木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

医光寺の糸桜

 益田のもう一つの伝雪舟庭園、臨済宗医光寺のお庭です。本堂の背後の急斜面を利用した庭園で、前面の池を中心に左手に枯滝と鶴石。右手にツツジの刈り込みと、医光寺のシンボルでもある枝垂桜の古木が配置されています。
医光寺庭園の亀島
 医光寺では、雪舟は文明十一(1479)年に益田を訪れたとしており、医光寺には「前住当山五世雪舟和尚大禅師」とある位牌も残されていることから、医光寺の前身である崇観寺の住職を務めたとされています。雪舟が益田を訪れたのは、おそらく間違いないのでしょうが、住職まで務めたというのは・・・崇観寺住職は、雪舟が訪れた時には5世ではなく、10世前後と思われるので、位牌は後に作られたものである可能性も捨てきれません。
医光寺庭園の糸桜(9月)
 このお庭のシンボルと言えば、右手に広がる枝垂桜の古木です(←お松:なんで、9月に桜の話題を?)。枝垂桜と言うより糸桜と呼んだ方がそれらしいかもしれません。糸桜・・・竜安寺の石庭の糸桜なんかが有名ですが、(←お松:Cool Japan!・・・日本らしいお花ですね。)室町時代の花の御所にもあったようです。医光寺に今ある糸桜は2代目なのでしょうが、元々は花の御所からもらって帰った挿し木だった可能性が考えられるんです(←お松:え~!どういうことですか?)。もちろん、現代だって似たようなものですが、地方が都会のまねをする、つまり益田氏が京都の風景を益田に再現しようとした可能性があるんです。大内氏に関わり、花の御所に出向いた益田氏が持ち帰った糸桜を医光寺の庭に植えたのかもしれないんです。このお庭は、雪舟云々以前に室町時代の歴史性・文化性を現代に伝えているんです。

お松:で、あの~ぉ?糸桜の咲いている画像は無いんでしょうか?
やや:じゃあこれで・・・ずいぶん古い画像ですが。
糸桜(修理中)

お松:うっひゃ~!来年は、これ、見に連れて行ってくださいね。
やや:なんか最近、この手の宿題が多いな・・・。
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  1. 2014/09/14(日) 07:26:09|
  2. 雪舟が見つからなくって
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櫛代賀姫(クシロカヒメ)神社

 医光寺と七尾城跡の間を流れ、染羽天石勝神社や万福寺の横を抜けた益田川が日本海に注ぐ益田市久城町の丘陵上に、櫛代賀姫神社があります。ご祭神は櫛代賀姫命で、久城の地名に由来する神様なのでしょう。
櫛代賀姫神社拝殿
 櫛代賀姫神社は、中世を通じてこの地を治めた益田氏の庇護を受け、修繕を繰り返しながら明和二(1765)年に建てられた建築を現代に伝えていますが、それもそのはず。この櫛代賀姫神社は益田川河口を見下ろす丘陵上にあるのですが、川の左手は、中世前期栄えた港湾の跡と言われる沖手遺跡が、川を挟んだお向かいは中世後半に栄えた港湾遺跡の中須東原遺跡が。・・・つまり、海洋領主と言われる益田氏にとって、とっても重要な港湾を睨む位置に建てられているんです。
櫛代賀姫神社からのロケーション
 中世には益田本郷である益田市の旧市街を中心とする地域は、12世紀後半から力をつけてきた益田氏の本拠地として発展します。室町から戦国の混乱期を大内氏や毛利氏に従って生き延びた益田氏は、関ヶ原の後に防長に追いやられる毛利氏に従い、長門の須佐に移ります。益田氏がいなくなったため、江戸期の益田市中心部は浜田藩と津和野藩の境となって、その結果、近世の城下町が形成されませんでした。つまり、関ヶ原以前の中世の町のあれやこれやがパックされ、現代まで伝えられていると言う、全国的のもまれに見る不思議な町が残されてしまったんです。
櫛代賀姫神社本殿

お松:そう言えば益田の町って、微妙に道が曲がっていて方向感覚が狂わされるんですよね(←やや:普通に方向音痴のくせに!)。あれって、中世の町が残っているせいだったりして。
やや:実はその通りです。益田川の流路に並行する道と、それに直行する道が基本になっていて、そこに中世から続く神社仏閣や遺跡が点在しています。特に久城周辺の道は、何度行っても迷うし。
お松:方向音痴だからでしょ?(←やや:はぁ?)
 でも、中世から続く町が残っているって、それってすごいことなんじゃないですか?
やや:実はすごいんですけど、あまり知られていませんね。伝雪舟のお庭もそうですが、中世にも繋がる神社や益田氏に関わる遺跡が、巧妙に方向感覚を狂わされる道によって繋がっています。静かで気持ちよい町なんですが・・・。
お松:もっと皆さんに知っていただきたいですね。
やや:でも、道はわかりやすい方がよいですよね。
石桶
おまけ、拝殿の前には2基の石桶があります。同様の石桶は益田に2例ほどが知られているほか、石見銀山の豊栄神社に巨大なやつがあります。山口では一般的な防火用水桶ですが、島根県ではごくわずかしかありません。毛利氏との関係があるところにしか無いようです。
  1. 2014/09/13(土) 08:02:36|
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道に迷っています

 ついこの間まで、熱中症で倒れるかと思うくらいの日が続いていたのに、先程からは、冷たい雨が降り始めています。すっかり冬ですね。ヒートテックにモコモコの防寒着を重ね着して仕事に励んでおります。
 ・・・何か、忘れているような・・・確か、去年までは、真夏と真冬の間に何か別の季節があったような・・・。
 そう言えば、
 去年の今頃はと言うと、確か雪舟のお庭を求めて、山口市内を徘徊しておりましたっけ。伝雪舟作庭と言われる常栄寺庭園を眺め、雪舟関係の本をいろいろと読んで・・・。おそらく、雪舟は作庭はしていないんだろうな、と言う展望は掴めましたが、じゃあ、なぜ多くのお庭が雪舟作と言われるようになったのか・・・。雪舟の生涯を追っかけていくと、これがいろいろとおもしろい!で、当然のように雪舟の絵を・・・雪舟の絵から狩野派へ・・・ってな訳で、美術史の本とかまで読み始めて、気がつくと岩佐又兵衛あたりに来て、遭難したことにやっと気づきました・・・こ、ここはどこ?

常栄寺庭園の手水
 なぜか、毎年この時期は非常に忙しく、また天気も悪いことから、ほとんど出歩いておりません。なので、画像は、去年の常栄寺(山口市)の小さな手水です。
  1. 2013/12/07(土) 15:57:21|
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雪舟とかも見つからないし・・・

 この3連休にどこ行こうか?と、いろいろ考えていたのですが、諸事情により家を動けず・・・。来週からは、すでに休日出勤も決定・・・なんだかなぁ。
 そう言えば、去年の今頃は?と言うと、雪舟を探していたんですが、未だに見つかりません。
 雪舟とは・・・15世紀に活躍した、中国帰りの臨済宗の僧侶で、日本画の祖(?)とか“画聖”とも呼ばれる画僧。その雪舟が作庭したとされるお庭が西日本の各地にあります。で、それらは、いったいどれほど雪舟が関与した(もしくは関与していない)のか?をテーマに、いろいろ本を読んだり、お庭を見に行ったりとしていました。ま、ぶっちゃけ、雪舟は作庭していないんじゃないかと思っている訳で、非常に挑戦的なテーマで勉強していたのですが・・・。はまりすぎて、日本画の本まで読み始め、近頃は雪舟よりも岩佐又兵衛にはまり(すでにお庭じゃない)・・・。収拾不可能な状態になりつつあります。

 紅葉シーズンだし、あ~、お庭を見に行きたい。
雲谷庵の内部
 画像は、山口市に復元(?)された雪舟の画廊、雲谷庵の内部です。雪舟は、大分と山口に滞在中に構えた庵に、いずれも「天開図画楼」と名付けており、文明18(1486)年にここを訪れた雪舟の大親友、了庵桂悟が『天開図画楼記』を記しています。雪舟関係の詳しい記録の大半は、この『天開図画楼記』によります。ちなみに、有名な「涙でねずみ」の逸話は、『天開図画楼記』には出てきません。つまり・・・
  1. 2013/11/02(土) 18:33:19|
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雪舟が見つからなくって(その4)善生寺庭園(山口市)

山口市の善生寺庭園も伝雪舟庭園のひとつ。善生寺は浄土宗ですので・・・雪舟の臨済宗でないからダメだという話にはならないと言うのは前々回でも言っておりますが・・・。
善生寺庭園
 お庭は本堂裏手に展開しており、手前の芝の(枯山水の?)部分を広く取り、奥側に大きな心字池。最奥部右手に涸れ滝石組みを配しており、おおざっぱに(本当におおざっぱに)言えば、伝雪舟庭園の中心である常栄寺庭園の配置と同じです。ただ、常栄寺のような複雑な滝石組みや岩島は無く、手前の枯山水部分にもほとんど石組みが置かれず、(作庭時期を室町期まで遡らせることができたとしても)同じ作庭者と見るのは困難かもしれません。それに、本堂の位置がもう少し池に近かったのかもしれませんし・・・。
 ただ、これほどの規模のお庭がきちんと維持され、しかも無料で見学(お寺的には参拝です)できるのはラッキーです。
近年に改装された本堂はぴっかぴかになっていますが、庫裏は古い建物を大事に使っておられるようで、良い雰囲気を出しています。
善生寺の石橋
伝雪舟を名乗る多くの庭。ますます気になる今日この頃ですが・・・わからん・・・。
  1. 2012/12/22(土) 14:39:49|
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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