木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

訳あって・・・

 しばらく更新が滞っております。
お松:ただでさえ、不定期更新なのにね。
やや:う・・・。
康國寺のお庭
 画像は・・・ずいぶん古い画像ですが、この時期に撮影した数少ない画像の中から、出雲市国富町の康國寺庭園です。出雲を代表する寺院庭園の一つで、背後のため池と旅伏山を借景に取り込んだ雄大なお庭です。
臨済宗康國寺のお庭は、天保年間頃に整備されたお庭と言われ、松江藩のお抱え庭師「沢玄丹」の作庭だと主張する説明が多くあります。
康國寺の書院
お松:なんか、持って回ったような言い回しは?
やや:もちろん、いろいろ検証していくと・・・
お松:あ~もう、余計なことは言わなくても良い!
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  1. 2014/04/26(土) 08:54:48|
  2. 出雲のお庭
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佐毘売山神社のナゾ

 今日は、石見銀山佐毘売山神社について、ひとりごとです。このブログでは度々紹介している“鉱脈の真上に建つ鉱山の神様”なのですが、その由来は、何だかナゾに包まれています。
木漏れ日の佐毘売山神社
 佐毘売山神社は、大内氏によって永享6(1434)年に美濃郡益田郷(現在の益田市)から勧請された事になっていますが、そもそも佐毘売山とは出雲と石見の堺にある三瓶山のことで、その名は天平5(733)年とされる『出雲国風土記』にも記されています。益田郷の佐毘売山神社はそのルーツを“美濃国(岐阜県?)”とされており、つまり佐毘売山の名は、大田市内にあるにも関わらず、岐阜から益田経由で大田に帰ってきている(?)ように見えるのです。
佐毘売山神社の参道
 また、現在よく知られている石見銀山の開発は大永6(1526)年に博多商人神屋寿禎の“発見”によって始まったことになっているのですが、鉱山の神様である佐毘売山神社は、その100年近く前に勧請されたことになっているのです。益田から勧請されたというのは、山口の大大名である大内氏との関係と言う点で、納得できなくもないですが、鉱山発見以前に鉱山の神様を勧請するって・・・?
佐毘売山神社の拝殿
 実は、『石見銀山旧記』には、神屋寿亭の(公式?)発見以前である14世紀に大内氏が石見銀山で銀を採っていたと言う記述があります。事実誤認の部分もあるため伝説的な話として、ほとんど信じられていませんが、もしかしたら本当の石見銀山の始まりを語っているのかも知れませんね。
賽銭箱は引き戸の奥に

お松:そもそも佐毘売山神社は、本当に鉱山の神様なんですか?
やや:鉱山の神様である金山彦を祀っています。益田郷の佐毘売山神社も平安時代から開発の手が入っている都茂銅山(益田市美都町)と結びつけて語られることが多いようです。
お松:じゃぁ、益田郷は鉱山の神様として・・・。
やや:実際は、むちゃくくちゃ離れていますけどね。
お松:・・・。では、三瓶山は鉱山と関係があるのでしょうか?
やや:そもそも火山です。地球の奥底にある銀や銅を地表まで引っ張り上げてきているのは火山活動ですからね。県内でも最も新しい火山の一つである三瓶山や石見銀山仙ノ山周辺の火山群は、それが鉱山の神様そのものと言うことは可能かも知れません。
お松:ってことは、噴火を見たご先祖様とかの言い伝えが佐毘売山と結びついて・・・なんて事は?
やや:その仮説は、とってもおもしろいんですが、覚えているかなぁ・・・。
お松:何が?
やや:石見で最も新しい火山とは言っても、最後の噴火は・・・。
お松:最後の噴火は?
やや:縄文時代ですけど・・・。
お松:・・・。
やや:だから、ナゾなんだってばぁ。
今日の亀さん

お松:その訳を知ってか知らずか、今日もただ水を吐く亀さんでした。
やや:ちなみに、おしりからホースが伸びていて、ポリタンクに繋がってま~す。
お松:また、余計なことを・・・。
  1. 2014/04/13(日) 11:45:39|
  2. 石見銀山で散歩
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十九社

 近いこともあって出雲大社にはちょくちょく行っていたのですが、ここ数年の御遷宮に伴う人出の多さには、人混みが大嫌いなややとしてはちょっと困ってます。なので、天気が悪いとか、寒いとか、人出の少なそうな時を狙って行ったりしてます。
出雲大社本殿
 先日の天気予報は午前の雨90%だったのに、予想に反して穏やかに晴れ、(寒かったのですが、やや的には)出雲大社詣で日和でした。
東十九社
 出雲大社には国宝の御本殿はもちろん、摂社・末社から境外摂社までたくさんのお社があります。で、今日、ご紹介したいのが十九社です。
拝殿方向から見た東十九社
 御本殿前の東西にそれぞれ長ぁ~い社殿があり、それぞれ東十九社、西十九社と呼ばれています。現在西十九社は修理中で覆いがかけられていますが、東十九社は屋根に苔生した風情あるたたずまいを見せています。
東十九社アップ
 この十九社がいったい何なのかというと、世間では旧暦の10月は神無月ですが、出雲で地方では神在月です。神在月には全国の神様が出雲に集まって会議を開くとされていますが、この十九社は、その時の全国からお見えになる神様方の宿泊所とされているのです。なので、旧暦の10月、神在月の神在祭の間にだけ、ここの戸が開けられます。

お松:戸を開けられた画像は無いんですか?
やや:神在祭の最中は、また人出が特に多くってねぇ・・・。
後ろから見た東十九社
お松:・・・でも、すてきな建物ですよね。苔生した屋根もなんだかすてきです。
やや:これも、一連の御遷宮の中できれいに修理されるかもしれませんけどね。それはその時々の美しさってことで・・・。ちなみに、全国の神々の宿泊所なので、この十九社の説明版には「御祭神=八百万(やおよろず)の神々」と記されていますね。
お松:や、八百万ですか?それってなんか・・・
やや:「一言で言い切った」感がたまりません。キッパリ!
お松:・・・言い切ったんですね。
  1. 2014/04/10(木) 19:35:32|
  2. お松との会話
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平田船川沿いの風景2

昨日に続いて宍道湖の北西岸、水運全盛の時代には出雲大社参詣の玄関口でもあった平田です。昨日話したとおり、平田は幕末頃からの木綿市で栄え、西出雲を代表するような商業と交易の街でした。
醤油蔵
 ところが、近代に入り物流が水運から陸上交通に移り、国道9号線と山陰本線が宍道湖の南岸、つまり平田を離れて通るようになると・・・。
生姜糖のお店
 現在の平田には「木綿街道」と呼ばれる古い町並みを残した地域があります。平田船川に平行する狭い道沿いに、古い酒蔵や老舗の生姜糖のお店。醤油蔵が3軒(←お松:なぜ3軒も?)、格子戸に漆喰を貼った倉造りの商家、路地から川へ降りる「かけだし」と呼ばれる石段など、賑やかだった頃を伝えるあれやこれやが良い雰囲気で残されています。
「かけだし」のある家
お松:ややさん的には「わが愛しの平田!」じゃないですか?木綿街道!良いですねぇ。
やや:もちろん、特別な親しみを持っている町ではありますが・・・現在、木綿街道って呼ばれている通りは、高校時代に通学してた道ですわ。
お松:へ~ぇ、こんな所を通っていたんですね。近年は、整備が進んで、ずいぶんきれいになりましたよねぇ。
木綿街道の酒蔵
やや:当時は古いだけの町だと思ってましたけどね。さて、この町の最大の魅力は左桟瓦です!隣どうしの瓦を重ねる桟の方向が通常の逆なんです。え~、こうした屋根は、宍道湖沿岸部で・・・
お松:はいはい。そんなことに喜ぶのは、ややさんだけです。
やや:・・・左桟瓦の多い地域は・・・
お松:はいはい、では、また来週!
やや:お~い?
  1. 2014/04/06(日) 09:13:03|
  2. お松との会話
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平田船川沿いの風景・・・関係ないけどソメイヨシノについて

 宍道湖北西岸の街、平田は現在は出雲市の一部となっていましたが、平成の大合併以前は平田市でした。
 さて、この平田・・・
平田船川沿いの風景
 江戸時代、出雲地方を治めた松江藩でも御多分に漏れず財政危機が訪れる訳ですが、松江藩では藩による鋳物やロウソクなどの専売制、座株制(カルテル)による商業統制など様々な経済政策を打って、財政立て直しに成功する訳ですが、そうした中の一つに農家への商品作物栽培の奨励も有りました。そこで大々的に行われたのが木綿栽培です。
 松江藩の経済政策で言えば、鉄師頭取制度による鉄山師の優遇と、鋳物の専売なんかがよく知られていますが、木綿関連産業も大変な経済効果をもたらしています。鉄は、確かに単価が高いので経済効果も大きそうですが、木綿関連産業はそれ以上に、栽培農家から座株制による木綿取引、下級武士の家でも行われた木綿打ちの内職に綿製品の生産、流通・・・。雲州木綿は藩内隅々まで広がるぶら下がり人口の多さから、松江藩内の経済を牽引した基幹作業の一つでもありました。
平田木綿街道
 その雲州木綿の市で栄えた町の一つが平田です。今でこそ木綿関連の施設はありませんが、人工の水路である平田船川に沿って、古い町並みが残されています。

お松:船川沿いに植えられた桜がきれいですね。
やや:う~ん、ソメイヨシノは大嫌いだ。
お松:ニッポンの春。ニッポンの自然じゃないですか?
やや:全然自然じゃない!ソメイヨシノは自ら子孫を残せない人工物です。遺伝子的にもニッポン全国全てのソメイヨシノがまったく同じと言うクローンです。
お松:花もですが、木そのものも短命なんでしょう?なんかものの哀れを感じますよね。
やや:人の話を聞けぇ!桜は、本来は丈夫な木で長生きです。でも、ソメイヨシノ自ら子孫を残せません。エドヒガンなんかの台木に継ぎして増やします。が、成長したソメイヨシノはやがて台木を覆い殺して、そこから腐り始めます。それでナラタケモドキ病などに感染しやすくなるんです。
お松:病気が原因なら、なんとかなりそうなものですよね。
やや:なります。昔は「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われ、桜は剪定してはいけない事になっていましたが、ソメイヨシノはそもそも人工物なので適切な剪定と処置をしてやれば、腐ることなく長生きします。実際に青森の弘前城公園などでは、長年にわたって剪定され、ソメイヨシノの古木が毎年立派に花を咲かせます。
 花見客目当ての観光主導でやっているところは、密植して光が行き届かなくなるようにして桜を弱らせておいて、その上で、花見客が根の上を踏み固め、アルコールまでまき散らかしてソメイヨシノをいじめちらかしている訳です。だから、そんな所のソメイヨシノは短命なんです。
お松:な~んだ、やっぱり大好きなんじゃないですか?ソ・メ・イ・ヨ・シ・ノ!
やや:ち、違~う!
  1. 2014/04/05(土) 12:47:43|
  2. 屋根フェチの小部屋
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Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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