木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

ガンダーラ

そこ~へ行けば~ぁ どんな夢もぉ かなぁうと~ 言うよ~ぉ
だ~れも皆~ぁ 行きたがるがぁ は~るかなぁ世界ぃ~

 以前から行きたかったのだけれど、なかなかタイミングが合わず、行けなかった場所。
 一人では入れてもらえないけど、お松さんは行きそうにない。足下検査があって、スニーカーでは入れてくれない。雨が降れば入れてくれない。2時間かけて麓まで行って、雨でも降られたら最悪だよなぁ・・・。そんなこんなでなかなか行けず。
三徳山三佛寺投入堂
 このところ、親戚の不幸が続いた。とある葬儀の時に、和尚さんが「人生は、はかないもの」なのだと、あんまり繰り返し言われるので・・・そうだ、人生ははかないんだ。今、行っておかなければ、きっと後悔する!
 天気予報は雨かも・・・でも、行くんだ。行かなければならないんだ。
 They say it was in tottori~!
やや:と、言う訳で行ってきました!ガンダーラ・・・じゃない、三徳山三佛寺、投入堂!

 三徳山三佛寺は鳥取県三朝町にある天台宗の古刹。寺伝では慶雲三(706)年の開山とされており、投入堂の古材を年輪年代法により測定したところ、少なくとも平安時代の材が使われていることが判っています。平安時代は、山岳信仰が盛んになった時代で、全国各地で修験の山が開かれます。この修験者を導く守護神が蔵王権現で、問題の通称投入堂は、この蔵王権現を祀った蔵王堂です。天険の岩に張り付くよう建てられた建物は、どうやって造ったのか?と驚かれるこのお堂は、役行者が法力で投げ入れた、と言われるので「投入堂」なのだそうです。(←お松:それは、法力で入れたんですか?投げ入れたんですか?←やや:うるさい!そう言うつっこみはいらない!)
地蔵堂
 とにかく、山林修行でミラクルを身につけるための修験の山です。そこに行くことが修行なのです。
 で、
 本堂の裏手からは、普通は、これを道とは呼ばない、断じて道ではない、ただの急斜面をよじ登り、木の根につかまってよじ登り、岩の角に手をかけてよじ登り、たまに大サービスで、ロープや鎖につかまってよじ登り・・・。
 あちこちに「観光の山じゃない、修行の山だ」って、書いてあって。のぼり始めて数分で、同行者から「想像以上にきつい」の、泣き言も・・・。
投入堂
お松:鎖にぶら下がるのは大サービスなんですか?ひたすら崖をよじ登って行のですね。職場の皆さんと?よく、いっしょに行ってくれましたね?
やや:そりゃ、多少はごまかして、まぁ、多分だいじょうぶだからって、時々滑落する人が出るとか、そう言うデンジャラスな話題は隠して引っ張り出しましたけどね。(←お松:この悪魔め!)
 投入堂だけでなく、その道中にも文殊堂や地蔵堂など、掛け造り(急斜面に高い足場を建てて造ったお堂)の見応えあるお堂があり、満喫しました。また、行きたいねぇって言ったんですが、賛同者0でしたわ。わ・は・は・・・。
お松:そ、それは残念なことで・・・。
やや:また、ここのことを知らない人を騙して連れて行かないといけませんねぇ。(←お松:この悪魔め!)

おまけ
文殊堂からの眺め。
文殊堂からの眺め
お松:しかも、ややさんの足入りで・・・。こ、この高さって・・・。
やや:わ・は・は。もちろんびびりながら座ってますが、後ろから見ていた知らない人から、「よくそんなとこに座れますね」って、声かけられましたわ。わ・は・は・・・。
お松:あ、アホだこいつ・・・。
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  1. 2015/07/19(日) 19:08:34|
  2. 山寺で修行中
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秋鹿日女命の坐す社

 『出雲国風土記』には出雲国が9つの郡に分かれていたことが記されており、各郡毎に地形や産物などについて記されています。現在の宍道湖・中海を囲む平野部には、出雲国の中心である意宇郡(おうのこおり)や、後には県の名前になる島根郡(しまねのこおり)、出雲郡や神門郡など大きな郡に挟まれて、盾縫郡(たてぬいのこおり)と秋鹿郡(あいかのこおり)と言った、宍道湖の北岸の小さな郡があります。
 秋鹿郡には、島根郡の加賀の潜戸でお生まれになった佐太の大神の社があったり、なんか、ムリヤリ島根郡から分けられたような所もあって、いろいろ興味深い郡ですが、今日は、その郡名と社の話です。
秋鹿神社拝殿
お松:秋鹿・・・。秋の鹿って書いてアイカと読む。なんだかすごくステキな地名で、以前から気になってました。夏真っ盛りになんですが、紅葉の下で振り返る鹿のりりしい姿とか想像しちゃって・・・。
やや:花札の図柄そのものですね。
 で。
 『出雲国風土記』には、「郡家の正北に秋鹿日女命(あいかひめのみこと)坐す。故、秋鹿という」と記されているのですが・・・、その秋鹿日女命を祀ったらしい「秋鹿社」は、当時は神祇官のいない社で、しかも、秋鹿郡の社の中でも、かなり小さい部類だったらしいことが判っています。さらに、その「秋鹿日女命」と言うのが、他にまったく登場しない・・・、この秋鹿郡の地名の由来以外には、どこで何をしたのか、何一つ出てこない女神様なんです。
お松:う~!ミステリアスなクールビューティなんですね?
やや:いや、だからぁ。・・・まったく記載が無いと言うことは・・・、地名が先にあって、その地名に合わせた由来を、後に持ってきたと言うことでしょう。秋鹿日女命は、おそらく、秋鹿郡全体ではなく、もっと小さな地域の神様だったはずですが、たまたま大きな地域名と同じだったため、地名の由来に、担ぎ出されたのだと思われます。
 さて、その秋鹿社から続くと考えられるのが、現在の秋鹿神社です。
秋鹿神社本殿
 現在は、松江市秋鹿町に位置していますが、江戸時代の地誌『雲陽誌』には、もう少し東の東長江町にあったとされており、奈良時代の郡家もそこに近いところにあったのでしょう。
秋鹿神社の千木
お松:ややこしくもよくわからない話は、置いておいて、ミステリアスなクールビューティにふさわしい、静かできれいなお社ですね。
やや:基本的に、何を言われているのか、よくわかりませんが・・・。まぁ、いいか・・・。

おまけ
 ちっちゃい狛ワンコ。
秋鹿神社のちっちゃい狛ワンコ
かなり、古い狛ワンコで、あちこち傷んでますが、まだ、がんばってます。
お松:がんばってるチワワですよね。
やや:は、はい~?
  1. 2015/07/11(土) 19:27:32|
  2. 神話の足跡探し
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爾佐加志能為神社(にさかしのいじんじゃ)

 今日、ご紹介するのは松江市島根町野井の爾佐加志能為神社(にさかしのいじんじゃ)です。
爾佐加志能為神社参道
 現在は、海岸線に道が通っていますので、海からやや引いた場所にありますが、おそらく、元々は海に面して建っていたのだと思います。で、海岸線を野波方面から来ると巨大な岩!
巨大な岩
 道が元の海岸線だとすれば、岩の外側は通れませんので、岩の山側を通るはずですが・・・岩の下の隙間には・・・。現在は漁具の置き場となっていますが、おそらく、ここが元の参道だったのでしょう。
岩の下
 境内に入ってからも、途中でなくなる階段・・・。現在の参道は拝殿の少し横に取り付いています。拝殿の真正面に向かうには、この無くなってしまう階段のルートが正解です。おそらく崖崩れで、付け替えたのでしょう。
無くなる階段

お松:ところで、神社名が、ながっ・・・。
やや:長~い神社名は、神名に由来するものでなければ、深~い訳があるものです。
お松:ってことは、短い神社名には訳が無いと?
やや:いや、だから、そう言う上げ足取りはねぇ・・・。
 この神社、『出雲国風土記』の「爾佐加志能爲(にさかしのい)社」にあたり、旧社地は野井の沖の加志島(かしじま)だったと伝えられています。長~い神社名のうちの「加志」は、それですね。爾佐は千酌にある爾佐神社との深い関わりがあるのでしょう。能為(のい)は、この野井の浦に由来する名なので、「爾佐社と関わりの深い野井の浦の加志島の社」、と言う意味になります。
お松:な、なるほど~ぉ!前々から思ってましたが、そう言う丁寧な解説をですねぇ。いちいちやってもらえないものでしょうかねぇ。
やや:やってるつもりなんですけどねぇ。
 でぇ、
 社伝によれば、加志島にあった社は、長元7(1034)年の大風で吹き流され、野井の浦の日御崎神社に合祀されたのだとか。
爾佐加志能為神社本殿
お松:ん?荒天で倒壊したとか何とか?日御碕神社?なんだか異常に聞き覚えのある、つい最近、聞いたような・・・。
やや:昨日の話だ!寝ぼけてんのかぁ?
 ・・・って。8月ですから台風ですよね。野波浦の日御碕神社とは違うかもしれませんが、荒波砕ける日本海ですので、よく壊れる(←お松:おいおい!)のだと思いますよ。

 それはともかく。この爾佐加志能為神社は、日御碕神社であり、また、地元では神守(かもり)神社とも呼ばれています。神守神社は・・・。江戸時代の地誌『雲陽志』には日御碕太神宮と並べて「加無利明神(かむりみょうじん)」と言う社が見え、神守(かもり)=加無利(かむり)である事が判ります。現在地が字「宮脇」なのだそうで、日御碕神社の宮の脇に並んで加無利=神守神社が在ったであろう事が想像されますね。日御碕神社が勧請された経緯は、昨日の話のとおりですが、まぁ、今日ある神社の経緯は、想像以上に複雑だと言うことがよくわかる神社です。
お松:よくわからないと言うことが、大変よくわかりました。ところで、昨日は、さして掘り下げるほどのネタも無い野波浦の日御碕神社をムリヤリ紹介したのは、今日の伏線だったんですね。
やや:ギ・ギク!・・・まぁ、それ・・・、ちょっとした神名とか、地名とかだけで、派手な古代史をぶち上げたがる人たちがたくさんいますが、そもそもは、もっと複雑な訳です。神話と歴史を絡めた突飛な発想のほとんどが、どれほどでたらめかを、大変よく示した事例ではないかと。そんなに突飛な話は、そうそう転がっているもんじゃないって、よくわかりますよね。
お松:言ってることは、判らないでもないですが、ややさん、いったい何が不満なの?
やや:やかましい!

おまけ
昭和十五年製の波乗りウサギです。
波乗りウサギのダ~イブ
お松:波乗りと言うよりは、ダ~イブ!って感じですね。この後、だいじょうぶかしらん・・・。
  1. 2015/07/05(日) 09:09:31|
  2. 神話の足跡探し
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野浪浦の日御碕神社

 『出雲国風土記』の「島根郡」条は、これでもかというくらい、海岸の様子が記されていて、ちょっとした島まで、どんな木があって、どんな海産物が取れるのか、詳しく記されています。現在の松江市島根町野波付近については「野浪浜 広さ二百八十歩なり。東の辺に社あり。又、百姓の家あり。」とあり、広い浜の東側に社があって、家があると記されています。『出雲国風土記』の「百姓の家」は、農家とは限りませんので、島根半島の浦々では漁師さんたちの家も含まれているのでしょう。
野浪浦の日御碕神社
 で、現在の野波の浜の西端に日御碕神社があります。
お松:ん?東じゃないんですか?日御碕神社って?
やや:日御碕神社です。日御碕と言えば、島根半島の西の端、日沈宮(ひしずみのみや)のある神社ですが、なぜか、島根半島のいくつかの神社で日御碕神社を勧請されているようです。日御碕神社と言えば、「日沈宮」。そのご祭神は天照大神です。中世末から近世のある時期、天照大神をご祭神したい人々がいて、そのため、日御碕神社を勧請されたのではないでしょうか?
野波の日御碕神社
 一方、『出雲国風土記』に記された社が、いつまでどこにあったかは判りませんが、現在の社は浜の東ではなく西にあります。この社は、島にあったものが天正年間(戦国時代!?)に大波で被災し、現在地に漂着して鎮座したとされていますので、その社伝を信じれば、日御碕神社を勧請したのは戦国時代以前と言うことになるかもしれません。
野波浦日御碕神社の御神紋
 日御碕神社なので、日御碕と同様に御神紋は柏です。
お松:日御碕神社の柏って、そう言えば・・・。
やや:スサノオが「この葉の落ちたところに鎮まる」って言って投げたからなのでしたよね。
お松:スサノオですよね。天照大神を祭神に迎えたかったという、日御碕神社を勧請したかった理由との整合性がよくわからないのですが。
やや:この日御碕神社でも、天照大神と共にスサノオも祀られているんですけどね。パッケージで勧請したと言うことですかねぇ。その辺の事情は、私の守備範囲(←お松:しょせん、古代の人ですもの)からは、新しすぎてわかりません。

おまけ
野波浦日御碕神社の狛ワンコ
生け垣の中でかくれんぼですか?丸見えですけど。
  1. 2015/07/04(土) 17:44:40|
  2. 神話の足跡探し
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やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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