木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

天狗山の磐座

 松江市八雲町にある熊野大社は、出雲地方を代表する神社。『出雲国風土記』にも出雲大社とともに「社」ではなく「大社」明記されています。『出雲国風土記』の神社記載は、神社名がず~らっと、記されているだけなのですが、それに続く山野の記載の「熊野山」に、「熊野の大神社が鎮座している」と、記され、社伝でも熊野山(現在の天狗山)の山頂近くにある磐座(いわくら)が本来の鎮座地とされています。なので、ちょっくら天狗山に行ってきました。
天狗山

 天狗山(天宮山)は、松江市八雲町と安来市広瀬町の境を接する標高610mの山(←お松:610m?!結構高~い!)です。登り始めてしばらく行くと意宇川(ゆうがわ)の源とされる、水のしみ出す場所があります。意宇川は、意宇(おう)平野を潤す川。意宇平野は古代出雲の中心地。国引きを終えた八束水臣津野命(やつかみずおみずぬのみこと)が、「おうぇ」っつたんで、意宇と呼ばれるようになった場所でもあります。
 表示の横には塩ビパイプから水が流れ落ちていましたが・・・、それじゃあんまりなので、その下で、水がしみ出ているところです。
意宇川の最初の一滴?

 で、さらにしばらく登ると、「不思議な構築物」と表示のある施設。石垣が2段に組まれています。これについては、まったく記録が無いそうですが、お社が建てられていた時代があったのでしょう。
不思議な構築物

 で、ずいぶん登って、やっと今日の目的地。熊野大社の旧社地とされる斎場跡です。
天狗山の斎場跡
 ガレ場がから仰ぎ見る上には巨石が口を開け、磐座となっています。古代には、ここに神様が降りたのでしょう。この場所は、本宮平(げんぐがなり)と呼ばれ、現在でも、5月の第4日曜日には、熊野大社の神職の皆さんを始め多くの方々による本宮祭が行われています。
斎場跡の近景
 熊野大社は、現在では、立派な社殿のある大きな神社ですが、元々の姿は、神の降りる磐座だけだったのかもしれませんし、『出雲国風土記』に見える多くの社がそんなものだったのでしょう。そんな古代の社の姿かもしれない何かを今に伝える天狗山でした。

おまけ:天狗山登山道に続く林道の・・・
カーブミラーだった何か

お松:カーブミラー・・・だった、何かですよね。でも、これじゃぁ・・・。
やや:目に頼るんじゃない。感じるんだ。Feel・・・。
お松:・・・。
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  1. 2017/03/05(日) 21:39:19|
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ナゾの石柱を見に行ってみた・・・が、意外に小さかった

 なんだか公私ともに忙しくって、イライラが募る今日この頃・・・。これは、気分転換に、どっかに行くしかない、と言う訳で・・・前から気になっていた所へ・・・と、思ってみたものの、山の上は、雪が残っているだろうなぁ・・・。天気は・・・明日から雨?明後日は雪?この晴天は今日しかない!

 と言う訳で、行ってみました王院山(おういんざん)。
 王院山は、出雲市乙立町にある554mのお山。なんと出雲市の最高峰らしい。奈良時代の地誌『出雲国風土記』では「神門郡条」に「田俣山(たまたやま)」と見えるが、それ以上の情報はありません。地元に伝わる伝説では、1200年前(平安期か?)に帝の后に迎えられた吉祥姫が帰省し、その方に同行してきた貴人を葬った山なのだとか・・・。で、王院山で雨乞いをすると雨が降るという伝説もあり、山頂には、「王院ケ墓」と呼ばれる石柱があると言う。

・・・で、それが、これ!
王院ヶ墓?

 ・・・い、意外に小さかったぜ。
 花崗岩が柱状節理で棒状になったもののようです。いくつかは寄せて建てられたものかもしれませんが、基本的には自然石のような?・・・。とにかく、こんな不思議なものがあると、様々な伝説が語り継がれる訳ですな・・・。
山頂部の石柱群

 ま、それはともかく、この場所からのロケーションはまさに360度!
大社から日本海
 出雲大社から日本海方面。

斐川平野から松江方面
 斐川平野から宍道湖、松江方面・・・今日は、大山までは見えませんが・・・。プチ巨石ブームとしては、文字どおりプチですが、山頂からの眺めは、こりゃすごいわ!

おまけ
お松:結局、雪は大丈夫だったんですか?
やや:ダメでしたね(←お松:はぁ?)。本当は、結構近くまで車で上がれるはずだったんですが、最後の民家より上は、除雪されてなくって・・・。ずいぶん手前で車を駐めて、残雪の残る道を歩いて、歩いて、山頂近くは、ズボズボはまりながら。
お松:それでも行く?
やや:先週の大雪以来、誰も歩いてない道でしたね。人跡未踏!
 人跡は未踏でしたが、人じゃないものはいろいろ・・・。
お松:たとえば?
やや:これ。ひづめが見えますね。
イノシシの足跡?

お松:ひづめって事は、ウシ?
やや:そんなはずあるか?イノシシでしょう。ってぇと何かぁ?出雲市の山中には野良ウシがいるとでも?
お松:の、野良ウシ・・・。他は?
やや:ウサピョンとかもありましたが、気になるのは・・・
こ・この足跡は?

お松:これはなんでしょう?
やや:サルかな?それ以上の可能性は考えないようにして歩いてました。
お松:・・・。
  1. 2017/02/04(土) 15:58:20|
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黄泉比良坂

 松江市東出雲町の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)です。
黄泉比良坂

 え~、仕事が超忙しいうえに、家族が入院したりして、公私多忙に付き更新もままなりません。忙しくて更新できないと言うよりも、そんな気になれないと言うのが正直なところか・・・。そうは言っても・・・気分転換にムリヤリ更新です。
黄泉比良坂の注連縄

 『古事記』に記されるイザナミ・イザナキの物語の最後。亡くなった妻を現世に連れ戻そうと黄泉国に行ったイザナギは、見てはいけないと言われたものを見てしまい、黄泉醜女(ヨモツシコメ)とか、イザナキとかに追われてしまいます。イザナミは、やっとたどり着いたあっちとこっちの境、黄泉比良坂を巨石で塞ぐのですが、その黄泉比良坂がここだと言われています。
 この話は、何度もしていますので、今日の所はこのあたりで・・・。
お松:ホントーにやっつけですね。
やや:ま、とりあえず、とりあえず。次回はまともにやります。

おまけ
 時々ネットで話題になる踏切ですが・・・。
渡らない方が良いかもしれない踏切

お松:あ~!渡ってはいけない気がする踏切!
やや:撮影中に2台ほど、車が渡っていきましたが?
  1. 2016/12/03(土) 15:25:06|
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毛志山(もしやま)と虫野神社

 最近、頻繁に登っている澄水山(しんじさん)は、『出雲国風土記』には、「毛志山(もしやま)」と記されています。また、その麓には、虫野神社(『出雲国風土記』では虫野社)が鎮座しています。『出雲国風土記』島根郡条の神社記載に脱落があるのは何度も紹介している話ですが、おそらく、オリジナルにも虫野社は記されていたはずです。
 で、虫野社のムシは、毛志山のモシに通じますので、本来は毛志山に降りる神様が虫野社だったと想像されます。
虫野神社

 現在は、立派な社殿が建っていますが、奈良時代の神社は、その多くに社殿が無かった可能性もあり、このブログでも度々紹介している巨石などが神社であった場合もあるようです。なので、虫野神社も、奈良時代には社殿は無かった可能性があるのですが・・・。坂本から澄水山への登山道を登っていくと・・・
澄水山の巨石

お松:巨石ですな。
やや:巨石だすぅ。
 この山。そもそも岩山だったようで、坂本からの登山道沿いには、あちこちでこうした巨石を見ることができます。中でも、これは最大級。巨石の下には、一丁地蔵が置かれていますが、古代に遡れば、もっといろいろあったかも。
お松:これが神社だったんでしょうか?
やや:これそのものかどうかはわかりませんが、つまり、虫野神社には、元々は社殿が無くって、澄水山=毛志山にあった、こんな巨石に降りる神様が虫野社として祀られた。と言うことなのだろうと思います。『出雲国風土記』には、海の島に関しては、ちょっとした岩にすぎない小さな島までしつこく記載されていますが、山の記載は、そう多くはありません。逆に考えれば、『出雲国風土記』に記載される山は、信仰の対象だったのかなぁ、とも思えるんです。
お松:ふ~ん。でも、その神様の降りる山が、仏教の澄水寺になったって事は?
やや:神様が降りるような聖なる山だからこそ、山林修行の場に選ばれたのでしょう。それが、後に発展して澄水寺になったのだと。
 明治政府によって神仏分離が行われる以前は、神道と仏教はそれ程厳密に分かれていた訳でもなかったようです。これを話しだすと長くなるのでやめますが、特に中世では、元々は同じものって言う考えもあり、意外と同居していた状況もあるようです。

おまけ
虫野神社の狛わんこ
虫野神社の狛わんこ

お松:ずいぶん前から、ここにいらっしゃるんでしょ?そのあたりの事情をご存じないですか?
やや:さぁ?どうなんだろうね~っと、遠くを見る。
  1. 2016/03/21(月) 17:15:56|
  2. プチ巨石ブーム
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スサノオの琴だったけ(後編)

 琴引山は標高1014m。『出雲国風土記』には「高さ三百丈」と記されていますので、約540m。当時は、標高が測れるはずもないので、麓からの高さと言うことになりますが、スキー場あたりが標高約500mですので、けっこう正確な数字ですね。
 その山頂の少し下には琴弾山神社があります。石の裂け目が本殿に向かう参道になっており、その上に小さな本殿が置かれています。御祭神はもちろん大国主神となぜか伊邪那美神(イザナミノカミ)。神社に関する最も古い記録は安永年間(18世紀後半)頃だそうです。
琴弾山神社参道と本殿
お松:鋭い岩の圧迫感に、かわいい社殿。ステキなお社ですが、なんだかあまり興味もなさそうな解説ですね。
やや:もちろん、近世近代の建築にそんなに関心はありません(←お松:また、身もふたもない)。
 神社の背後には、かなり広い平坦面が残されていて、一部草刈りのされたところでは、礎石が残されています。
琴弾山神社裏手の平場と礎石
お松:琴弾山神社の社殿の他にも建物があったのでしょうか?
やや:琴引山の登山道や周辺に点々とある説明看板には、「かつて四十二坊があった」と、記されています。つまり、琴引山は山林修行の山寺だったんです。比較的早くに衰え、さらに明治の廃仏毀釈で壊滅したと思われ、めぼしい記録はありませんが、密教系の神仏習合のお寺があった事は確実なんです。

 現在ではわずかに礎石しか、その痕跡をとどめていませんが・・・。
お松:神社としてはお祭りも行われているようですが・・・。
やや:今回は、(お山ビギナーなので)スキー場側から登りましたが、尾根筋を上る登山道もあって、そちらの入り口には、鳥居が残されています。
琴弾山神社麓の鳥居

 昨日話したように、『出雲国風土記』の記述は、意図的に脚色された記述と思われますが、おそらくそれ以前から巨石を愛でる信仰があり、それに『出雲国風土記』が乗っかり、さらに密教が被さったのだろうと思われます。このブログでは何度か「岩屋寺」と呼ばれる真言宗のお寺を紹介していますが、真言宗の山林修行のお寺には、岩屋・・・つまり「窟」が必要なようです。
琴弾山神社

お松:標高1,000mの山中の窟の中で、修行僧達は何を思ったんでしょうねぇ。
やや:やっぱ、暑いとか、寒いとか、腹減ったとか、眠いとか、今何時かなぁとかではないのでしょうか?
お松:・・・。
やや:「腹減った」ということで、いかがでしょう?
お松:ややさんは、山でそういうことを感じていたんですね。もうしばらく山で修行してきなさい。
  1. 2015/10/25(日) 17:26:30|
  2. プチ巨石ブーム
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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