木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

泣いてばかりいた神様の話

 梅雨入りしたというのに、ほとんど雨の降っていない山陰地方です。なので日照りと雨のお話とかしようと思ったのですが・・・。

 で、出雲市大社町の阿須伎(あずき)神社です。御祭神は阿遅須枳高彦根(アジスキタカヒコネ)命。

阿須伎神社拝殿
 アジスキヒタカヒコ(ネ)神は、大穴持命(≑オオクニヌシ神)とタキリビメ命の間の御子神で、『出雲国風土記』には、「神門郡高岸郷」で泣いてばかりいたと言う記載や、「仁多郡三沢郷」では、髭を蓄え成人してからも泣いてばかりで言葉を発せなかったと言う記述がみられる神様です。
 一方、『古事記』『日本書紀』には、垂仁天皇の御子であるホムチワケ命が、泣いてばかりで言葉を話せなかったが、出雲に行って言葉を発したと言う記事があり、共通点が指摘されています。
お松:あちこちで泣いてばかりいた神様の記事は、いったい何を伝えようとしているんでしょうねぇ?
やや:それは判りませんが、『出雲国風土記』「出雲郡」条の「阿受伎(あずき)社」は、異字を含め、同名の社が39社もあったと記されています。また、アジスキタカヒコ神の御子神のタキツヒコ命は、出雲の4神名樋山の一つ、盾縫郡の神名樋山(≑大船山)で生まれたとされるなど、この地域で多くの信仰を集めていた神様だと言う事が判ります。

阿須伎神社の御本殿
お松:ただ、泣き続けていた訳でもなさそうですね。
やや:御子神のタキツヒコ神は、尊名にタキ=滝と入っているように水を導く神様で、日照りの際にタキツヒコ命に祈ると、雨を降らせてくれるとされています。アジスキタカヒコ神が泣き続けるというのも、なんだか想像できませんかねぇ。
お松:な、涙雨ですかぁ?
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  1. 2017/06/17(土) 11:35:53|
  2. 神話の足跡探し
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肥の河上の鳥髪の峯に行ってきた

 『古事記』などによれば、高天原で暴れに暴れたスサノオは、とうとう天照大神の天岩戸引きこもり事件を起こしてしまい、その責任を取らされ、高天原から追放されてしまいます。
 『日本書紀』では、「一書に曰く」として、様々な異説を列記していますが、それによれば、スサノオは、御子神の五十猛(イソタケル)命と共に、新羅(シルラ:朝鮮半島北部にあった国?)の国に天下ったのですが、「こんな国にはいたくない!」っと、粘土で船を作り、その船で漕ぎ出して、出雲国の肥河上鳥髪峯(ひのかわかみのとりかみのみね)に降り立ちます。斐伊川の上流の鳥髪にある峯の意味ですので、一節には、出雲と伯耆の境、奥出雲町鳥髪にそびえる船通山(1124m)の事と言われています。さすがスサノオ、新羅から船で中国山地まで漕ぎ着いちゃいます。
横田から見た船通山

この後のスサノオは、高天原での暴れまくりはすっかり忘れて、ひたすら良い人になっちゃって、泣き悲しんでいる老夫婦とクシイナタヒメを助けるため、ヤマタノオロチと戦うことになるのですが・・・。

で、いつだったか、行こうとして、積雪で断念した船通山に登っちゃいました。
船通山の登山道

 整備された登山道を小川に沿ってしばし登ります。登山道の横を流れる小川は、実は『出雲国風土記』に「出雲大川」と記される斐伊川そのものです。
 そして
斐伊川の源流?鳥髪の滝

 鳥髪の滝です。もちろん滝より上にも川は続いてはいますが、この鳥髪の滝が斐伊川の源流とされています。
船通山の山頂

 そして、やっとこさ山頂。
 山頂には、ヤマタノオロチのしっぽから出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)にちなんだ碑が建っています。
お松:『古事記』や『日本書紀』にスサノオがたどり着いた場所が肥の河上の鳥髪の峯と記されているのは判りましたが、『出雲国風土記』には、どう書かれているんですか?
やや:「鳥上山。郡家の東南三十五里。伯耆の出雲の境。塩味葛(えびかずら)がある。」って書かれてます。
お松:そんだけ?(←やや:そんだけ!)・・・スサノオは?ヤマタノオロチは?
やや:スサノオは、『出雲国風土記』には、「飯石郡」条に須佐郷の地名の由来として登場する他、あまり多くは登場しませんね。須佐郷では、各地を巡行して、最後に須佐にたどり着くと言う様な話です。なんか、けっこうのんびりした感じの神様です。ちなみに、ヤマタノオロチは『出雲国風土記』には見えません。
お松:荒ぶる神スサノオ?・・・なんかイメージが違いますね。
  1. 2017/05/21(日) 18:32:49|
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「あっだ~ん。美談は、みだみださなぁ」 byお松

やや:だ・は・は・・・。こりゃ、いったいどこの言葉?かと思われるでしょうな。お松さん、やるなぁ。

美談神社参道

 出雲市美談町の美談神社です。美談と書いて「みだみ」と読みます。一畑電鉄の駅名表示もしっかり「みだみ」と書かれています。・・・が!地元のおじいちゃん、おばあちゃん達の言い方を聞くと「みだぁん(む)」・・・日本語での表記困難ですが、「む」に近い「み」と「ん」の中間ぐらい(←お松:さっぱりわからん!)の言い方をされています。
お松:だったら、漢字どうりで「みだん」と読めば済みそうな気がしますが?
やや:ふ・ふ・ふ・・・出雲には『出雲国風土記』があるのだよ。
お松:なぜか不敵な笑い・・・。まぁ、どうぞ進めてください。
やや:この場所は、『出雲国風土記』「出雲郡」条には、「美談郷」と記されているのですが・・・。
お松:「みだん」でいいじゃん!
やや:出雲郡の神社の列記の中には「彌太彌社」や「彌陀彌社」と言う神社名が出てきます。「みたみしゃ」か「みだみしゃ」としか読めませんよね。
お松:なるほど、確かに「みだみ」ですねぇ。でも、なんで郷の名前と神社の名前が違うのでしょう?
美談神社の御本殿

やや:元々、日本の地名の多くは、漢字3文字で表記されることが多かったようです。そもそも日本に文字が無かったので、地名を表記するのに、中国の漢字の音をそのまま載せていたからですよね。それが、神亀三(726)年に「地名を好字に改めなさい」と言う国からの命令があり、漢字二文字に・・・つまり、「彌太(陀)彌」から「美談」に改められたんです。実は『出雲国風土記』「出雲郡」条にもそう書かれており、地名の方は「三太三」を「美談」に改めたようですね。だから「みだみ」よりは「みたみ」が正解なのでしょうね。
お松:ふ~ん。判りましたけど、なんか、びっくりですね。ここの地名が確定したのが、西暦726年だって事が判るって言うのが・・・。
やや:ですよねぇ。でも、判らないこともいろいろ。
お松:例えば?
やや:「彌太彌社」「彌陀彌社」は、同名社が13社もあると書かれています。今は美談神社一つに合祀されているようですが、あとの12社はどこにあったでしょうね?
お松:犬のおまわりさんにでも聞いてください。

おまけ
美談神社の狛ワンコ

「そんなん、知らんがな?」
  1. 2017/05/19(金) 15:31:16|
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寒かったけれど玉作湯神社に行ってみた

 この冬最強寒波到来!出雲地方でも、昨日は危険を感じるほどの荒れ模様で外出自粛でしたが。今日は、時折、薄日も差す程度まで回復したので・・・。雪の山道を車で走る気もしませんが、安全なところで、玉作湯神社に行ってきました。背後の山は、あのカラス天狗のいる玉造金比羅宮です。
玉造金比羅宮

足跡の無い新雪の上を歩く気分は最高ですが、画像はイマイチだったので、今日は、その下の玉作湯神社のご紹介です。
 玉作湯神社は『出雲国風土記』「意宇郡」条に「玉作湯社」と見える神社です。玉造と言えば玉造温泉ですが、『出雲国風土記』には、「一度温泉を浴びればたちまち姿も麗しくなって、再び浴びればどんな病気もすべて治る。昔から今に至るまで効き目のなかったことがない。だから神の湯と呼ばれている」のだそうです。
玉作湯神社本殿

 古代においても温泉は、レジャーだったようで、「毎日集まり市が立ったように賑やかで、宴を楽しむ」と、記されています。そんな光景をホンの1,200年ほど見守ってきた神社です。
お松:一度浴びればたちまち麗しくなるって、よいですねぇ。今に至るまで効き目のなかったことが無いとか、もちろん私も、何度か浴びていますが。
やや:史上初めて効き目が・・・。
お松:な・なにを言うか!?

おまけ
玉作湯神社境内稲荷宮の狛キツネさん

 境内の稲荷宮にはハンサムな狛キツネさん
  1. 2017/01/15(日) 17:22:40|
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和爾と玉日女さま

 奥出雲町の鬼舌震(おにのしたぶる)です。一般的には鬼の舌震い(おにのしたぶるい)と呼ばれる景勝地です。斐伊川の支流、大馬木川に巨石・奇岩がごろごろと転がり、急流がごうごうと音を立てて流れる光景は迫力満点。さらに近隣の鉄山師が残した山林は、秋には美しく紅葉します。
鬼舌震

 古い遊歩道があったのですが、近年になって吊り橋やバリアフリー遊歩道が整備され、紅葉の季節には、見学者も増えています。
鬼舌震の恋吊り橋

 さて、この鬼舌震なる名前は、そもそもは、奈良時代の地誌でる『出雲国風土記』の仁多郡条に見える記載が元になっています。それによると・・・

「恋山(したいやま)。郡家の正南二十三里にある。古老が伝えて言うには、和爾(わに)が阿伊村にいらっしゃる神、玉日女命(たまひめのみこと)を恋慕って、川を上ってきた。その時、玉日女命が石で川を塞いでしまわれたので会うことができないまま慕っていた。だから恋山(したいやま)と言う。」
玉日女神社の社殿

 和爾(サメ?)が玉日女さまを恋慕って来たけれど、玉日女さまが石で川を塞いでしまった。だから和爾は、恋慕って慕い山。
 それが、江戸時代になると、この辺りの山は志多布留山(したふるやま)と呼ばれたことが判っており、「玉日女さまに会えなかったワニは舌を震わせて退いた」と言う伝説に変化しており、それ以来、「和爾」が「鬼」に変わり、「舌震」が「舌震い」となったようです。
その玉日女さまを祀る社が鬼舌震の遊歩道沿いにあります。それは小さな小さなお社で、巨石を投げて川を塞いだ怪力の持ち主と思えない奥ゆかしさです。
玉日女神社

お松:和爾も恋慕う、可愛らしい女神様です!
やや:ところで、この和爾は、ハンマーヘッドシャーク・・・つまりシュモクザメと考える研究者がいるようです。
お松:わざわざ、ハンマーヘッドとか言わなくてもいいのに・・・。で、シュモクザメではないんですか?
やや:現在でも、海から遠く離れた中国山地の三次市周辺などでは鰐(わに:サメ)料理が名物となっています。冷蔵庫のなかった時代、腐りにくいサメは、海から離れた山間部でも食べられていたようです。
お松:じゃぁ、シュモクザメでもいいじゃない?
やや:食べてた切り身のシュモクザメが恋慕って?
お松:・・・。
やや:淡水の大馬木川をシュモクザメが泳げるはずがない!と言う研究者(特に生物学者)もいます。で、アシカ・・・絶滅した日本アシカではないかと・・・。アシカなら、淡水でも平気なんだとか・・・。
お松:アシカなんですか?
やや:大馬木川に転がる巨石や奇岩が、伝説のモチーフなのは、きっとそうなんでしょう。で、和爾がシュモクザメかアシカか、それともまさかのアリゲーターなのか、それは・・・。
お松:それは?
やや:ど~でもいい!だって、神話なのだもの!
お松:また、つまんない結論になってしまいました・・・。
  1. 2016/11/13(日) 18:29:45|
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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