木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

邑美冷水(おうみのしみず)と前原埼

 松江市大海崎町の十二所神社です。以前の大海崎町は道が狭い上に大型バスが通っていたので、混雑する時期には、対向車がフン詰まって動けなくなることがありましたが、現在はバイパスができ、静かな集落に戻りました。その岬の背後の谷の最奥にあるのがこの十二所神社です。
十二所神社

『出雲国風土記』には出てこない神社ですが、そもそも、『出雲国風土記』の「島根郡条」には、脱落が多く、いろいろ問題の多い事もよく知られています。「島根郡条」の記載は大橋川付近から始まり、中海沿いから美保関を回り、日本海岸を西に向かう、反時計回りに記されていきますが、それぞれの記事の比定地を見ると、現在の本庄町付近に関しては、まったく記事が見られず、すっぽりと抜け落ちています。こうしたことから、島根郡条に見え、大海崎に比定されている「前原埼」などが、もっと北東の下宇部尾町万原(まんばら≑まえはら)と言う節もあります。
十二所神社の御本殿

 仮に万原説を採っても、本庄町周辺の空白は埋まらないことから、まったく違う可能性を考えても良いのかもしれません。
 で、「島根郡条」には「邑美冷水(おうのしみず)」の記事があります。ここでは、「男も女も老いたるも少きも、時々に叢がり集いて、常にうたげするところ」とあり、泉の湧き出す景勝地に、人々が集まって遊興する様子が記されています。この場所は、現在の「目無し水」と言う湧水の場所に比定され、しっかりと「風土記記載の邑美の冷水」と説明板が立てられていますが、それも、もしかすると違うのかも知れませんね。
お松:ち、違うんでしょうか?
やや:個人的には違うと考えているんですが・・・。
 邑美=大海でしょうから、大海崎町からはずれることはないと思いますが、現在の大海崎町内を流れる小河川の源流とかでも良いのではと・・・。なんで、そんな事を思っているかと言えば、目無し水周辺が、景勝地だったとは思えないので・・・。
お松:ややさんに、景勝地がどうとかと言うセンスがあるかどうかは疑問ですが・・・。
やや:それはそうですが・・・(←お松:認めるんだ!)。
久良彌の清水

 先週紹介した久良彌神社付近は、まさにこの島根郡の空白近くに所在し、地元の人たちから「久良彌の清水」と呼ばれる湧き水があります。邑美≑久良彌は、だいぶ苦しい感じですが、ここじゃないにしろ、この界隈に邑美冷水や前原埼があったのではないでしょうか?

おまけ
なぜか、神社を向いている狛ワンコさんたち
十二所神社の狛ワンコさんたち

お松:あれ?なにか気になる匂いでもしたんでしょうか?
やや:犬じゃないんだから・・・。バイパス工事で参道が付け替わって、居場所がなくなったんでしょう。
お松:それはそれでかわいそうですね。
やや:でも、本人(本狛犬)たちは、楽しそうですけどね。
お松:犬じゃないんだから!
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  1. 2017/09/09(土) 14:47:49|
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八束水臣津野命が引っ張ってきた闇見国って・・・

お松:こにゃにゃちは~!
 窓から入ってくる風も、すっかり秋の気配。明け方は寒いくらいになってきた山陰地方です。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
やや:ってぇか?げぇ~!!気がつけば9月じゃないかぁ?なんの断りもなく勝手に9月にしやがってもぉ。何にもしないうちに夏が終わっちゃったじゃないかぁ!
お松:・・・。
 え~、もぉいいからぁ、とにかく今日の話題を始めてくださいな。
やや:夏がぁ・・・。
お松:あのぉ?
やや:はいはい、始めますってばぁ。
久良彌神社付近から見た山々

さて、
 このブログでは毎度おなじみの天平五(733)年に記された地誌、『出雲国風土記』の冒頭近く、「意宇郡条」には、有名な国引き神話が記されています。
 八束水臣津野(ヤツカミズオミヅヌ)命が出雲国を「小さく作っちゃったなぁ」って後悔して、あちこちの余っている国を引っ張ってくると言う壮大な物語の最後に、杖を突いて「おぇっ」って言ったので「意宇(おう)」って言うオチを付けるような地名説話です。
そのストーリーの中で、近年の研究で注目されているのが「闇見(クラミ)国」です。闇見国は、西から始めて3番目に引っ張ってきた国で、狭田国(さだのくに)と三穂埼(みほのさき)の間。松江市の大橋川北岸から旧鹿島町、旧島根町あたりの事だと考えられているようです。
久良彌神社参道

で、問題となっていたのは、狭田にしろ三穂にしろ、現在にも続く地名が残っているのですが、闇見については、現在の久良彌神社、『出雲国風土記』の「久良弥社」が記されているぐらいで、地名が残っていないのです。しかも、『出雲国風土記』の「島根郡条」は、神社部分が脱落していて、『延喜式』から補訂されたと言われている部分なので、闇見国という地名はホントーにナゾでした。闇見国は、風土記の時代にすでに使われなくなった古い地域名だったのかも知れませんが・・・。で、最近の研究によれば、その古い地域名、闇見国は、倉と名が付く山が見える地域の事ではないかと言う説が示されています。
久良彌神社の御本殿

 『出雲国風土記』にはたくさんの山が記されているのですが、出雲のすべての山が記されている訳ではなく、記されている山にはそれなりの意味があるのだろうと思われています。で、「島根郡条」に記されている山には、「大倉山」と「小倉山」があったりします。その事に深遠な意味があるなんて考えたこともありませんでしたが・・・。
大倉山から小倉山

 久良彌神社から北に見える山塊の右端が大倉山・・・現在の枕木山。左端が小倉山・・・現在の太平山ですね。つまり、「大倉、小倉が見える」のが倉見(くらみ)・・・闇見・・・久良彌ではないかと(←お松:なるほど!)。
 「島根郡条」については、『出雲国風土記』の中でも欠落や間違いが非常に多い部分なのですが、だからこそ、突っつきがいのある楽しい記事とも言えるようです。
  1. 2017/09/02(土) 16:58:39|
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粟の穂にはじかれてビヨヨヨヨ~ンって行っちゃった件の・・・

お松:いろいろあって消しちゃったりなんかもして、すでに何回やったか、どうなっているかも分からないスクナヒコナのお話ですね。
やや:う・・・。
お松:と言う訳で、例によって、『古事記』なんかのストーリーからお願いしますね。
やや:・・・。
『古事記』によれば・・・。
スサノオらの試練をスセリビメを始め、多くの他の神様の尽力により突破し、出雲にたどり着いたオオクニヌシ。美保の岬にいたとき、波の彼方から小さなちいさな神様がやってきます。
その神様は名乗らず、また、その神様のことを、周囲の神々も誰も知りませんでした。困っていると、ガマガエルが「かかしのクエビコなら、きっと知っているでしょう。」と言うので、かかしのクエビコを呼ぶと「カミムスヒ神の御子のスクナヒコナ神です。」と言う。そこで、カミムスヒを呼ぶと、「確かに、生まれてすぐに手の指の間から漏れ落ちた子だ。オオクニヌシと兄弟となって、この国を作り固めなさい。」とおっしゃったと記されています。
お松:生まれてすぐに生き別れた親子が、感動の再会もそこそこに、別の神様と兄弟となって、国造りに励まなければならないんですね。
やや:ものすご~く唐突に始まるスクナヒコナの物語です。
 で、たまらないのはかかしのクエビコ!かかしのクエビコは、「山田のそほど」と呼ばれるかかしの神様です。かかしなので、自ら歩くことはできないけれど、世の中のことは何でも知っているって記されています。ガマガエルもいろいろ知ってそうだけど、この二人・・・この二柱の神様、おもしろすぎる!
志都の岩屋神社の参道

お松:で、その後、どうなるんでしたっけ?
やや:オオクニヌシとスクナヒコナは、協力し合って国を作り固めようとするのですが、スクナヒコナは、国造りも終わらないのに、よじ登った粟の穂にはじかれて、常世国にビヨヨヨヨ~ンって飛んで行ってしまいましたとさ。めでたし、めでたし。
お松:いきなり終わらないでください。途中いろいろあるでしょ?
やや:それが、『古事記』では無いんです。スクナヒコナ、いきなりやって来たかと思えば、突然飛んで行ってしまって、終わりです。元々あった『古事記』のストーリーに後にムリヤリぶち込まれたお話のようですね。
奇岩・巨石

お松:・・・。
やや:ところで、『万葉集』にはスクナヒコナが読まれた句が、4首あります。いずれも「大汝少彦名(オオナムジスクナヒコナ)」と読まれ、後にオオクニヌシとなるオオナムジとセットで記されている点も示唆的です。
 その1首に
    大汝(オオナムジ)少彦名(スクナヒコナ)のいましけむ
                   志都の岩屋は 幾代経にけむ
と、言う句があります。「オオナムジとスクナヒコナの居た志都の岩屋はいったいどれほどの年月を経たのかねぇ・・・。」ってな意味かと思いますが、つまり、オオクニヌシとスクナヒコナが国を作り固める相談をしたとされる「志都の岩屋」と言う場所が、万葉集の時代にも知られていたようです。
 その志都の岩屋だったと伝えられている場所が、米子市彦名町の粟島神社、大田市静間町の静之窟などの他、この邑南町の志都の岩屋神社があります。
志都の岩屋神社本殿と鏡岩

志都の岩屋神社のある山は、花崗岩の塊のような山で、あちこちに奇岩・巨石が露出していて、巨石マニアにはたまらない感じの場所です。
わき出す清水

 中でも、ひときわ巨大な一枚岩が立つ鏡岩の前に、志都の岩屋神社の御本殿が置かれており、その脇からは清水が湧き出しています。

お松:オオクニヌシとスクナヒコナがどこで相談していたのかは判りませんが、この立派な岩は、どれほどの年月を経たのでしょうねぇ・・・。
やや:お?いつになくきれいにまとめましたな。
  1. 2017/07/30(日) 09:12:28|
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質留比(しちるい)神社と七類の港

 梅雨が明け、夏真っ盛りのはずの山陰地方ですが、なんだかスキッと晴れませぬ。なんだかくそ忙しいのも相変わらずですが・・・久しぶりの休みに、やっぱり夏の海が見たくなって、やってきたのは七類港。隠岐諸島への入り口です。

レインボージェットが入港!
 ドババババァ~っと入港してきたのは隠岐と境港、そして七類を結ぶレインボージェットです。
明治25(1892)年に隠岐諸島を旅した小泉八雲は、鳥取県の境港から隠岐丸に乗って出港しており、当時、隠岐への入り口は境港からが一般的でした。
 七類港から隠岐諸島へのフェリーが通うようになったのは昭和47(1972)年からと言われていますので、・・・なんだ最近じゃん。
お松:40年以上も昔のことですけど・・・。古代はどうだったんですか?
やや:『出雲国風土記』の時代は、官道が出雲国府(松江市大草町)からまっすぐ北に延び、千酌(松江市美保関町)から船を出していたようです。七類よりは松江市中心部に近い位置ですね。
お松:って事は、七類は、古代は良い港ではなかったって事ですか?
質留比神社の扁額

やや:いや。『出雲国風土記』「島根郡条」には「質留比(しちるい)浦」と見え、「三十の船泊つ」と記されていますから、メチャメチャ良い港です。その文章中には、「南に神の社あり」と記され、現在でも質留比神社が置かれています。
質留比神社

お松:メチャメチャ良い港なのに、使われていないんですか?
やや:港は、陸と海の接点です。船にとって都合が良くても、陸の側の都合は別物です。千酌は、出雲国府からの距離が短く、古代官道として都合が良かったと思います。でも、水深が浅いので、現代の大型船は入れません。境港は、外洋を行く船と、中海~宍道湖の内水面を行く船の接点として非常に便利な港です。現代の七類港が便利なのは、県道が通り、車が使えるからですよね。
お松:なるほど。

おまけ
質留比神社境内の手水鉢・・・
質留比神社の手水鉢

お松:こ、これがまた不思議な形の・・・。
やや:松江藩の息のかかったお庭なんかに見られる1点豪華主義の手水鉢に雰囲気が似てますよね。
お松:そ、そう言えば、これ、お庭のブログだったこともありましたよね。
やや:まだ、看板を下ろしたつもりはありませんが!
質留比神社の狛ワンコ

「ふん!もう神社巡りブログにしちゃったら?」
  1. 2017/07/23(日) 18:43:22|
  2. 神話の足跡探し
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近頃気になる大井浜

 松江市大井町の大井神社です。現在の主祭神は天照大神とされ、応神天皇の事ともされる誉田別(ほんだわけ)命など、多くの神様が合祀されていますが、『雲陽誌』には「七社明神」の名で、大国主命を祀ると記されています。
大井神社拝殿

近頃、この周辺の遺跡が気になってます。『出雲国風土記』「島根郡条」の大井浜の記述には、「陶物を造っている」とあり、古代には、須恵器を生産したことが判っています。出雲地方の古墳時代後期から古代の初頭にかけては、この大井産の須恵器が、ほぼ独占状態で出雲中に流通していたことが判っており、この付近は、焼き物の村だったようです。
大井神社の背後の丘陵は、松江東工業団地として造成され、現在では、工場が建っていますが、造成前の発掘調査では、焼き物の村らしい様々な物が出土しています。
大井神社の御本殿

 例えば、古墳時代のお墓は火葬しないので、遺体を納める木棺か石棺が必要なのですが、ここでは、お棺までも焼き物で造っており、そのお棺の一部が、出雲市大社町の古代出雲歴史博物館に展示されています。そのお棺には、人物と馬の絵が描かれていて、馬の飼育に関わった人のお棺だったようです(←お松:この馬がまた・・・。←やや:興味があれば、古代出雲歴史博物館で見てください)。
 大井は、『出雲国風土記』に大井浜と記されるように、浜です。大井で生産された須恵器は、船を使って出雲一円に運ばれたことでことでしょう。大井浜が面しているのは、現在は汽水の中海ですが、『出雲国風土記』の頃は「入り海」であり、現在よりも塩分濃度が高かった事が判っています。
大井神社のホンダワラ

 大井神社の拝殿にかけられたお清めの海藻も、そんな歴史を今に伝えている様な気がします。

おまけ
大井神社の狛ワンコ

お松:なんか、鼻水たれてませんか?
やや:わ・は・は!雨の日の狛ワンコもおもしろいですねぇ。
  1. 2017/07/07(金) 22:51:41|
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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