木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

沖泊に行ってきたの続き

 世界遺産石見銀山遺跡の西の端に近い小さな港町「沖泊」は、戦国時代の終わりから江戸時代はずいぶん栄えたはずですが、現在では無住の家屋も増え、10数戸がかろうじて暮らす、静かな町になってしまいました。
沖泊の家屋
戦国時代のもう一つの銀の積み出し港として世界遺産に含まれる「鞆ヶ浦」もそうですが、周囲を山に囲まれ、大きな道の通じていない港です。
 ものの本には「天然の良港」と記されているものも少なくありませんが、湾外には瀬があり、帆船の時代にはそれなりに難所だったようです。港からは大きな道も無く、船に供給する水もけっして豊富ではない港です。

上の井戸
お松:井戸から流れ出ている水が真っ赤ですね。
やや:上の井戸です。集落の最も奥にあって、集落の水源だった井戸です。鉄分が多いので、くみ出した水を砂で漉していますけれど、それでも赤い跡が残っていますね。
 海岸近くには浜の井戸もあります。こちらは主に船に給水するための井戸だったと言われています。
浜の井戸

お松:けっして大きな港ではないようですが、そんな港がなんで、銀の積み出し港だったんでしょうか?
やや:毛利の軍資金となり、戦略上も重要だった銀積み出しルートを守るためだと言われています。もう一つの港「鞆ヶ浦」はもっとすごいです。当時銀山を支配した大内氏は、銀の輸送ルートを必死で隠したのかもしれません。
お松:でも、沖泊の方は、北前船の時代にも栄えたって聞きましたよ?
やや:隣の温泉津港とセットで栄えたようですね。つまり、港の機能の中心は温泉津で、時化の時や季節風の時期の避難場所が沖泊です。温泉津四浦と呼ばれ、温泉津湾内の4つの港が一体的に使われることによって栄えたようですね。
お松:でも、いつしか北前船は鉄道になり、やがて自動車のじだいになって・・・。
やや:おかげで生活排水の少ないこの辺りの海は、すんごくきれいですよ!
お松:確かにそれはそうですけど・・・ねぇ?
やや:・・・。


おまけ
石櫃の千手観音

浜の井戸の近くの石櫃の中にいらっしゃるのは、地蔵ではなく千手観音。
お松:港ですもの!もしもの時にも、たくさんの手を差し伸べてくださることでしょう。
やや:あ、そうか!それで千手観音なのか?
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  1. 2014/07/26(土) 18:51:21|
  2. 石見銀山で散歩
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海の日なので沖泊に行ってみた

 戦国時代末期の石見銀山の銀の積み出し港だったと言われる沖泊です。毛利氏により銀の積み出し港として整備された16世紀後半から物流の中心が北前船だった近代初頭までは、大変な賑わいだったはずですが、現在ではわずか10数戸が残る小さな漁村です。海岸に点々と残る「鼻ぐり岩」と呼ばれる係留施設が往事の賑わいを偲ばせていますね。
沖泊の鼻ぐり岩
 沖泊の湾口に近い東側の入り江には櫛島キャンプ場があり、夏休みらしい賑わいを見せています。対岸に見えるのは鵜丸城跡と櫛島城跡。いずれも世界遺産の範囲内ですが、櫛島城跡は石見銀山が最盛期を迎える前に温泉(ゆ)氏が築いた城跡です。沖泊の湾口を睨んでいたお城でが毛利氏によって追い落とされています。
 ちなみに、目の前に見える海面からは世界遺産。キャンプ場のある足下の陸地から東側は範囲外ですね。
櫛島城跡と石切場
お松:え?じゃぁ、あそこで泳いでいる人は、世界遺産の海面を?
やや:そうですね。そう思って泳ぐと感慨もひとしおです。
お松:いや、それ、意味がわからん・・・。
 ところで、海の中に見える丸やら四角はいったいなんですか?
やや:近世末から近代初頭の石切場跡ですね。丸いのは、おそらく井戸枠を切り出した痕でしょう。海に接しているので船での出荷には便利だったんですね。この近辺には、石切場跡をあちこちに見ることができます。
お松:石見銀山の坑道も驚きですが、石見の人って、石を切るのが得意だったんですかねぇ。
やや:そもそも石の多い土地柄で、昔から石見の人たちは石に挑み、石を使って生活してきたんだと思います。だから「石見」なんでしょ。
お松:なるほどぉ!
  1. 2014/07/21(月) 09:35:20|
  2. 石見銀山で散歩
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梅雨の晴れ間に中海を見下ろしてみた

 こんな日はだめだよなぁ。すぐそこに見えるはずの大山もすっかり霞んで、影も形も・・・。
枕木山から見た中海
鳥取県境の中海と西に松江市街地を見下ろす枕木山(標高456m)です。松江市街地を見下ろすので、以前から各テレビ局のアンテナが立ち、松江市街地からも一目でわかる山でした。その山頂近くには臨済宗華蔵寺があります。元は天台宗の山岳寺院で、後に臨済宗になり、枕木山が松江城の鬼門に当たることから松江藩の庇護を受け、現在に法灯を伝えています。
華蔵寺本堂
華蔵寺本堂。本来は茅葺きのはずですが・・・茅葺きの屋根のお寺は、島根県内ではほぼ壊滅状態でしょうか。くたびれたトタンが被せられた屋根は、ちょっとかわいそうですが、建物的にはきれいな感じなので・・・

華蔵寺の不動明王
お松:世間では夏休みだって言うのに、なんか、梅雨が明けてくれませんね。
やや:でも、来週は天気良さそうですよ。明後日あたりに梅雨明けかな?
お松:早く開けてほしいですよねぇ。
やや:でも、暑いのもなぁ・・・。

・・・画像を張り間違えてまして、修正しました。
  1. 2014/07/19(土) 06:07:10|
  2. 屋根フェチの小部屋
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熊野大社の鑽火殿の続き

 『出雲国風土記』で、「大神」と記されるのは所造天下大神(アメノシタツクルトコロノオオカミ=出雲大社)、熊野大神、野城大神と佐太大神の4柱だけです。この内、熊野大神は『出雲国風土記』の時代には出雲国造(クニノミヤツコ)である出雲臣氏が祭っていた神で、遷都の際や出雲国造が代替わりする毎に天皇の面前で行う神賀詞(かんよごと)の奏上でもオオナムチ(=大国主命)よりも先に登場することが知られています。
熊野大社の拝殿
 元々松江市南部を中心に出雲東部を本拠地としていた出雲臣氏が、杵築大社とともに熊野大社を祭っていたところ、中世になって出雲西部に拠点を移していくに従い、杵築大社・・・現在の出雲大社がクローズアップされていった様子がうかがえます。
 鑽火殿での神具の貸し借りで押し問答を行う神事も、そうした歴史を反映しているのでしょうか。
鑽火殿の正面

おまけ
なんだかご機嫌!
熊野大社の狛犬
  1. 2014/07/13(日) 17:52:54|
  2. 屋根フェチの小部屋
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熊野大社の鑽火殿(さんかでん)

 出雲一宮。松江市八雲町にある熊野大社に行ってきました。
 熊野大社
 この熊野大社の境内には、鑽火殿(さんかでん)と呼ばれる特別な建物があります。
鑽火殿
 苔むした茅葺き屋根に桧皮の壁、竹の縁を巡らせたこの建物には、神器である火きり臼と火きり杵が納められており、毎年10月15日の鑽火祭や出雲国造(クニノミヤツコ=出雲大社の宮司)の襲職時に出雲大社が拝裁し、火継ぎ神事を行います。
火きり臼と火きり杵
 熊野大社では主祭神であるスサノオが檜の臼に卯木の杵を使った火継ぎ(つまり火おこし)を伝えたとされており、その神器を出雲大社が借り受けて火継ぎ神事を行うのですが・・・鑽火祭では、神器(火きり具)を借り受けるために、出雲大社の神職が餅を持ち込みます。ところが熊野大社では、それに「できが悪い」とか、いろいろと難癖をつけてなかなか受け取らない。しばし押し問答を繰り返すと言うユーモラスな神事が行われます。
鑽火殿の妻側

お松:古代と同じ方法で火を起こすんですね。しかもその道具を出雲大社が借りに来るなんて・・・。
やや:もちろん、それもおもしろいんですが、それよりもこの鑽火殿の建物ときたら、屋根フェチ的にはたまりません。
お松:きれいな茅葺き屋根ですね。
やや:それに、独立棟持柱ですよ!
独立棟持柱
お松:ドクリツムナモチバシラ・・・何ですか?それ。
やや:屋根の一番上の横に伸びる棟木を支える柱が、左右の壁よりも外側にあって、壁と無関係に屋根だけを支えているんです。弥生時代の建物、特に神殿かもと言われるような大型建物に見られる構造なんです。
お松:ひょぇ~!今度は弥生時代?
やや:出雲恐るべしですよね。
お松:って言うか・・・出雲の常識、世間の非常識ですね。
やや:う・・・そうかも。
  1. 2014/07/12(土) 18:20:28|
  2. 屋根フェチの小部屋
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畑垣の恵曇(えとも)神社の磐座(いわくら)

 『出雲国風土記』「秋鹿郡条」には恵杼毛社、恵曇海辺社、同海辺社(エトモシャ・エトモノウミヘシャ・同ウミヘシャ)と、3つのエトモ社が登場します。現在でも松江市鹿島町の恵曇漁港周辺には3カ所の恵曇神社があり、この内、恵杼毛社の候補と考えられているのが松江市役所鹿島支所の裏手にある畑垣の恵曇神社です。
畑垣の恵曇神社
 『出雲国風土記』の「秋鹿郡条」に記される恵曇郷の説明には、磐坂日子命(イワサカヒコノミコト)が「吾が宮は是処に造事らせむ」と詔したと記されています。
その磐坂日子命を祀った恵曇神社の社殿の背後には、寄り添うように3つの巨石があり、磐坂日子命が腰掛けた岩と伝えられています。おそらくは、それが社殿を持つ神社以前の信仰の対象であったことが判るのですが・・・。磐坂日子命は「我が宮を造る」と詔しているので、社殿があったことも判ります。
恵曇神社の磐座
 もちろん現在の社殿が『出雲国風土記』が記された733年以前にさかのぼることはありませんが、奈良時代から社殿が存在したことが確実な神社と言うことになります。

お松:社殿があったんですよね。何度も言わなくてもわかりますよ。
やや:いや、それが大問題でして・・・。『出雲国風土記』具体的に「宮を造る」と記されているのは、実はこの他には所造天下大神の杵築大社、つまり現在の出雲大社しか無いんです。
お松:ん?では、風土記の時代には、2カ所しか社殿が無かったんですか?
やや:2カ所しか無かった訳ではないんでしょうが、多くは「○○神が坐す(います)」と記されるだけで、宮を建てたかどうかは書かれていません。だから、いくつかの神社は、この恵曇神社の磐座のように、巨石とか滝とか、そんなものの事だったのかもしれないんです。
お松:なるほど。そう言うのが元々の神社の姿だったのかもしれないんですね。

おまけ
 畑垣ではなく、恵曇漁港近くにある恵曇神社境内には、いましたよ。灯籠の台座に!
お松:なになに?あ、波乗りウサギだ!
恵曇神社の波乗りウサギ
  1. 2014/07/06(日) 16:19:31|
  2. プチ巨石ブーム
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やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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