木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

大変いそがしく、更新が滞っております

 いそがしいです。そもそも出かけていないし、更新するネタもありません。天気もよいのに・・・毎年この時期はだめです。
大麻山神社
画像は、浜田市三隅町の大麻山神社です。標高599mの大麻山山頂近くにあります。テレビ局のアンテナが林立する山頂からは日本海と浜田市街地を見下ろせます。
大麻山神社庭園
 大麻山神社の社務所の横には、大麻山神社の神宮寺だった真言宗尊勝寺のお庭だったと言われる庭園が残されています。その尊勝寺は天保7(1836)年に大雨に伴う地滑りで被災。その後、庫裏が再建されたものの、明治5(1872)年の浜田地震で再び被災。神仏分離の時代にかかったようで、お寺が再建されること無く、今日に至っているようです。

今日のワンコ
大麻山神社の子連れワンコ
お子さんをお連れです。
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  1. 2014/09/27(土) 08:32:19|
  2. お庭でひとりごと
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波乗りウサギに会ってきた話2

 前回に紹介した内神社(高野宮)の神門の前の灯籠の台座には、居ました!波乗りウサギのレリーフです。
内神社の灯籠

内神社の波乗りウサギ
 波乗りウサギと言えば・・・出雲市には鷺浦と鵜峠(うど)が一緒になって鵜鷺(うさぎ)と言う地名があり、そこの伊奈西波岐(いなさはき)神社の灯籠に波乗りウサギのレリーフがあることをおもしろがっていましたが、同様の波乗りウサギは恵曇(えとも)神社(松江市鹿島町)にもいました。
伊奈佐波岐神社の波乗りウサギ
伊奈西波岐神社の波乗りウサギは松江市朝日町の三代目石谷菊次郎によって昭和11年に作られた事が判っており、恵曇神社の波乗りウサギの灯籠も昭和11年の銘があります。この2神社の灯籠は、おそらく同様のものでしょう。しかし、内神社の波乗りウサギの灯籠は、竿部に大正13年の銘があり、伊奈西波岐神社のものなどよりも古いものである可能性が高いようです。伊奈西波岐神社や恵曇神社の灯籠が四角形であるのに対し、内神社では六角形と異なる点も興味深いです。
恵曇神社の波乗りウサギ

お松:「因幡の素兎」以来、波乗りウサギにはまっているようですが、実は何にも判っていなかったって事がわかりました。
やや:波乗りウサギが因幡の素兎とほとんど関わりが無いことが判ってきました。
お松:なんか、しつこいっつ~か、ややこしいですねぇ。
やや:とにかく。波乗りウサギ、今後も注意深く探して行きたいものです。
お松:ややさんがややこしい、なんつって~。
やや:っつ~か、しつこい!
  1. 2014/09/20(土) 22:24:12|
  2. 波乗りウサギに会ってきた
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安心高野(アシムノタカノ)内神社・高野宮

高野宮と呼ばれる安心髙野の内神社は、一畑電鉄たかのみや駅の真北、標高279mの本宮山の中腹にあり、眼下に宍道湖を見下ろしています。安政二(1855)年に建てられた御本殿は出雲大社、佐太大社、神魂神社などに次ぐ大型の大社造りです。
内神社本殿
 大国主命の御子神である和加布都主命(ワカフツヌシノミコト)と下照姫命(シタエルヒメノミコト)を祀り、社伝によれば、霊亀元(715)年、女嵩山(現在の本宮山)に光を放つものがあり、神垣を設けてお祀りしたのを始まりとし、その後、神威があまりに強いことを恐れた住民が、養老元(717)年に現在地に移したと伝えられています。一方、天平五(733)年の年記を帯びる『出雲国風土記』には安心髙野(女心髙野と読む説もあり)について、「樹木は無いが、頂上の方には林がある。これが神社である」と記しており、元々の本来の神社は山頂にあった事を伺わせています。
内神社から見た宍道湖

 さて、現在、本宮山と呼ばれている山は、間違いなく立派な山なのですが、『出雲国風土記』には安心髙野(女心髙野?)と記され、「山」ではなく「野」とされています。『出雲国風土記』にはこれ以外にも「野」とされる山がいくつか知られているのですが・・・。
お松:高い場合を「山」、279mしかない低い山を「野」としているんじゃないですか?
やや:約300mですよ。けっこうな山ですよ。実は、『出雲国風土記』で「野」と記される山には、どうも樹木が無い・・・「茅あり」とか記されているようで。つまり、切られるか焼かれるかして人の手が入っている山を「野」と記しているようです。
お松:高さの問題では無いんですね。
やや:結構な山なんですが、古代の人は、こんな山の上まで様々に利用していたんですね。
お松:山ではなく、野ですけれどね。
やや:う・・・。なんか、くやしい。

おまけ、境内の摂社稲荷社にいたお狐様方です。
おきつね様方
  1. 2014/09/15(月) 17:31:00|
  2. 神話の足跡探し
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医光寺の糸桜

 益田のもう一つの伝雪舟庭園、臨済宗医光寺のお庭です。本堂の背後の急斜面を利用した庭園で、前面の池を中心に左手に枯滝と鶴石。右手にツツジの刈り込みと、医光寺のシンボルでもある枝垂桜の古木が配置されています。
医光寺庭園の亀島
 医光寺では、雪舟は文明十一(1479)年に益田を訪れたとしており、医光寺には「前住当山五世雪舟和尚大禅師」とある位牌も残されていることから、医光寺の前身である崇観寺の住職を務めたとされています。雪舟が益田を訪れたのは、おそらく間違いないのでしょうが、住職まで務めたというのは・・・崇観寺住職は、雪舟が訪れた時には5世ではなく、10世前後と思われるので、位牌は後に作られたものである可能性も捨てきれません。
医光寺庭園の糸桜(9月)
 このお庭のシンボルと言えば、右手に広がる枝垂桜の古木です(←お松:なんで、9月に桜の話題を?)。枝垂桜と言うより糸桜と呼んだ方がそれらしいかもしれません。糸桜・・・竜安寺の石庭の糸桜なんかが有名ですが、(←お松:Cool Japan!・・・日本らしいお花ですね。)室町時代の花の御所にもあったようです。医光寺に今ある糸桜は2代目なのでしょうが、元々は花の御所からもらって帰った挿し木だった可能性が考えられるんです(←お松:え~!どういうことですか?)。もちろん、現代だって似たようなものですが、地方が都会のまねをする、つまり益田氏が京都の風景を益田に再現しようとした可能性があるんです。大内氏に関わり、花の御所に出向いた益田氏が持ち帰った糸桜を医光寺の庭に植えたのかもしれないんです。このお庭は、雪舟云々以前に室町時代の歴史性・文化性を現代に伝えているんです。

お松:で、あの~ぉ?糸桜の咲いている画像は無いんでしょうか?
やや:じゃあこれで・・・ずいぶん古い画像ですが。
糸桜(修理中)

お松:うっひゃ~!来年は、これ、見に連れて行ってくださいね。
やや:なんか最近、この手の宿題が多いな・・・。
  1. 2014/09/14(日) 07:26:09|
  2. 雪舟が見つからなくって
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櫛代賀姫(クシロカヒメ)神社

 医光寺と七尾城跡の間を流れ、染羽天石勝神社や万福寺の横を抜けた益田川が日本海に注ぐ益田市久城町の丘陵上に、櫛代賀姫神社があります。ご祭神は櫛代賀姫命で、久城の地名に由来する神様なのでしょう。
櫛代賀姫神社拝殿
 櫛代賀姫神社は、中世を通じてこの地を治めた益田氏の庇護を受け、修繕を繰り返しながら明和二(1765)年に建てられた建築を現代に伝えていますが、それもそのはず。この櫛代賀姫神社は益田川河口を見下ろす丘陵上にあるのですが、川の左手は、中世前期栄えた港湾の跡と言われる沖手遺跡が、川を挟んだお向かいは中世後半に栄えた港湾遺跡の中須東原遺跡が。・・・つまり、海洋領主と言われる益田氏にとって、とっても重要な港湾を睨む位置に建てられているんです。
櫛代賀姫神社からのロケーション
 中世には益田本郷である益田市の旧市街を中心とする地域は、12世紀後半から力をつけてきた益田氏の本拠地として発展します。室町から戦国の混乱期を大内氏や毛利氏に従って生き延びた益田氏は、関ヶ原の後に防長に追いやられる毛利氏に従い、長門の須佐に移ります。益田氏がいなくなったため、江戸期の益田市中心部は浜田藩と津和野藩の境となって、その結果、近世の城下町が形成されませんでした。つまり、関ヶ原以前の中世の町のあれやこれやがパックされ、現代まで伝えられていると言う、全国的のもまれに見る不思議な町が残されてしまったんです。
櫛代賀姫神社本殿

お松:そう言えば益田の町って、微妙に道が曲がっていて方向感覚が狂わされるんですよね(←やや:普通に方向音痴のくせに!)。あれって、中世の町が残っているせいだったりして。
やや:実はその通りです。益田川の流路に並行する道と、それに直行する道が基本になっていて、そこに中世から続く神社仏閣や遺跡が点在しています。特に久城周辺の道は、何度行っても迷うし。
お松:方向音痴だからでしょ?(←やや:はぁ?)
 でも、中世から続く町が残っているって、それってすごいことなんじゃないですか?
やや:実はすごいんですけど、あまり知られていませんね。伝雪舟のお庭もそうですが、中世にも繋がる神社や益田氏に関わる遺跡が、巧妙に方向感覚を狂わされる道によって繋がっています。静かで気持ちよい町なんですが・・・。
お松:もっと皆さんに知っていただきたいですね。
やや:でも、道はわかりやすい方がよいですよね。
石桶
おまけ、拝殿の前には2基の石桶があります。同様の石桶は益田に2例ほどが知られているほか、石見銀山の豊栄神社に巨大なやつがあります。山口では一般的な防火用水桶ですが、島根県ではごくわずかしかありません。毛利氏との関係があるところにしか無いようです。
  1. 2014/09/13(土) 08:02:36|
  2. 雪舟が見つからなくって
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染羽天石勝(ソメハアメノイワカツ)神社

 益田市、万福寺の近くにある染羽天石勝神社は、その特徴的な本殿が重要文化財に指定されています。ご祭神は天石勝命(アメノイワカツノミコト)。社伝によれば、この神社は、瀧蔵権現と称して奈良時代に創建され、平安期には別当寺勝達寺を建立し、益田氏の庇護を受けて発展したとされています。その後、明治の廃仏毀釈に伴い、別当寺勝達寺は廃絶し、神社名も染羽天石勝神社に改められたようです。
染羽天石勝神社
 三間社流造りの両サイドの縁にのみ高覧が付く特徴的な建築です。伝えられる棟札の写しによれば、天正九(1581)年に焼失し、益田元祥・藤兼によって再建されたようですので、戦国時代の建築が残されているようです(実はよく知らない。建築は・・・)。益田には中世に由来する様々なものが残されていますが、ここの特徴的な本殿の建築もそうしたものの一つのようです。本殿の脇には、瀧蔵権現そのものであったはずの滝を供えた磐座が静かな水音を立てています。
瀧蔵権現
 御本殿の真っ正面には、巨大な神楽殿が建っています。遠目から見ると拝殿のあるべき位置に、やたらと閉鎖的な雰囲気の建物が建っているようで、不思議な雰囲気を醸し出しています。神楽殿としては非常に立派な建築ですね。石見の人って、神楽大好きだからかなぁ・・・。
神楽殿

神楽殿の屋根

お松:これ、当分は益田ネタが続くんですよね(←やや:ギク!)。
 確か、益田にはお仕事の関係で、一泊二日で行ってきたとか?よくいろいろ見る時間が取れましたね?
やや:いやぁ、益田って遠いんですよねぇ。で、相手方の方で移動時間を配慮していただけたようで、初日は午後始まりだったんですよ。で、ちょいと早起きして・・・。
お松:相手方が気をつかって移動時間を配慮してくれたのに、その時間をお庭と神社巡りに費やしたんですね。
やや:いや~ぁ、実はそれじゃあ足りないんで、二日目も早起きして、朝のうちにいろいろ回って・・・。
お松:は、はぁ?・・・そ、それで仕事はちゃんとできたんですか?
やや:あったり前じゃないですか。ちゃんとしました。ただ、さすがに疲れたんで、帰った翌日は休みをもらいましたけどね。
お松:は、はぁ?・・・この人の行動って、何か根本的におかしい気がするんですけどぉ?
やや:いやいや、なんのこれしき。
お松:褒めてません!
  1. 2014/09/10(水) 19:44:43|
  2. プチ巨石ブーム
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久しぶりに万福寺のお庭

 島根県の西の端、益田市にある万福寺のお庭です。室町時代に建てられた重要文化財の本堂の裏に、雪舟の作庭と言われるお庭が残されています。
お松:ひえ~!お庭の話!しかも雪舟じゃないですか?お庭なんて、とっくにやめちゃったのかと思ってました。ねぇ、ねぇ、知ってました?このブログは歴史的なお庭についてのブログだった事もあるんですよぉ?
やや:やかましい!今だってそうです!ちょっとネタ切れで滞っていただけです(←お松:「ちょっと」ですか?)。たまたま益田に行く機会があったので、万福寺にも寄ってみました。
万福寺庭園
お松:あんまり久しぶりでよく覚えていないので、ちょっと復習をお願いします。確か雪舟というのは室町時代の画家?
やや:臨済宗の画僧・・・つまり仏画などを専門的に描くお坊さんです。中国・・・当時の明に渡り、帰国後は山口の大大名大内氏の庇護で多くの絵を残しています。国宝絵画を最も多く描いた人です。日本画の祖とか、画聖とか呼ばれています。で、なぜか西日本地域に伝雪舟作のお庭が多く残されているんです。
お松:で、それに惹かれたややさんは、あちこちでお庭を見て回る一方、雪舟の生涯について勉強を始め、勢い余って日本画の歴史の勉強まで始めてしまって、結局、訳がわからなくなってしまったんですよね。なんで岩佐又兵衛の勉強しているんでしたっけ?
やや:・・・。
お松:図星か・・・。ま、とにかく、ややさん的には雪舟はお庭を作っていないんじゃないか?って事でよろしかったでしょうか?
やや:雪舟の生涯は友や弟子の残した文字で、比較的よくわかっています。特に大親友の了庵桂悟が記した「天開図画楼記」には、雪舟の仕事ぶりなど、相当詳しく記されています。それは、雪舟自身による盛大な売り込みによるのですが、その中に作庭に関することが一切出てこないんです。だから作庭はしていないんだろうと・・・。研究者の中には、作庭に当たって、雪舟に「意見を求めたケースも想像される」ぐらいまで踏み込んで言われた先生もいらっしゃいますが、それはリップサービスというか・・・。
万福寺庭園の池
お松:じゃぁ、あちこちにある雪舟のお庭は?
やや:3パターンぐらいのケースがあると思いますが、一つは、雪舟の描いた山水画をモデルに作られたお庭。伝雪舟庭園には臨済宗ではない天台宗や時宗のお寺にもあります。雪舟の直接関与ではなくても雪舟のお庭ができる可能性があるとしたら・・・。雪舟の絵から作られたと言うことで、「雪舟作」はぎりぎりセーフかと・・・。
お松:フライング気味って言うか、ぎりぎりアウトのような・・・。で、2つめは?
やや:雪舟の滞在が知られる地域にある、岩の特徴が雪舟を思わせるお庭。雪舟の絵は、岩の描き方に特徴があります。で、ごつごつした岩を多用した古いお庭で雪舟が滞在したことがある地域のお庭は・・・。
お松:アウトかな?
やや:最後は、雪舟が滞在したことのある地域の古いお庭。
お松:それだけ?・・・それって・・・。
やや:まぁ、その辺は追求しないでおいて。で、この万福寺のお庭です。本堂は室町時代。お庭も室町期でよいでしょう。益田には雪舟が滞在した可能性が高く、雪舟が関与した可能性もあります。ただ、お寺は時宗で臨済宗ではありません。
お松:で、どうなんですか?
枯れ滝
やや:石や池の配置が、雪舟が描いたとされる富士清見寺図に似ていると言う説もあります。
お松:って事は?
やや:ケース1の可能性もあるってことで・・・。
お松:断定しないんですね。
やや:それは無理だって。
  1. 2014/09/07(日) 18:53:37|
  2. 雪舟を探して
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巨大な岩陰の神社・・・御遷宮です

 国道54号線は、広島と松江を結ぶ物流の大動脈でしたが、松江自動車道開通とともに、交通量はすっかり減り、静かでとても快適な道になりました(←お松:また、そういうことを・・・)。広島方面に向け、雲南市掛合町の集落を過ぎると左手に県立自然公園八重滝の看板が見えてきます。夏場に涼を求めて八重滝に訪れる観光客は少なくありませんが、その先に向かう人は、地元の方以外にはそう多くはないでしょう。
 八重山神社は、雲南市掛合町入間の小さな谷奥にあります。
八重山神社参道
 八重山神社は近世に成立したとされ、『出雲国風土記』など古代の文献には出てきませんが、急な石段を登った先の、御本殿を覆い被さるような巨大な岩陰は、迫力満点です。
八重山神社本殿と巨大な岩
 周辺に大きな集落がある訳でもありませんので、古くから、この巨大な岩陰そのものが信仰の対象であった事がうかがえます。
 出雲大社の平成の大遷宮に関係があるのか、昨今は、出雲の多くの神社で社殿の建て替えが行われていますが、この八重山神社もぴっかぴかの御本殿ですね。

おまけ、ちっさい狛犬。がんばってます!
八重山神社の狛犬
  1. 2014/09/05(金) 19:47:46|
  2. プチ巨石ブーム
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プロフィール

やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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