木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

水のお庭の飛石と延段

 今日はあいにくの大雨ですが、本格的な夏を迎え、連日蒸し暑い日が続いています。それも広島県境に近い奥出雲の上阿井では、ずいぶんましに違いない・・・と言う訳で、可部屋集成館・櫻井家に行ってきました。
 ・・・ましと言えばましですが、でも、そこそこ暑~い・・・。
可部屋櫻井家
 蒸し暑い時期は、やっぱり水が恋しい・・・大量の砂鉄を集めるために、人力と水流で山を崩し、水の力で土砂から砂鉄を分ける。製鉄は炎をイメージしがちですが、実は、水の力も非常に重要。水を自在に操ることのできる鉄山師のお庭は、豪快な滝と大きな池がセットです。
 出雲を代表する鉄山師のビッグ3、櫻井家のお庭は、松江藩主松平治郷(不昧)が岩浪と命名した豪快な滝のあるお庭です。滝のあるお庭と言うと、どうしても滝に目が行ってしまいますが、このお庭は、飛石に延段なんかも見所です。
櫻井家の池と一丈庵
 明治になって、南画家の田能村直入がこんな所にちっちゃな茶室を建てちゃいましたが、それ以外は・・・可部屋集成館に展示されている安政2(1855)年の『櫻井家家相図』には、滝や池、御成門はもちろん、長く特徴的な延段や、そこから分かれる短い延段も描かれており、現在あるお庭のほとんどが、江戸時代から残されていることが判っています。
櫻井家の延段と小さな飛石
 このお庭、茶人大名として知られる松江藩主松平治郷(不昧)の享和3(1803)年の御成に合わせて整備されたと言われ、御成門から直線的に書院に続く飛石。中門から一直線に伸びる延段なんかに“不昧公好み”が見て取れる一方、切石の短冊石や飛石に混ぜられた石臼なんてものは無く、いわゆる出雲流庭園の要素はありません。美しいだけでなく、いろいろ考えさせてくれるお庭です。

どうやって生えたの?

おまけ:ところで、この木って、どうやって生えたの?木が先にあったの?それに、滝の画像は無いの?
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  1. 2013/07/28(日) 18:42:12|
  2. 出雲のお庭
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出雲文化伝承館出雲屋敷庭園(旧江角家)

 出雲市街地から出雲大社方面へ・・・。出雲文化伝承館には、松平治郷が江戸大崎に作った大崎園の独楽庵露地やこの出雲屋敷庭園が復元・移築されています。
江角家のお庭
 出雲文化伝承館に移築されている出雲屋敷は、斐川坂田にあった大地主江角家の主屋と庭園を移築したものです。昭和49年に刊行された『出雲流庭園』には、移築前のほぼ同様の庭の図面が掲載されているますので、全体の形状は江角家のもののようですが、その図と現状との最大の違いは、庭の中央、築山の上の茶室が無くなっている点です。茶室が無くなったのがいつのことかは判りませんが、お庭のど真ん中に茶室があれば、まったく違う印象になっているでしょう。十分に手入れされているとはいえ、移築のお庭は、機能している時とは違うようです。まぁ、生きているお庭は、時々に改造の手が入るものです・・・。
出雲屋敷のゆがんだガラス

 この日は風が強く、ガラス戸(本来は雨戸?)が閉められていましたが、このガラス・・・近年は見なくなったゆがんだガラスです。歴史的な建造物に、ゆがんだガラス・・・。こんなものも大切に残していただきたいものです。
  1. 2013/07/27(土) 06:21:45|
  2. 出雲のお庭
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黄泉坂・黄泉穴

 先日(7月10日)は、『古事記』に記された黄泉比良坂、「出雲国の伊賦夜坂」の比定地が松江市東出雲町にあると言うことを紹介しましたが、天平五(733)年の年紀を帯びる『出雲国風土記』には、まったく別の場所が「黄泉坂・黄泉穴」と記されています。その比定地が出雲市猪目町の猪目洞窟です。
猪目洞窟の入り口
 海に向かって海食洞窟が開口しており、入り口付近は漁船や漁具の置き場となっていますが、中程に小さな祠が置かれ、その奥は・・・『出雲国風土記』には「人、入ることを得ず、深き浅きを知らざるなり・・・」だそうです。
猪目洞窟
 この洞窟は昭和23年、漁具置き場の拡張工事の際に、弥生時代から古墳時代を中心とする人骨や土器、貝製品などが出土し、史跡に指定されました。埋葬遺構・・・貝輪を付けた人骨なんかも出土しており、まさにあちら側の入り口・・・。
黄泉坂・黄泉穴

お松:まさにあちら側って・・・でも、現実には、近くの浜から海水浴の子供達の歓声が聞こえてきますね!
 ところで、黄泉の国の入り口?同じイザナキ・イザナミの神話に基づく場所が、『古事記』と『出雲国風土記』で、ぜんぜん食い違うってどうよ?(←やや:どうよって言われたってねぇ。)・・・やっぱり地元、『出雲国風土記』の方が実態に近いとか?
やや:実態?どっちも違うっつ~か、どっちでもいいっつ~か、神話と現実を直結されてもねぇ・・・。ぶっちゃけて言えば、黄泉の国・・・死者の世界は北西方向にあることになっているので、大和からすれば、北西方向の出雲の入り口近く(つまり出雲東部)に。出雲の中心からすれば、北西方向の猪目洞窟あたりに、って事です。以上、終わり!
お松:あ~。また、そうやってぶちこわしに・・・。せっかく、夢にも出そうなスピリチュアルな雰囲気が・・・。
やや:聞かれたから答えただけなんだけど・・・。ところで、『出雲風土記』によると、「この洞窟に近づく夢を見ると、必ず死ぬ」ってよ。
お松:げ!やめて下さいよぉ。眠れなくなるじゃないですか!
やや:ふ・ふ・ふ、少しは涼しくなった?
  1. 2013/07/21(日) 11:07:35|
  2. お松との会話
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まるぼしの港「古龍」

お松:こんばんは。「海の日」や先日の明け方は、バケツをひっくり返した上に、金だらいまで落ちてきたような(←やや:ドリフですか?)すごい雷雨でしたが、若人達は、今日から夏休みですぜ!なんか、夏らしく「海だ~!」見たいな画像はないんですか?
やや:基本、お庭なので、「海だ~」は無いですねぇ。
お松:またまたぁ?そもそも、ネタ切れで、お庭どころじゃないくせにぃ?・・・お?このフォルダは海?・・・夏だ!って感じの海じゃないですか?
古龍の奥
やや:・・・お庭じゃないんですけど・・・。
お松:すんごいきれいな海ですね。これ、どこですか?
古龍の先端
やや:人の話を聞け!・・・って、まぁいいか。
 石見銀山の幻の港、「古龍」です。石見銀山の様子を記した『石見銀山旧記』には、戦国時代の銀鉱石の積み出し港を「古龍鞆岩の浦」って記されていて「鞆岩の浦」の方は現在の鞆ヶ浦と言うことで、世界遺産に含まれているんですが、「古龍」の方は判明していません。その圧倒的・絶対的な候補地がこの「古龍」です。
お松:そこまで断言してるのに、なんで世界遺産に含まれていないんですか?
古龍の鼻ぐり岩
やや:この古龍は、昭和40年代に人家が絶えて、現在では車が入れる道もなく・・・そのために調査がされてなく、実態がまったく判らなかったからです。「古龍千軒」と言われ、繁栄を誇ったはずですが、16世紀後半には温泉津沖泊にその地位を譲り、いつしか判らなくなった幻の港です。
お松:道すら無いのに・・・ややさんは、泳いでいったんですか?
やや:あほか~?車が入れる道が無いって。人は行けるのっ!多少・・・それ相応の倒木とかを乗り越えて行く必要はあるけど・・・。
お松:で、古龍という港があるんですね。
やや:いんや。プラベートビーチっつ~か、本当に何にもないです。ただの海。手つかずの海!
お松:それはそれですごいっつ~か。
古龍のロープ
やや:戦国時代の前半期には、ここから世界に繋がっていた訳ですし、日本と言う国が、西洋に初めて知られたのが、この石見銀山のせい・・・つまり、ここから積み出された銀鉱石によって、日本は世界史にデビューしたんです。
お松:へぇ~!で、現在のここって、本当に人がいないんですか?
やや:大物狙いの魚釣りの人が、たまに訪れるそうですよ。それ以外は滅多に・・・まさにまぼろしの港。
お松:まるぼしですか?(←やや:干物か?)じゃぁ、もしかして、裸で泳いでも大丈夫?
やや:・・・勝手にして下さい。
お松:なんか冷たくない?
やや:でも・・・どうぞ、まるぼしでもなんでも勝手にして下さい。
  1. 2013/07/19(金) 21:55:59|
  2. お松との会話
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多倍(たべ)神社

 プチ巨石ブームというか、スピリチュアルな何かのブームに乗って、近頃の出雲地方では、意外な神社に県外からの見学客(参拝者)が押し寄せています。ほんの数年前まで、地元の人しか訪れなかった神社の駐車場に、休日ともなると県外ナンバーの車がずらっと並ぶようなことも・・・それが良いのか悪いのか・・・。人混みが大嫌いな私としては、少し外したところへ行くのが好きです。
多倍神社拝殿
 画像は、出雲市佐田町にある多倍神社。ここは、さいわいまだほとんど知られていないようで、休日でも閑散としております。多倍神社は、『出雲国風土記』には「多倍社」と記されていますが、18世紀に記された『雲陽志』には「剣明神」とされているのだそうで、スサノオによる八岐大蛇退治の時の剣の神霊が祀られていると言う事です。
多倍神社背面
 拝殿の後ろに本殿、そのさらに後ろに巨大な岩があるのですが、この岩は、スサノオが退治した鬼神(八岐大蛇ではない?)の首を押さえていると伝えられています。なので、触れると鬼神の血が付くのだそうです。
多倍神社の巨石

お松:乾いてますよ。
やや:触ったら付くことになってるの。
お松:それに、鬼神退治って?八岐大蛇退治の剣の神霊を祀っているのに?八岐大蛇ではなく鬼神の首を押さえているって、なんか不思議。
 そう言えば出雲地方には、八岐大蛇に関係する伝承があるところも、たくさんありますよね。
やや:八岐大蛇神話を斐伊川の治水や製鉄集団の統治など、歴史的事実に無理に結びつける人もたくさんいますよね。実は、そう言う人たちこそが、こういう伝説を作り伝え続けていくんじゃないかと・・・。
お松:あ~、そうやってせっかくのスピリチュアルな話をぶちこわしにしちゃうんだから。
  1. 2013/07/15(月) 08:16:57|
  2. プチ巨石ブーム
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夏の手水・・・

 梅雨明けしてから暑い日々が続いております。
 さて、余計なお世話ですが・・・
 住人が無く、公で管理公開されている古民家や歴史的建造物って、なんだか魂が抜かれたような、と言うか、あっさり言うと生活感が無いと言う気がしませんか?(←お松:生活してないんですよぉ?←やや:いや、そう言うことじゃなくって)生活に関わるものが、一切置かれていない部屋。部屋から庭を見ても、視界を妨げるものが全くない。年中同じしつらえ・・・って、本当は変ですよね。
熊谷家の夏のしつらえと手水

 画像は、石見銀山熊谷家の袈裟形手水鉢です。この重要文化財熊谷家住宅では季節毎のしつらえに、大変なこだわりを持って管理されています。真冬には、冬の建具で薄暗く、火鉢や、部屋によってはこたつが置かれたりしていましたが、今頃は、夏のしつらえで迎えてくれます。開け放たれた戸、涼しげな建具。それだけでなく、ひしゃくが添えられ使える状態にされている手水が、きっと当時(いつだ?)の息づかいを醸し出しているのでしょう。
今日は、これだけ・・・。
  1. 2013/07/14(日) 07:05:55|
  2. 石見のお庭
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黄泉比良坂

 なんだか、毎日クソ暑いので、背筋も凍る黄泉の国のお話を・・・
 『古事記』に記されるイザナキ・イザナミ神話。・・・黄泉の国へ行きイザナミに会うまでは良かったが、その後イザナミやその追っ手から逃れる羽目になってしまったイザナキ!
 タケノコを投げたり、桃を投げたりしながら必死で逃げるイザナキ!その最後のクライマックスシーンで、なんとか追っ手から逃れたイザナキは、黄泉の国との境、「黄泉比良坂」を大岩で塞いでしまいます!!
黄泉比良坂
 で、画像は、松江市東出雲町揖屋の「黄泉比良坂」伝承地!?です。
 何というか・・・そう言う世界が、日常の・・・サイドブレーキを引いて、ドアを開けた先にある・・・「黄泉比良坂」に見学者用駐車スペースがあったりすると言うのが出雲の不思議なところ。
 『古事記』には「黄泉比良坂は・・・今、出雲国の伊賦夜(いふや)坂と云う」と記されています。出雲には揖夜(いや)神社があり、揖夜神社あたりには「伊布夜(いふや)」と言う地名があったらしい・・・。
裏から見た黄泉比良坂

お松:ガイドブックには、「ただならぬ雰囲気がただよう」とか、「昼なお暗い」とか、書かれているものもありますが?そう言えば、どことなく・・・って、全然明るいじゃん!
やや:ま、ご覧の通り、明っかる~い!ご近所の方?それとも揖夜神社の方?でしょうか?しっかり草刈りや掃除も行き届いてます。
お松:しかし、むかしの人は、本当にこの先が黄泉の国だと思ったんでしょうか?
やや:それは判りませんが、けど、何というか・・・。
お松:何ですか?
やや:『古事記』ですよ?西暦712年に記された神話の世界が、そこここにあるって?・・・あるかどうかは判りませんが・・・そう言われている場所が車で行けるって・・・。
お松:よくあることですよね~。
やや:そ・そ・そうなの?
  1. 2013/07/10(水) 19:59:06|
  2. プチ巨石ブーム
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いわゆる出雲流庭園の何か・・・原鹿の豪農屋敷庭園

 原鹿の江角家は、戦前までは県内有数の大地主。江戸中期に平田灘分から分家し斐川原鹿に移り住みますが、水害の影響で明治30年代初め頃に現在地・・・原鹿に移動したとされています。つまり、ここのお庭は明治30年代に原形が作られたと言うことが判ります。お庭は書院の南から西側に展開し、西側は斐川平野に特徴的な築地松(屋敷林の一種)によって世間から隔絶されます。
 いわゆる出雲流庭園とは(実はよく判らないのですが)、要するに近代の豪農庭園(と、それに影響を受けた商家の庭園)で、書院の南から西側に広い白砂の敷砂とその真ん中に巨大な短冊石や石臼を置いた、出雲地方に特徴的な庭園のことと理解しています。
 幕末の松江藩は商品作物栽培を奨励し、それによって現金収入を得た農家は、小作制による大土地所有の豪農に成長して行きます。豪農は、財力はあるのに藩によって贅沢禁止が徹底され、それが解き放たれたのが近代と言うことになるのでしょう。私の大好きな左桟瓦が宍道湖周縁部に大量に供給され、斐川平野の屋敷林は、その機能とは関係のない装飾的な刈り込みが始まり、築地松へと成長して行き、そして、このいわゆる出雲流庭園が作られていくようです。
原鹿の豪農屋敷
 豪農屋敷です。・・・何部屋あるんだ?その向こうが、いわゆる出雲流庭園。白砂の部分が広いので、照り返しで部屋も明るくなります。
いわゆる出雲流庭園
 現在では電気があるので、たいした問題ではありませんが、電気が来る以前には合理的!
立手水と沓脱石
 立手水や沓脱石も1面に2つずつ・・・しかも1方を自然石で置くと、もう1方は切石にするお約束。
 出雲地方が豊かだった頃の証拠です。・・・神話と神社だけじゃないぞ出雲。
  1. 2013/07/07(日) 18:05:27|
  2. いわゆる出雲流庭園
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プチ巨石ブーム(御陵神社)

 私の廻りでは近頃ナゼかプチ巨石ブームでして・・・荒神谷博物館などが企画する巨石巡りツアーなんかが話題になったりしています。巨石って、ただのでかい石の事ではありません。ブームになっているのは、ご神体が岩だったり、本殿が巨石だったりする神社の事で、出雲地方にはよくある話です(←お松:そ、そんなあっさりと・・・)。『出雲国風土記』に記される神話の巨石に比定される岩が実際にあったり(候補複数)、『古事記』に記される黄泉比良坂(よもつひらさか)が実際にあったり(←お松:ある訳無いじゃん!←やや:いや、そうじゃなくって、そう言われる場所があるってこと!)。そんな出雲地方には、いろいろな巨石が・・・すんごい山の上から、お気軽に行けるところまで、いろいろな所にあったりします。巨石と言えばパワースポット?・・・私には理解できませんが・・・プチ巨石ブームの訳にはそんな理由もあるのでしょう。
道路沿いにある御陵神社
画像は、鷺浦から日御碕へ向かう道の途中にある御陵神社です。道路沿いに残る山道(旧道)に面して鳥居が建ち、その向こうには巨大な岩・・・。
御陵神社の岩
 今でこそ小さな祠が置かれ、「御陵神社」であることが表示されていますが・・・。
御陵神社
 鷺浦は(今は小さな漁村ですが)戦国から江戸時代には重要な港。その鷺浦と日御碕神社を結ぶ大切な峠道にある巨石・・・。間違いなく祀られているのですが、どんないわれがあるのか・・・。
  1. 2013/07/06(土) 10:41:31|
  2. プチ巨石ブーム
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プロフィール

やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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