木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

ゆがんだ石段とまだ青い紅葉

 石見銀山大森の町並みを過ぎて銀山町の奥の方、龍源寺間歩の出口近くにあるのが、鉱山の神、金山彦命を祀る佐毘売山神社です。この佐毘売山神社は、鉱脈の真上に建っていることでも知られ、神社の横の谷筋には多くの坑道や間歩が開口しています。島根県教育委員会が行った調査の後、坑道・間歩の入り口には赤い頭の小さな標柱が建てられていますが、それを目印に探していくと、佐毘売山神社周辺の坑道・間歩の多さが判ります。
 この神社に登る長~い石段は、長い年月を経ていささかくたびれてはいますが・・・。それも、西向きの参道が遅い朝日を浴びる頃、その石段が美しく光ります。
佐毘売山神社のゆがんだ石段
 そう言えば、石段横に赤白の棒が見えているのは坑道・間歩の標柱?実は、石段の下にも坑道・間歩があるんです。
 奥に見えているのは、佐毘売山神社の拝殿。この拝殿は大森町の入り口にある城上神社と同様に、重層の巨大な建築で、こうした拝殿は全国的にも多くは無いはずです。
参道横の紅葉
 来月も後半になると、参道入り口の紅葉が色付き始め、佐毘売山神社の最も美しい季節となります。

お松:この青々とした時期もきれいですが、この参道横の紅葉は、石見銀山でも有数の美しさなんだそうで?そう言う時期に連れて行って下さいよぉ。
やや:こいつは本当にでかいし、鮮やかだし、紅葉なんかにまったく興味のない私でも足を止める美しさでしたわ。
お松:へ~ぇ、ややさんでも?あの、ややさんでも?へ~ぇ?あの、美しい物に興味のないややさんでも?
やや:しつこい!
お松:美しいものに興味はないけど、ゆがんだ石段とかは、大好きなんですよね?
やや:たまんないですよね。いずれ、修理されるんでしょうけど、なんとか、ゆがんだまま修理することはできないもんでしょうかねぇ。
お松:なはは・・・。ところで、この画像。ずいぶん古い画像じゃないですか?
やや:う~ん。ここんとこ、どこにも行けてない上に、ストック画像を探しても、なぜか毎年9・10月の画像が少ない・・・。
お松:冬眠でもしてるんですか?
やや:9月、10月だっちゅうの!・・・忙しい時期なんだよなぁ。
お松:気候も良いし、どっか行きたいですねぇ。
やや:まったくです。
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  1. 2013/09/28(土) 17:51:51|
  2. 石見銀山で散歩
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温泉津~船問屋の蔵のある通り

 小雨の中、温泉津を歩いてきたぜシリーズの続きです。(←お松:だからぁ?)
 戦国から江戸時代を通じて石見銀山の玄関口だった温泉津。今でこそ温泉街のイメージですが、天領石見銀山御領の物流の中心地。石見銀山の銀・銅は陸路で尾道へ出されていましたが、天領石見銀山の膨大な人口を支える物資の多くは、温泉津四浦から持ち込まれていたようです。なので、この小さな港町は、大変な賑わいだったはずですが・・・。
 海岸近くの駐車場に車を駐めて、町並みに入っていくと、廻船問屋内藤家の立派な蔵と門構えが目に入ってきます。延享4(1747)年の温泉津大火の後に建てられたと言われる漆喰壁の建物。真っ赤な石州瓦が増えきった町並みの中で、廻船問屋の母屋は、この地の伝統である宅野瓦の渋い色が、重厚な雰囲気を漂わせていますね。
温泉津の廻船問屋内藤家
 漆喰となまこ壁の蔵は、住居部分に対して海側に建ち、海風から住居を守っています。長年の風雪に耐えた蔵は・・・しかし、こ、これは(←お松:早くなんとかしてあげて下さい)。往年の賑やかだった頃の雰囲気は、しっかりと伝えていますね。
内藤家の蔵
 明治20年代頃まで、物流の中心を占めていた北前船などの海運は、鉄道網の整備と共に廃れ、いつしか港湾は漁村に、温泉津の町もひなびた温泉街となってしまいましたが・・・。温泉津の町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、世界遺産の主要な構成要素に含まれています。
蔵のある通り
 ちょっとした露地を覗くと、そこはまるでタイムスリップしたかのよう。それもそのはずで、元禄五(1692)年の絵図の写しを、現在の地図に縮尺を合わせて重ね合わせると、町割りがほぼ一致することが判っています。つまり、何度かの大火で建物自体は更新されていますが、通りに面した町割りそのものは300年前の江戸前期からほとんど変化していないのだそうです。

おまけ:廻船問屋内藤家の向かいにある「ビューティーサロン丹頂ヘアー」です。
丹頂
 軒下のぼんぼりにチョンマゲからナウな髪型まで・・・
やや:確かに、チョンマゲは似合う町並みかもしれませんが、ナウって?
お松:ナウなチョンマゲにしてもらったらどうですか?
やや:・・・。
  1. 2013/09/22(日) 18:13:55|
  2. お庭でひとりごと
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沖泊の赤い井戸

 わざわざ雨の中、石見銀山温泉津沖泊を歩いてきたシリーズの続きです。(←お松:そんなシリーズだったんですか?)
 石見銀山を毛利氏が支配していた戦国末期。温泉津沖泊の港は銀の積み出し港として栄えたと伝えられます。その沖泊にある恵比寿神社は石見銀山が発見された大永6(1526)年の創建と伝えられ、拝殿の後ろの小さな御本殿は少なくとも江戸初期頃まで遡る、石見銀山でも最も古い建造物の一つです。この本殿、以前は、大永6年の建築かも?とまで言われ、屋根こそ石州瓦が置かれてしまっていますが、戦国の雰囲気を今に伝えるすてきな建築です。・・・拝殿と共につっかえ棒だらけですが・・・。
 掛造りの拝殿は真横に参道が延びる、変な形になっていますが、これはあくまで正面を海に向けるため。お参りするのは横からでも、正面はあくまで海なのですね。
恵比寿神社と浜の井戸
 下のコンクリート製の施設が「浜の井戸」。沖泊は、けっして水の便が良い場所ではありませんが、貿易港でしたので井戸は絶対に必要。この井戸から船へ給水したことでしょう。一方、集落のための井戸はと言うと、沖泊集落の最奥に、今も住民の生活を支えるという「上の井戸」があります。
上の井戸・・・赤い
 あふれた水が真っ赤になって流れ落ちています。鉄分が多いようで、くみ上げた水を砂で濾して鉄分を取り除いています。
 今でこそ小さな集落ですが、400年前は大変な賑わいだったことでしょう。それを今に伝えるのが、つっかえ棒だらけの恵比寿神社とこの井戸?・・・静かなだけに、余計にいろいろ考えさせられます。
  1. 2013/09/20(金) 19:48:49|
  2. お庭でひとりごと
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石見銀山街道温泉津(ゆのつ)沖泊往還道

 戦国末期には銀の積み出し港として、江戸後期~明治の北前船の時代には風待ち港として機能した沖泊。
沖泊
 隣接する温泉のある港、温泉津との間は、現在は海岸線を通る道で繋がっていますが、元々は山を越える狭い道。この内、西念寺裏を通る道が史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっています。温泉津の町並みの端にある西念寺裏から沖泊へ・・・続いていたはずですが、現在は市道で分断され、通り抜けることができません。そのため案内板も無く・・・。
お松:うわ!滑る滑る~ぅ!
やや:そうなんですよ。普段、通る人がいないため、路面に苔が生えちゃって、濡れると滑って・・・こりゃ、危ないわ。
温泉津沖泊往還道
 それでもその道は、岩の所では岩を切り、土の所では石段を積んで、この先には岩窟にたくさんの石造物も・・・江戸時代から続く峠道の風景が続きます。
 西念寺の土塀が続くこのあたりは、一枚岩を切り、側溝付きの道を切り出していますが、その壁をよくよく見ると、なにやらくぼみが彫り込まれています。
西念寺裏の駒繋ぎ岩
お松:ロープを掛けるように、彫り込まれていますね。確かこんなのは、港・・・鞆ヶ浦(大田市仁摩町:初期の銀鉱石の積み出し港)でも見たような。
やや:正解。でもこれは船を繋ぎ止めるのではなく、牛馬を繋ぐ駒繋ぎ岩ですね。
お松:で、でも?
やや:でも、なに?
お松:もし、こんな狭い道に牛や馬が繋がれていたら・・・私は通れませんぜ。
やや:・・・だよなぁ。
  1. 2013/09/16(月) 18:13:51|
  2. ネタ切れにつき在庫処分
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隠岐世界ジオパーク認定記念!卯敷の船小屋

 時代の流れとでも言いましょうか・・・とにかく茅葺き屋根が急速に減っていて、屋根フェチとしては残念な限りです。茅葺き屋根に限らず、伝統的な屋根が(建物が)無くなっていくのは寂しい限りですが・・・。日本海に浮かぶ隠岐島でも、出雲・石見では見ることのできないすてきな屋根が減りつつあります。本日は絶滅危惧種「杉皮葺き石置屋根」のご紹介です。
 杉皮葺き石置き屋根は、昨年秋に紹介した「重要文化財佐々木家住宅」がそうですが、あの屋根は、文化財として整備修復されたものです。生活の中での生きた杉皮葺き石置き屋根と言うと、かなり少なくなっています。
卯敷の船小屋の全景
お松:お~!今回は、なんとぉ?
やや:そうです、これが隠岐の・・・
お松:全ての画像が横位置!?
やや:・・・どうでもいいだろ?
お松:それに、この小汚い、崩壊寸前の小屋はなんですか?
卯敷の船小屋
やや:ぜんぜん、人の話を聞いてないなぁ。これは、隠岐の船小屋。船を陸に引き上げて保管しておく小屋です。干満の差が少ない日本海側では良く見られる施設ですが、この屋根に杉皮葺き石置き屋根が使われていて、それがたまんない!って話です。
お松:そう言えば、隠岐は世界ジオパークに認定されたとか?ジオパークって、地球?大地?の公園・・・?
やや:そうですね。地球の活動と人々の暮らしの関係が判るような特徴ある場所を、判りやすく紹介するプログラム・・・かな?
お松:世界規模での認定と言うことで、いろんな期待はありそうですが、ぶちゃけ、よく判らないって言うか・・・これで、どかんと観光客が増えると言う気はしないんですが・・・。
やや:う~ん。世界遺産もそうですが、今ある物の価値にお墨付きが与えられただけですので、今ある物が大幅に変わる訳ではありません。だから、何かに認定されたから見に行く!と言う人は、認定されたと言う文字を見に行っている訳で・・・。認定されたからすごい訳ではなく、隠岐そのものの魅力を理解して欲しいですね。なので、世界ジオパークに認定されたことをステップに、隠岐そのものの価値を判りやすく発信していって欲しいってことですね。
杉皮葺き石置屋根
お松:ま、屋根とは関係ないですけどね!
やや:何を言っているんですか?隠岐が杉の産地であり、離島という地理条件が船材である林業を発達させ、その副産物である杉皮が屋根材に利用されたという歴史はまさにジオパーク!屋根バンザイ!世界ジオパーク認定おめでとう!屋根から大地を見るぞ~!
お松:意味がわからん・・・判りやすく発信して下さい。
  1. 2013/09/14(土) 07:52:11|
  2. 屋根フェチの小部屋
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雨の青石畳通り

 島根半島の東の先端、美保関は中世以来の海運で栄えた港町。北前船に代表される外洋の海運と、中海を経て松江から宍道湖へと繋がる内水面交通との結節点。
 そして恵比寿様の総本社と言われる美保神社の門前町です。
美保神社の拝殿
 格子戸のある古い旅館、醤油屋さんの看板、海へ繋がる細い露地、そして青く光る石畳・・・。
青石畳通り
 江戸時代から続く、幅わずか10尺(約3m)の石畳道路は青石畳通りと呼ばれています。北前船のバラスト代わりに載せられていた笏谷石などを敷き詰めて舗装されていて、見たよりも滑りにくく、コツコツといい音が響きます。
雨の青石畳通り
 雨に濡れた青石畳通りの色は、青と言うよりも碧と言うところでしょうか?雨のせいもあり、少ない人通りもいい感じです。
  1. 2013/09/07(土) 21:10:30|
  2. お庭でひとりごと
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やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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