木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

雪舟も利休も、どうも様子がおかしいことについて

お松:ややさん、こんにちは!職場を異動して以来、このページも滞りがちですが、実際のところ、そろそろ飽きたとか?
やや:だはは・・・そんなことはありません。ただ、物理的に、ほんと~に忙しいんです。
お松:「雪舟」とか、有名どころを突然にブチ上げたかと思うと、いきなり滞っちゃって・・・。
やや:う、申し訳ないっす。やっぱ、有名どころはそれなり以上に難しいし。関連書物も多いので、調べ始めるときりが無いし。絵の方はさっぱりだし・・・。
お松:絵はねぇ~・・・だいたい「美しさ」と言う概念自体がいい加減と言うか、あやふやと言うか、ほぼ無いと言うか、そう言う人だもんねぇ(←やや:なに~?!)。ところで、雪舟は大内のスパイですと?
やや:放浪の画僧だとか言われていますが、パトロンのない芸術家が放浪して芸術活動して食っていける訳はないので・・・ま、スパイと言うことで大過ないと思います。もちろん現代のスパイとは根本的に違いますが。逆に、雪舟ほどの画僧になると、尾びれ背びれどころではすまない膨大な作り話がついて回るものなので、出羽で描かれた『山寺図』とか、益田での住職話なんかもそうとう怪しいし、縛られたまま涙でネズミの絵を描いたなんてのは、いい加減にも程がある!
お松:涙でネズミ?あれは、作り話なんですか?
やや:判りませんが、18世紀に作られた『本朝画史』に記されている逸話です。100年以上も経ってから、しかも、有名になる前の小僧さんの頃の記録を誰が(有名になることを予見して)残していたんだか・・・。松平治郷や露地の関係で調べていた千利休なんかも、一般に言われている(大河ドラマに出てくる)ような人物像とはちょっと印象が違うような気がしてきますよ。
お松:千利休と言えば、わびさび!(←やや:略してわさび!)小粒でぴりりと辛いんですよね。
やや:それは山椒・・・そうじゃなくって。例えば、わずか2畳の茶室、国宝待庵は、本当に質素でわびさびって感じですが、待庵は、利休ではなく秀吉が作らせた茶室ではないかと考えている研究者もいます。
お松:え~!秀吉ってぇと、黄金の茶室でしょうに!
やや:待庵は利休が秀吉の茶頭に抜擢された直後に作られていますので、おそらく秀吉の意向で・・・。利休は、黄金の茶室の方でも茶を点てていますし、北野大茶湯では、朱の笠1本で茶席を設けたノ観(へちかん)を秀吉が絶賛した(ホントかウソか?)事になっているし。一方の利休は、自宅に備えた茶室はほとんどが4畳半だし。大徳寺の山門に自身の像を置いて、秀吉を激怒させたり・・・。
お松:実は、利休の方が派手好き?
やや:登るところまで登り詰めた秀吉が、貧しかった頃を懐かしんだのでは?と言う研究者もいらっしゃるようです。もちろん、ホントのとこは判りません。けど、その方がなんか判る気がしませんか?利休はそもそも商人ですし・・・。
お松:雪舟はスパイ?利休は派手好き?う~ん・・・。ややさんはへそ曲がり・・・これは、世間で言われているとおりの人物像。
やや:やかましい!
お松:とにかく、「雪舟を探して」を進めて下さいね。
やや:は、はい~。

なぜか、独楽庵。しかも真冬です。


 写真は・・・今日のこの話題にふさわしい画像が見あたらないので・・・出雲文化伝承館の独楽庵。しかも真冬。
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  1. 2012/06/24(日) 17:59:44|
  2. お松との会話
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鰐淵寺等樹院南地区の発掘調査

 出雲弥生の森博物館のスポット展示で、鰐淵寺等樹院南地区の発掘調査で出土した陶磁器などが展示されているので、行ってきました。・・・もちろんお庭の展示はありませんでしたが・・・。
 鰐淵寺には、お庭を配した多くの僧坊跡が遺跡となりつつあり、この冬は何度か出かけ(て、野生の鹿の攻撃で死にそうになったりし)ましたが、私にとっては、すてきな写真がど~しても撮れないと言う点でも、天敵っぽい場所です。
 さて、
 弥生の森での展示では青磁(明代?)の梅瓶!や瀬戸のおろし皿などが展示されていましたが、私が特に気になったのは天目の碗。2点。間違いなく、茶の湯・・・と言うことは、当然お庭って言うか露地が・・・。今年も発掘調査中と言うことで、お庭が出ないかな~ぁ?
 ところで、発掘調査の所見では、「16世紀前半代に大きな火災があり、そのために僧坊としての役割を終えた」とされていますが、茶の湯に天目碗がはやるのは、16世紀も後半では・・・?千利休なんかが天目を頻繁に使っていたという印象があるのですが・・・。

等樹院跡の亀島


 写真は、発掘調査地の隣、等樹院跡の東庭にある亀島。とっても亀っぽい亀島ですね。等樹院跡はお庭で有名だった僧坊跡で、元ベンチだった何かとかが残されていて・・・じゃまです。
  1. 2012/06/23(土) 18:32:57|
  2. お庭でひとりごと
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松江藩のお庭と出雲流庭園(その9)

 藤間亨『格式と伝統 出雲の御本陣』出雲市民文庫19には、本陣宿を勤めた9軒の商家や鉄山師の邸宅が紹介されています。この本は、本陣宿がお殿様をお迎えするのに大変な調度品などを準備していた事を紹介した本ですが、お殿様を迎えるための「御成門」から前庭、御成書院の様子も記されていることから、庭フェチにもたまらない感じです。
出雲市の山田家庭園では、巨大な手水鉢が景石として置かれていることが紹介されています。この手水鉢は、大きく丸い自然石を使ったもので、木幡家の片袖の手水とは印象が違いますが、巨大な手水を景石として据えると言う点では共通点があるかもしれません。
 巨大な手水を景石として使う手法は、旧本陣記念館(木佐家)庭園でも、陰陽石の反対側に(目立ちませんが)見られますし、峰寺庭園はまさに手水鉢を主景に置いたお庭になっています。
 木幡家庭園の片袖の手水は松江藩家老大橋家との関係から明治初めの整備と言うことが判っていますが、峰寺庭園の手水は江戸後期には据えられていた可能性があります。もちろん寺院庭園は商家のお庭とは違うでしょうが、もしかするとそうした寺院庭園のデザインが商家のお庭に影響を与えたかもしれません。
 同様に気になるのが「陰陽石」です。木佐家の他に、大社の藤間家でも中庭の主景石に使用されている様子が前出の本に紹介されています。武家ほどシビアにお世継ぎで騒いではいないと思いますので、シビアな願いと言うよりは、少し変わったデザインをおもしろがったのではないでしょうか?こうした現象も明治から大正の自由な雰囲気を繁栄しているようで興味深いですね。

峰寺庭園の手水鉢

 写真は、峰寺庭園。出雲らしからぬ巨大でごつごつした飛石が続き、その先にはやはりごつごつした石材を使用した手水。
 残念ながら、峰寺庭園は石がほとんど残されておらず、花壇の跡など改変が著しいのですが、らしくない感じだったことはよくわかるお庭です。
  1. 2012/06/09(土) 19:02:50|
  2. いわゆる出雲流庭園
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 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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