木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

この時期は、まったく・・・

業務多忙に付き更新が滞っております。(←お松:またかよぉ!)
お松:毎年のことではありますが、この時期は本当に身動きできないですねぇ。夏の間に余裕かまし過ぎてたんじゃないですか?
やや:何を言うか?この夏も、激しく働いてました!
お松:益田とかで、おかしな行動を・・・。
やや:・・・いや、あの件は、あれだけのことで、そ、それ以外は激しく働いておりまして・・・。
お松:ま、そうでしたよねぇ。益田だけでしたよね。そう言う余裕の無さが今の状態に影響しているんですよねぇ。
やや:う・・・と、とにかく、多忙に付き更新が滞っております。
加賀の潜戸
画像は、
 加賀の潜戸(かがのくけど)と呼ばれる松江市島根町の海食洞窟です。『出雲国風土記』にも佐太の大神の誕生した場所として記される洞窟で、明治には「怪談」などで知られる小泉八雲も大絶賛した景勝地です。

お松:その話はしないんですか?
やや:近代史だとか文学とかは、イマイチ・・・。
お松:苦手なんですよね。
やや:・・・この話は、そのうちいたします。
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  1. 2014/10/25(土) 21:59:06|
  2. お松との会話
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六所神社と「有」の御神紋を持つ神社

奈良時代の出雲の中心は現在の松江市大草町付近にあった出雲国府です。その周辺、現在、意宇平野と呼ばれている平野は、広々とした水田が広がり、出雲国府跡は史跡公園として整備されています。
出雲国府跡
 史跡公園の一角には六所神社があります。
六所神社の拝殿の屋根
 六所神社は、中世からは出雲総社だった神社で、古代には、都から赴任してきた国司が国中の神々を詣る代わりにこの一社で代表させた、(だから六所神社・・・)と説明されることもあるようです。ただ『出雲国風土記』には「佐久佐社」と記されており、大草町ではない場所にあって、現在の八重垣神社と同社とも考えられていますので、総社となったのは国府の機能が衰え始めた頃からだったのかもしれません。
六所神社本殿

お松:この神社の御神紋は亀甲に「有」。近くの神魂(かもす)神社や真名井神社も同じですよね。ものの本によると神在月にちなんでいるとか?十月の二文字を斜めに重ねると「有」になるって?
六所神社の賽銭箱
やや:神在月だとしたら「有」ではなく「在」ですよね。直球で「十月」でもよいし、なぜわざわざ斜めに重ねて「有」にする必要があるんでしょう?(上の画像は六所神社の、下は真名井神社の御神紋です。)
真名井神社の神紋
お松:あ、あれ?
やや:諸説有るようですが、もしかしたら神在月とは無関係じゃないかと・・・。
 実は、六所神社のある大草町と八重垣神社のある佐草町との間、神魂神社のある大庭町には「有」と言う地名があるんです。現在、八雲立つ風土記の丘展示学習館のあるところで、岡田山古墳群なんかがあります。現在の地名が古代にどの程度繋がっているかは判りませんが、「有」の神紋を持つ神社は、元々は「有」にあった神社だったのかもしれませんね。
お松:な、なるほど。ところで、10月は神在月で引っ張ると言うことですね。
やや:ギク・・・最近、ネタ切れ気味なんで、月遅れの神在月の来月も、当分「神在月」で引っ張ってやろうかと・・・。
  1. 2014/10/19(日) 09:31:11|
  2. 神話の足跡探し
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揖夜(いや)神社と黄泉比良坂(よもつひらさか)にも行ってみた

 今日の話題は、松江市東出雲町揖屋にある揖夜(いや)神社です。
お松:イヤです。
やや:そう言う突っ込みはいらない。
揖夜神社拝殿
 さてと、
 『古事記』の中でも有数のアドベンチャー!イザナキとイザナミの物語の最後で、イザナキが大岩で塞いだ黄泉比良坂(よもつひらさか)は、『古事記』には「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」と記されており、松江市東出雲町の揖夜神社のあたりとされています。
お松:ちょ、ちょいと!そんな乱暴な。せめてストーリーを!ダイジェストでいいから紹介してくださいよぉ。
やや:めんどうくさいなぁ・・・。
え~と・・・それは神代の昔。最愛のイザナミを亡くしてしまったイザナキは、黄泉の国までイザナミに会いに行き、一緒に帰るよう説得します。イザナミは黄泉の国の神に相談するので、その間「絶対に振り向くな」と言うのですが、もちろん「お約束」でしっかり振り返ってしまいます。そこで見たものは変わり果てたイザナミの姿。その姿を見られ、怒ったイザナミは黄泉醜女(ヨモツシコメ)とか、黄泉の軍団を差し向けてイザナキを追うのですが・・・イザナキはドラえもんのポケットのように、タラララッタラ~「タケノコォ!」とか、タラララッタラ~「桃の実!」とか、なんで持っていたのかよくわからないものを次々と投げて逃げ切ろうとします。最後まで追いかけてきたイザナミからかろうじて逃げ切り、黄泉の国との境の黄泉比良坂を大岩で塞いでしまいます。岩に遮られたイザナミが「毎日1000人を殺す!」と言うのに対し、イザナキは「では、毎日1500人を誕生させる」と言い放つ。・・・と言うのが、この痛快ラブコメディの別れのシーンですね。
お松:確か、アドベンチャーって言いましたよねぇ。
黄泉比良坂
 揖夜神社の近くには、なんと、黄泉比良坂(?)があったりします。
 揖夜神社は、『出雲国風土記』にも「伊布夜社」と記される古社で、現在でもイザナキノミコト、イザナミノミコトにまつわる神事が行われています。
揖夜神社本殿
 ところで、出雲大社の本殿は神座が正面ではなく左(西・・・常世国?朝鮮半島方向?)を向いていることが知られていますが、揖夜神社では右、つまり大和の方向を向いています。

揖夜神社の狛犬さん
お松:広い境内に大きな狛犬。立派な神社ですね。
 イザナミの黄泉の国詣での神話にまつわる神社と言うことですが、確か、黄泉比良坂の場所については、違う話を以前にも・・・。
やや:そうですね。中央の神話である『古事記』だと、大和から見て西にある出雲の伊賦夜坂が黄泉の国との境で、それは出雲の中では東の方にあるのですが、地元の神話である『出雲国風土記』では、出雲の西の方にある猪目洞窟を「黄泉の入り口」としています。いずれも、日の沈む「西の方に黄泉の国がある」と言う世界観ですね。つまり、それぞれの執筆者が東の方にいると言うことですね。
お松:しまった。また、つまんない話にしてしまった。

おまけ、
揖夜神社の灯籠

お松:これはまた、なんとも不思議な形の灯籠ですね。
やや:しかも、結構でっかいんですよ。
  1. 2014/10/16(木) 20:04:06|
  2. 神話の足跡探し
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多賀神社に行ってみた

 10月なので神在月にまつわる話なんぞを・・・
 『出雲国風土記』記載の「朝酌下社(あさくみしもしゃ)」と伝わる多賀神社です。松江市中心部を東西にぶった切る大橋川を南に見下ろす小高い丘の上にあります。神社の隣には大橋川北岸では最大級の前方後円墳である魚見塚古墳(62m)がありますね。
大橋川を見下ろす多賀神社
 ご存じの通り、世間の神無月は出雲では神在月です。10月には八百万の神々が出雲に集まるとされているのですが、この多賀神社は、佐太神社に集まった神々が移り、全国へお立ちになる場所の一つとされています。お立ちの前日には、猿田彦命が操る船に乗ったエビス様が水中に竹を刺して魚を捕ると言う伝承があり、神々がその様子を眺めたのが魚見山・・・つまり魚見塚古墳とされています。
多賀神社の参道

 さて、『出雲国風土記』には、このあたりについて、朝酌促戸渡(あさくみのせとのわたり)と記され、大橋川を渡る渡し船があった事や。「筌(うけ)」と言う、竹で編んだ魚を捕る仕掛けが設置されていたことなどが記されています。

お松:竹で編んだ仕掛けですか?エビス様が竹を刺して魚を捕ったって言う話に通じるような?
やや:どっちが先の話かはまぁ追求しませんが、明らかに連動している話だと思います。
お松:ウケ?って、どんな仕組みなんでしょう?
やや:実は判りません。大橋川は急流ではありませんので、落ち鮎を捕るヤナのようなものではないと思いますが・・・。ただ、多賀神社の前には、エビス様がいつでも出漁できるように、それらしきものが設置されています。
多賀神社のウケ

お松:お~!これがウケ?
やや:多賀神社さんのウケ。もちろんこんなもので魚が捕れるわけではありませんが。
お松:人ごときではムリですよね。神様でなくっちゃ!
やや:そうきたか・・・。

おまけ
多賀神社の狛犬
多賀神社の狛犬さんなんですが、この狛犬を寄進したのは・・・
狛犬を寄進したのは
シジミ漁師の皆さん!さすが宍道湖・大橋川!
  1. 2014/10/11(土) 19:00:03|
  2. 神話の足跡探し
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石州瓦の瓦窯

お松:な、なんですか?この廃墟感満載の。いかにもややさんが・・・、いかにも好きそうな、カックカクでゴチャゴチャで、なんかきちゃない感じの?
瓦窯跡
やや:なんか、若干の悪意を感じるのは気のせい?
 ・・・まあいいか。島根県埋蔵文化財センターが高速道路の関係で行っている発掘調査現場の現地公開に、ちょっと寄ってきました。大田市久手町の城ヶ谷遺跡と言うところなんですが、これが・・・
お松:で、この廃墟、何ですか?
やや:だから、今、説明してんだろ!
 これは、石州瓦を焼いた連房式登り窯の跡です。天井部分が崩落して、下半分が残っている状態ですね。石見地方では現在でもあちこちに石州瓦の工場がありますが、こうした窯跡が、大田市内で発掘調査され、公開されたのは初めてなんだそうです。ちなみに、この瓦窯は幕末を前後する頃から戦前戦後あたりまで操業していたようです。
お松:へ~、なんかわかりませんがすごいですね。
城ヶ谷遺跡
やや:瓦を焼いた部屋、つまり焼成室が8室あります。現在でも多くの瓦工場がある江津市や浜田市で見つかっている窯跡は、10室以上のものも見られますので、これはやや小型のようです。
お松:小型とは言っても、そこそこ迫力がありますね。
 このアーチは何ですか?
焼成室のアーチ

やや:各房の天井は落ちているようですが、このアーチは、かろうじて入り口の枠が残っている状態ですね。ここから製品の出し入れをします。実際に瓦を焼成する際には塞いでしまいます。中は、1,300℃以上の超高温高圧にさらされますのでレンガも溶け出すほどですね。
お松:なるほど。こんな窯で瓦を焼くんですね。ところで、さすがは屋根フェチ!屋根じゃなくって瓦なのに、発掘現場でも見に行くんですね。忙しくってどこにも行く暇が無いはずなのに?
やや:ほ、ほ、ほ、いやいやなんの。ちょっとついでがあったんで、勢いで行っちゃいましたよ。
お松:あの?褒めてませんけど。
  1. 2014/10/10(金) 22:13:23|
  2. 屋根フェチの小部屋
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益田ネタいまだに・・・

 伝雪舟作のお庭のある医光寺(益田市)には、およそお寺には似つかわしくない程の巨大な門、医光寺総門があります。この門は、戦国時代にこの地を領した益田氏の居城、七尾城の大手門を移築したものと言われています。
医光寺総門
 益田氏は、国指定史跡となった三宅御土居跡に居館を置き、その背後に巨大な山城である七尾城を構え、益田の町を守っていました。毛利氏が関ヶ原の合戦に敗れ、防長へ転封されると、益田氏もそれに従い長門国須佐へと移っていきます。この門は、廃城となった七尾城から城下の医光寺へ移され、その頃に屋根を竜宮造りに改造されたと伝えられています。巨大な城門に竜宮造りの屋根の取り合わせはこうして作られたようです。
医光寺総門の柱

お松:まだ、益田ネタ?・・・って言うか、本当に忙しいんですね。どこにも行けてない?
やや:まったくです。身動きできないっつ~か、動く気にならないくらい疲れてます。
お松:じゃ、しばらくは益田の貯金で食いつなぐつもりですか?
やや:そ、それが、益田ネタも・・・。
お松:げ、益田ネタも食い尽くしたんですね。
やや:・・・。
お松:え~、そういう訳でしばらくお休みかもしれません。では、皆さん、さようなら~!
やや:ちょっと待って。勝手にお別れするんじゃな~い!
  1. 2014/10/04(土) 17:05:35|
  2. 屋根フェチの小部屋
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やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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