さんたち。
甘南備寺の羅漢さんたち

お松:この皆さんも、明治に山寺から降りていらっしゃったんでしょうか?
やや:聞けるものなら聞きたいですね。
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  1. 2018/04/16(月) 18:30:37|
  2. 山寺で修行中
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新羅は見えたか?の第3回目ぐらい?・・・伯耆の四王寺山に登って見た

くそ忙しかった3月もようやく終わり、新年度の始まりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 さて、昨年の後半から気になって気になってしょうがなかった新羅は見えたか?シリーズです。
 貞観九(867)年ですから、平安時代の初め頃のことですが、当時の朝鮮半島にあった新羅が不穏だとして、四天王像を用意し、伯耆・出雲・隠岐・石見・長門の五国に祀らせた記録があります。この時の命令は、新羅を見通せる高く清浄な場所に四天王像を祀るようにとされています。
 後に四王寺と呼ばれる四天王像を安置した寺の出雲での候補が、「師王寺」の字が残る松江市山代町なのですが、そこからは新羅が見えそうな気がしないので、背後の茶臼山に祀られてたんじゃないかって、時々登っては日本海が見えるかどうか探っていたのですが・・・。で、伯耆国ではどうなってんのかな?って事で、行ってみました倉吉市。
法華寺畑遺跡から見た伯耆の四王寺山

お松:満開の見事な桜ですが・・・?
やや:桜はどうでも良くって、その背後が伯耆の四王寺山です。この場所は、法華寺畑遺跡の公園ですが、お隣が伯耆国分寺跡ですので、国分寺僧が行き来するには都合のよい山です。
お松:あのぉ?桜は?
やや:桜はどうでも良くって、この反対側、北面集落から登山を開始。そこそこ険しい道ですが、登り始めて15分ほどで目的地が見えてきました。
四王寺山の山頂近く

 山頂には四王寺のお堂が建っています。で、件の貞観九年の命令などが記された説明板があるのですが、驚いたことに、昭和五(1930)年の火災で焼失するまで、木像の四天王像があったのだそうで、その写真が飾られていました。
四王寺のお堂

お松:平安時代の四天王像があったんですが?
やや:違うと思います。
お松:へ?
やや:貞観九年の命令は、「八幅四天王像」と書かれていますので、図像です。木像ではないんです。なので、図像が痛んで修復できなくなって後に造られたものだと思います。
お松:ふぅ~ん。で?松江の茶臼山からほぼ日本海は見えなかったけど、こちらからは?
やや:茶臼山からもちょっとは見えたの。で、伯耆の四王寺山からはこんな感じ。
四王寺山から見た新羅方面

お松:こ、これは?
やや:春霞ですな。
お松:・・・。
やや:眼前に日本海。左端に大山。ものすごく空気の澄んだ日には隠岐諸島まで見えるんだそうな。
お松:・・・。
やや:また、次回。見えそうな日に登ってみます。
お松:・・・。
  1. 2018/04/02(月) 17:20:32|
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お醤油屋さんのある町屋

 春のぽかぽか陽気が続いたかと思えば、昨夜から風雨が激しい出雲地方です。三寒四温の季節ですね。
 さて、
 先日、綿貫家住宅が松江市の登録歴史的建造物となったと言う報道があり、たまたま近くを通る用事があったのでのぞいてみました。
綿貫家住宅

 綿貫家住宅は松江市街地の北側、石橋町にあります。石橋町は松江城下町の北端にあたり、江戸時代から続く町屋。現在でも、誰が名付けたイナズマ道路・・・狭い鍵折れの道や三叉路が多く残り、城下町の時代の雰囲気を伝えるステキな町並みです。
綿貫住宅の平格子

 松江市の資料によれば、綿貫家住宅は、明治後期に建てられた伝統的な町屋なのだそうで、きれいな平格子が特徴的です。が・・・屋根フェチ的には、本来は左桟瓦が葺かれていたはずですが、ま新しい石州瓦に葺き替えられていて・・・・
お松:ちょいちょい、ちょいまちぃ!普通の日本人には何のことか分からない説明に突入してまんがな?(←やや:ど、どこの人?)
やや:・・・左桟瓦というのは・・・。瓦って、隣の瓦との隙間を埋めるのに波形になっていて、隣の瓦に被さるようになっていますよね。その被さる向きが通常の瓦と反対のものを左桟瓦と言います。出雲地方の伝統的な瓦は左桟瓦でして、全国で一般的な瓦や石見地方の地場産業として有名な石州瓦とは違う訳です。で、綿貫家住宅は築100年以上なので、当然葺き替えられているのですが、ちょっと残念。
 でも、綿貫家住宅のある場所は枝垂れ桜と観音さんで有名な千手院のすぐ下。綿貫家住宅のお向かいには古いお醬油屋さんの蔵があり、ちょっとステキな雰囲気の通りになっています。
カネモリ醤油の木桶蔵

 カネモリ醤油は明治八(1875)年創業のお醤油屋さんなのだそうです。通りに面したお店側には綿貫家住宅と同じ平格子が残り、千手院や綿貫家住宅に向かう店の後ろ側には木桶蔵が続いています。木桶蔵の壁は白い漆喰壁なのですが、一部・・・けっこう多くの部分にはトタンの波板が貼られ、で、その木桶蔵のトタンの波板はなぜか真っ赤!
カネモリ醤油の木桶蔵の波板

 白い漆喰、黒い板壁、そして真っ赤な波板。なんだかいい雰囲気です。
カネモリ醤油の木桶蔵の窓に置かれた醤油徳利

 木桶蔵の窓には、カネモリマークの入った醤油徳利が置かれています。昔は瓶ではなく、醤油徳利で醤油を買っていたんですね。木桶蔵の周りでは、食欲をそそるお醤油の香りが漂っています。

お松:こう言ったステキな町屋も徐々に少なくなっています。
やや:子どもの頃は、古くさいとしか思ってませんでしたけどね・・・。
  1. 2018/03/21(水) 12:39:23|
  2. 屋根フェチの小部屋
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春は名のみの

 春は名のみの風の寒さや
 すっかり雪も消え、日中は暖かくなってきた出雲地方ですが、それでも日陰は肌寒く、ましてや日も落ちると、やっぱり冬の寒さです。

たどり着いた場所は

 またしてもくそ忙しくなって、「夕べ、寝てないんだよ~」って言いながら、どわ~って用事を片付けて、かじかむ両手をポケットに突っ込んで、ふらふらになりながらやっとたどり着いた場所は・・・。

ステンドグラス

 そこにあるのはステンドグラスにドーム天井。広間の真ん中にはストーブ。ストーブを囲む人たちは、なぜかとても無口で、ただ静かにそれを待っていて・・・。

ドーム天井

 それでも一人、また一人と人々が集まってきます。

出雲大社前駅の全景

 実は、一畑電鉄出雲大社前駅でした。

一畑電鉄出雲大社前駅

 この駅の開業は昭和5(1930)年。白い鉄筋コンクリートにドーム天井、カラフルなステンドグラスにおしゃれな照明はまるで教会を思わせる不思議建築。
 開業当時は「大社神門駅」だったそうですが、昭和45年からは「出雲大社前駅」に改名されています。教会を思わせるハイカラな建築で、大社神門を名乗っていたんですね。平成8年には有形登録文化財に登録された由緒ある建物でした。
  1. 2018/03/10(土) 17:09:34|
  2. 屋根フェチの小部屋
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ルビづいとトラヤ

お松:いきなりタイトルから意味不明だす?
やや:だはは・・・。
 ようやく雪も溶けた出雲地方ではありますが、気がつけば、2月の更新は雪景色ばかり。多少天気も回復したので、カメラを提げて町歩きです。
ルビづい

 で、タイトルの「ルビづい」・・・ではなく、出雲ビルです。白潟本町の気になるビル。昔の建物なので右から左に読みますが、しっかり「いづビル」と省略するのもおしゃれ。
 近年の調査で、大正14(1925)年4月竣工と言うことが判明した、松江市最古の鉄筋コンクリート造り。地上4階、地下1階。昔の建物なので、狭い間口のわりの奥行きはそこそこあったりします。
出雲ビル

 このビルを建てた方は出雲益良さんとおっしゃるのだそうで、つまりビルの名前は、地名ではなく個人名のようです。その出雲さん、イギリスに遊学した際に見たデパートを松江にも作ろうと思い、このビルを建てられたのだそうで、当初は「出雲ストア」。ビールやキッコーマン醤油、カルピスなどが並び、レストランやダンスホールもあったのだとか。なんだかおしゃれ、と言うよりも大正なのでハイカラ!松江のダンスホールでどんな人が踊っていたのでしょう?
 1925年ですので、この4月で築93年。もうすぐ100歳ですな。今は、おしゃれなテナントとかが入ってます。

 お次は東本町のトラヤ紳士服店です。
トラヤ紳士服店

 山陰道産業という貿易商の建物として昭和7(1932)年に建てられたと言われています。この辺りは、子どもの頃から見慣れた風景で、当時は何とも思わなかったのですが、今、あらためてみるとすごいね。
トラヤ紳士服店の全景

 木造鉄骨2階建てですが、タイル張りでレンガ造り風に見せています。筋が入ったように見えるおしゃれなタイルはスクラッチタイル。
トラヤ紳士服店のスクラッチタイルと窓

 窓枠の上下は厚い鉄板を折り曲げたもの。これは補強ではなく当初からのもののようですね。
トラヤ紳士服店のナゾのレリーフ

 建物の隅の部分はおしゃれな枠で固定された磨りガラスが縦に続き、その間にはナゾのレリーフ。このレリーフは、出雲の狛犬さんや灯籠と同じ来待石製です。

お松:近代建築ですね。このブログでは、例外的に新しい感じ?
やや:う~ん。実は、それがそうでもなくって・・・。多くの神社さんは幾度も御遷宮を経ていますので、非常に新しい建物が大半だったりします。でぇ、新しいからつまんないと言うつもりもなく、ただ、単に古い建物の「形だけ」を残したものもつまんない気がしていて、古い何かを残しつつ、それとして機能しているものには、なんだか魅力があるんだろうなぁって・・・。出雲ビルのある白潟本町なんかも、今ではあまり人通りもありませんが、かつては、賑やかだったんだろうなって思うわけです。デパートですよ、デパート!
お松:はいはい。他にも、この手の面白建築ってあるんでしょうか?
やや:新しすぎて専門外なので、見つけたらそのうちに・・・。
お松:やっぱり新しいんじゃない。
  1. 2018/02/18(日) 18:29:14|
  2. 屋根フェチの小部屋
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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