木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

スサノオの琴だったけ(後編)

 琴引山は標高1014m。『出雲国風土記』には「高さ三百丈」と記されていますので、約540m。当時は、標高が測れるはずもないので、麓からの高さと言うことになりますが、スキー場あたりが標高約500mですので、けっこう正確な数字ですね。
 その山頂の少し下には琴弾山神社があります。石の裂け目が本殿に向かう参道になっており、その上に小さな本殿が置かれています。御祭神はもちろん大国主神となぜか伊邪那美神(イザナミノカミ)。神社に関する最も古い記録は安永年間(18世紀後半)頃だそうです。
琴弾山神社参道と本殿
お松:鋭い岩の圧迫感に、かわいい社殿。ステキなお社ですが、なんだかあまり興味もなさそうな解説ですね。
やや:もちろん、近世近代の建築にそんなに関心はありません(←お松:また、身もふたもない)。
 神社の背後には、かなり広い平坦面が残されていて、一部草刈りのされたところでは、礎石が残されています。
琴弾山神社裏手の平場と礎石
お松:琴弾山神社の社殿の他にも建物があったのでしょうか?
やや:琴引山の登山道や周辺に点々とある説明看板には、「かつて四十二坊があった」と、記されています。つまり、琴引山は山林修行の山寺だったんです。比較的早くに衰え、さらに明治の廃仏毀釈で壊滅したと思われ、めぼしい記録はありませんが、密教系の神仏習合のお寺があった事は確実なんです。

 現在ではわずかに礎石しか、その痕跡をとどめていませんが・・・。
お松:神社としてはお祭りも行われているようですが・・・。
やや:今回は、(お山ビギナーなので)スキー場側から登りましたが、尾根筋を上る登山道もあって、そちらの入り口には、鳥居が残されています。
琴弾山神社麓の鳥居

 昨日話したように、『出雲国風土記』の記述は、意図的に脚色された記述と思われますが、おそらくそれ以前から巨石を愛でる信仰があり、それに『出雲国風土記』が乗っかり、さらに密教が被さったのだろうと思われます。このブログでは何度か「岩屋寺」と呼ばれる真言宗のお寺を紹介していますが、真言宗の山林修行のお寺には、岩屋・・・つまり「窟」が必要なようです。
琴弾山神社

お松:標高1,000mの山中の窟の中で、修行僧達は何を思ったんでしょうねぇ。
やや:やっぱ、暑いとか、寒いとか、腹減ったとか、眠いとか、今何時かなぁとかではないのでしょうか?
お松:・・・。
やや:「腹減った」ということで、いかがでしょう?
お松:ややさんは、山でそういうことを感じていたんですね。もうしばらく山で修行してきなさい。
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  1. 2015/10/25(日) 17:26:30|
  2. プチ巨石ブーム
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スサノオの琴はどうなったぁ?(前編)

 前々から興味があって、ぜひ見たいと思っていた琴弾山神社に行ってきました。あちこちにすんごい巨石があって、プチ巨石ブームの人垂涎の、巨石マニアの聖地ですわ。
琴引山の巨石
お松:それは、どこにある神社なのでしょう?
やや:飯南町にある標高1,014mの琴引山の山頂近くにあります。
お松:はぃ?標高いくらって言いました?
やや:標高1,014mです。
お松:せ、せんじゅうよん・・・?そこは車か何かで行けるんでしょうか?
やや:琴引フォレストパークスキー場まで車で行けます。琴引フォレストパークスキー場が、標高約500mぐらいだそうです。そこから徒歩90分でした。
琴引山
お松:・・・この夏の山林修行の成果と言うか・・・なんだか、山登りも半端じゃなくなってきましたね。危険はないんですか?
やや:もちろん熊鈴も用意しました。(←お松:・・・く、熊鈴?)
 ま、とにかく。『出雲国風土記』の「飯石郡条」にはこの琴引山が記されていて、そこには、「この山の峰に窟(いわや)あり、裏に所造天下大神(アメノシタツクラシシオオカミ=オオクニヌシ)の御琴あり」ってあるんです。
お松:オオクニヌシって、琴を弾かれるのでしょうか?
やや:『古事記』に記されるオオクニヌシは、因幡の素兎から始まる1連のストーリーでは、その兄弟達(八十神)に、大変な嫌がらせを受け、ホンの2度ほど殺されるんですが(←お松:ホンの?とか言わない!)、関係者の尽力で何度もピンチを脱します。でも、このままでは次こそ殺されるかも?と思い、根の国(使者の国?)のスサノオの元に逃れるのですが、そこでスサノオに、もっとひどい嫌がらせ(試練とも言う)をされます。そこでは、スサノオの娘のスセリヒメらに助けられるんですが・・・。最後には、スサノオが寝入った隙に、スサノオを縛り上げて逃亡するのですが・・・、これがまた、転んでもただでは起きないというか・・・、スセリヒメをゲットした上に、スサノオの大刀と弓矢とをかっぱらってきたと・・・。
お松:・・・。
やや:『古事記』の話としては、まだ若い初心者マークの神が、スサノオの試練を乗り越えて、地上界に君臨する真の神・・・大国主神になるという話ではあるのですが・・・。まともに聞けば、とんでもないっつ~か、ふてぇ野郎だ。
お松:・・・。とにかく、わかりました。そういう訳で、スサノオの琴が琴引山にあるのですね?
やや:ま、そんな単純な話じゃなくって・・・。風土記の時代の飯石郡に根の国がこの界隈にあったと言う話はなく、オオクニヌシやスサノオにまつわる話も点的なものにとどまるんです。
お松:それはいったい、どう言うことでしょうか?
やや:つまり、『古事記』内容を知っている人が『出雲国風土記』「飯石郡条」を書いたと言うことです。琴引山の山頂近くに窟や巨石があって、それは信仰の対象にはなっていたのでしょう。飯石郡は出雲と備後の境界に近い場所。そうした境界の近くに、根の国の存在を思わせる神話を持ってきたかったと言うのが、『出雲国風土記』「飯石郡条」の責任者、日置首(へきのおびと)の意向なのでしょう。
お松:ま、また、つまんない話にしてしまって・・・。
やや:と言う訳で、山頂から約350mほど下に、穴神琴弾岩と呼ばれる岩があります。この岩は、鋭い亀裂があり、その中に入ることができます。
穴神琴弾岩
お松:お~!それが窟?琴があったんですか?
やや:『出雲国風土記』には、琴は、「長さ7尺、広さ3尺、厚さ1尺5寸」とされていますので、210×90×45cmぐらいの大きさがあります。かなり大きいですね。で、そうしたものが窟の中にあるかと言えば・・・。
穴神琴弾岩の内部から見た風景
お松:ない?これは、とても2mもあるものは見えませんね。
やや:窟の内部には、ずいぶん土砂が堆積しているので、埋まっているのかもしれませんが、現状では見えません。
琴?
やや:こ、これはどうかな?
お松:う~ん。なんだか消化不良ですね。
やや:まぁ、今回の目的は、『出雲国風土記』ではないので、私的には満喫できましたけどね。
お松:はぁ?もしかして、アレですか?
やや:もちろんアレですわ。で、次回に続く・・・
  1. 2015/10/24(土) 21:30:18|
  2. 神話の足跡探し
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空山神社に行ってみた

 件の天狗とか、二子山とかの関係で、松江市南部の忌部高原をふらふらしていました。『出雲国風土記』に見える「忌部神戸(いんべのかんべ)」は、現在の松江市西忌部町、東忌部町、玉湯町の一部と考えられ、忌玉を作っていた事や、「神の湯」呼ばれる温泉(現在の玉造温泉)での宴のことなどが記されています。なので、比較的標高の低い地域を指しているのですが、・・・その忌部神戸の背後に標高約400mの二子山・・・忌部高原があります。この日は、夕方近かったので、二子山山頂へはまた後日となってしまいましたが、道すがら目に付いちゃったのは・・・空山神社?。
 この付近は、標高約300mの高地です。忌部高原は近代になってから開拓された場所なので、現在では畑地や牧場が広がっていますが、もちろん、『出雲国風土記』や『延喜式神名帳』などにも載っていない神社です。
空山神社参道
お松:上の画像は、確かに参道なんですが、下の画像は?・・・で、これがまた、ただの山って言うか、人跡未踏感がすごいんですけど・・・。
やや:神社は、地元の皆さんによって、年に何度かは草刈りもされているのですが、この時は、たまたま夏草が生い茂ってて・・・この画像の真ん中は、参道の石段なんですが、見えてますよね。
お松:・・・まったく・・・見えませんけど・・・。で、ややさんは、これを平気で登っていくぅ?
やや:まぁ、平気じゃないです。おそるおそる・・・。
空山神社の石段と拝殿
 本殿の前には、拝殿の機能を持つ覆い屋があります。また、参道の石段を登り切ると、小さめの狛ワンコが出迎えてくれるんですが・・・。
空山神社の狛ワンコ
お松:夏草に埋もれているんじゃないですか・・・。
やや:でも、楽しそうですよね。藪の中を遊び回ってる感じが。
お松:そ、そうかしらん・・。
忌部高原の空とそば畑
 何はともあれ、確実に秋は深まっているのでした・・・。
お松:・・・そう言うまとめで良いのでしょうか?
  1. 2015/10/17(土) 19:23:22|
  2. お松との会話
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翼の折れた・・・

♪ドライバーズシートま~でぇ よぉこ~なぐりの雨~ぇ ワイパ~ 効かない夜のはり~け~ん・・・。
お松:なんだ、なんだ?そう言えば、投入堂を見に行ったときも、「がんだ~ら ぜいせいいっとわずいんいんでぃあ~」とか歌ってましたよねぇ。
やや:カラス天狗のいた玉造金刀比羅宮とか、来待岩屋寺とかを調べていた訳ですが、『忌部総社神宮寺根元禄』と言う文献がありまして、これが、ものすごく誇張が大きくて、必ずしも事実とは限らない内容なのですが、弘安四(1281)年5月条に、岩屋寺僧覚智が中心となって、玉造二子髙嶺で夷敵調伏の祈祷を行った際にですねぇ・・・。
お松:何を言っているのか、さっぱり判らないので、普通の人が理解できるように言ってください。
やや:・・・。
 文永・弘安の役って、覚えていますか?(←お松:はて?さっぱり。)・・・では、蒙古襲来とか元寇なら?(←お松:お~!神風が吹くやつですね?)・・・まぁ、正解です。文永の役(1274年)を奇跡的に退けた後、元では、再び日本への侵攻が計画されます。もちろん、ある日突然攻めてきた訳ではなく、何年も前から準備し、日本に対しても戦わずに降参するよう何度も使節を送ったりした訳です。これに対して、日本側では博多湾周辺で防塁を築いたり、準備をしていた訳ですが、その中に、日本海沿岸の各地で夷敵調伏の祈祷、つまり神仏の力で蒙古を追い払おうと言う祈祷が行われているんです。その事が、くだんの文献に書かれていて、それによれば、来待岩屋寺の覚智と言う僧が中心となって、玉造二子髙嶺と言う山の上で祈祷をしたのですが、そこになんと!
お松:なんと?
やや:蔵王権現の辺りから天狗が現れて聖なる珠を与えられたと・・・。
お松:なんですと?
やや:・・・て、書いてあるんです。で、玉造周辺で二子という山を探したら、玉造の南東、松江市西忌部町「空山」と呼んでいるところが、実は二子山と言う山で、そこで祈祷が行われたのではないかと・・・。そこから日本海方面に向かって祈祷を行うと、その間に玉造金刀比羅宮があったりして・・・。
お松:お~!カラス天狗がいたぁ?
やや:で、それに関連して・・・と言うか、まったく関係がないのですが。実は、松江市大庭町の神魂(かもす)神社の背後の山も「空山」と言いまして、その空山の山中に大智明権現を祀る山寺の跡が残されていると言う情報を耳にしたので行ってみたと・・・。
大庭空山大智明権現
お松:大智明権現?
やや:大山・・・鳥取県の大山で盛んな信仰です。地蔵菩薩に関わる神仏習合の信仰で、幕末以降の大山寺では牛馬の取引が盛んに行われたこともあって、後に牛馬の守り神としての信仰が加わります。
大庭空山の牛
お松:それで牛がいるんですか?
やや:それで牛です。で、その牛の見つめる先には・・・。
牛の見つめる先に
お松:ん?カラス天狗?
大庭空山のカラス天狗

やや:大智明権現や大山信仰に関わる話には、時々天狗の話が出てくるようです。で、このカラス天狗は、来待石製。造形的にも玉造金刀比羅宮のものにそっくりで、玉造金刀比羅宮のカラス天狗をやや小型にしたもののようです。大智明権現やカラス天狗に特別な興味がある訳ではありませんが、巡り会っちゃったのも何かの縁。
カラス天狗の足

お松:でも、かなり、損傷しているようですが。
やや:そうですね。それは残念ですが、この周囲や参道は、地元の方々が掃除を行い、大切にはされているようです。でも、石造物自体はかなり傷んでますね。カラス天狗様は下半身が崩壊し、翼は折れ・・・。
お松:あ?それで、「翼の折れたエンジェル」を歌っていたんですね?
やや:♪も~し~ 俺がひ~ろぉ だった~なら~ 翼ぐらい修理してあげるんだけど~ う~ 翼の折れたカラス天狗~ぅ
お松:文献がどうのとか、ものすご~く難しい事をしゃべり始めたかと思えば、これだよ・・・。
  1. 2015/10/11(日) 17:38:03|
  2. 山寺で修行中
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一人女神社(ひとひめじんじゃ)

松江市玉湯町に気になる名前の神社があります。
お松:女、一人なんですか?読み方はともかく、確かに気になる名前ですね。
一人女神社
やや:江戸時代の松江藩の郡奉行、岸崎左久次が記した『出雲国風土記』の注釈書である『出雲国風土記抄』に「大谷村に壹女社あり」と記されています。「ひとつめのやしろ」と読むのでしょうか。この神社は、『出雲国風土記抄』によれば、9世紀末頃から鎮座しているとされるのですが、なにしろ、17世紀の文献ですので、いくら何でも時間が経ちすぎていて・・・。
一人女神社本殿
 普通は神社名が記される拝殿の扁額にはただ「霊験」と記され、また、境内の背後には立派な藁蛇を巻かれた荒神さんが祀られるなど、小さな神社の割にはいろいろ迫力満点の神社です。御祭神には天照大神を始め、6柱の神様が祀られていますが、女神は天照大神だけ・・・。(←お松:それで、一人女なんだ!)
 本殿の横には「旧御神札等 御納社」があり、おそらく、以前は参道を守っていた、引退狛ワンコさんが控えています。
狛ワンコさんたち
お松:わ・は・は!なんか、プイってしてますね。
やや:元々は参道を挟んで向かい合って据えられていた狛ワンコさん達です。それを正面に向けて据えちゃうと、こうなる訳ですね。
お松:でも、なんか、楽しそうではあります。
  1. 2015/10/10(土) 20:57:11|
  2. ネタ切れにつき在庫処分
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またしても、カラス天狗に会ってきた

 山林修行は、日本に仏教が伝えられて、比較的早い段階から行われていたことが判っていますが、特に、最澄と空海が天台・真言の密教を持ち帰って以降、ますます盛んになります。その辺りの様子を現象面から区別できるかどうか、興味があって、山登りを繰り返している訳ですが、まぁ、もちろんそう簡単に何か判るはずもありません。おおざっぱに言えば、8世紀に始まる山林寺院は、12世紀までにほとんど廃絶し、逆に現在まで法灯を伝える密教寺院は、平安時代以降に始まる天台・真言のお寺のようです。出雲地方を含む山陰地方での有名な山岳寺院と言えば・・・投入堂で有名な三徳山は天台宗。大山寺も天台宗。出雲地方で言えば、安来市の清水寺が天台宗。出雲市の鰐淵寺も天台宗。さらに、松江市の華蔵寺(けぞうじ)や出雲市多伎町の華蔵寺(はなくらじ)、雲南市三刀屋の禅定寺や出雲市の法王寺も天台宗で、一見すると天台宗のお寺ばかりのような気もしますが・・・、佐太神社に関係する朝日寺や成相寺は真言宗、雲南市三刀屋町の峰寺が真言宗。玉造、東来待、横田にある(あった)3つの岩屋寺はいずれも真言宗です。ものすご~く、ぶっちゃけて言えば、東西に連なるネットワークを構築したのが天台宗で、南北に連なるネットワークを築いたのが真言宗と言うことになるようです。で、松江藩の宗教政策や明治初年の廃仏毀釈を比較的スムーズに乗り切ることができたお寺が多いのが天台宗で、それなりの波をかぶるのが多かったのが真言宗のお寺と言うこともできるかもしれません。
 宍道湖の南岸である松江市玉湯町から宍道町辺りは真言宗の山寺がいくつか見える地域で、松江藩の宗教政策や明治の廃仏毀釈ではそれなりに苦労したお寺が多かったようです。
 と、言う訳で、昨日の続きです。
玉造温泉周辺には、昨日紹介した岩屋寺跡の他、真言宗報恩寺には、巨大な観音菩薩像が伝えられており、古いお寺があった可能性があります。更にもう一つ、山林修行のお寺があった可能性があります。
昨日紹介した清厳寺や玉作湯神社の背後には戦国時代の山城である玉造要害山城がありますが、更にその奥には標高180mほどの丘陵が続いています。
金刀比羅宮から見た玉造温泉と宍道湖
 玉造温泉街や宍道湖を望むその山頂部には、現在は、完全に忘れ去られたナゾのお寺があります。わずかに石製本殿を覆う覆い屋、拝殿に使われる小屋を残すほかは、いくつかの石像物を残すだけの玉造金刀比羅宮です。
玉造金刀比羅宮の拝殿?
お松:金刀比羅宮と言うぐらいですから、神社ですよね?
やや:これがややこしいんですが、金刀比羅宮は、元々は真言宗のお寺。それも、神仏習合した山林修行のお寺だった可能性が高いんです。廃仏毀釈というか、神仏分離令で、金刀比羅宮となることを選ぶ訳ですが、そもそもは山岳修験のお寺であり神社であり・・・だったのだと思います。で、そこに不動明王様とカラス天狗様がいらしゃると・・・。

カラス天狗様
お松:か、カラス天狗ですね。
やや:カラス天狗ですが、それがなにか?
お松:カラス天狗って、あまりなじみが無いんですが・・・。
やや:山陰地方ではあまり聴きませんね。大山寺ではゆるキャラふうに道案内などにイラストが使われたりしていますが、カラス天狗そのものの石像物や仏画というのはあまり無いと思います。また、壊れた狛ワンコには、近年銘のある山陰最古の来待石製狛犬などが含まれています。
お松:狛ワンコ大好きな割には、今回はあまり画像もないようで・・・。
やや:狛ワンコは好きですが、狛ワンコの歴史に興味がある訳では無いので・・・。近世の石像物は、その道の方にお任せするとして・・・。現状で、玉造金刀比羅宮に残されているものは近世以降のものでしかありませんが、山林修行が衰退していく近世にこうした山寺が新たに開かれるはずもなく、遅くとも室町時代。もしかしたら平安時代に遡る可能性もあるんじゃないかと思ってます。
お松:もちろん、何の証拠もありませんが。
やや:それは、私のセリフだ。

おまけ、
何はともあれ狛ワンコ

お松:なんだかんだ言っても、狛ワンコ。
やや:何はともあれ狛ワンコ。
  1. 2015/10/04(日) 17:12:06|
  2. 山寺で修行中
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玉造岩屋寺跡のその後

 前々回、「まだまだ山寺へ行ってみた」で紹介した玉造温泉の岩屋寺跡・・・岩屋寺跡横穴にあった真言宗のお寺は、明治の廃仏毀釈で廃され、現在では石段とお地蔵様だけになっている様子をupしましたが、実は、岩屋寺にあった観音堂は観音像と共に、清厳寺境内に移され、現在でも出雲観音霊場の33番札所として存続しています。
現在の岩屋寺
 岩屋寺は、元々は玉造温泉街の北の端にあったのですが、現在の清厳寺境内は玉造温泉街の南の端、玉作湯神社の南側となっています。また、清厳寺は臨済宗のお寺ですので、山林修行とも無縁のお寺となってしまいました。
温泉山清厳寺
お松:温泉山清厳寺・・・なんと立派な山号ですね。ま、とにかく岩屋寺の観音様は残されていると・・・。よかった、よかった。
やや:でも、これが、偶然なのか、狙ったのか?実は、観音堂の背後に巨大な岩があって、磐座を意味する岩屋寺にふさわしい場所なんです。
清厳寺裏の巨石
お松:お~、それはなおさら良かったですね。・・・とは言っても、この岩自体は、危なっかしい感じですが・・・。
やや:更に言うと・・・。
お松:ま、まだ、なにかあるんですか?
やや:実は、この岩のある背後の山は、山林修行のお山なんです。
お松:はい?
やや:清厳寺の背後の山は、カラス天狗様がいらっしゃる山林修行のお山なんです。
お松:カラス天狗?そう言えば、なんだか聞き覚えのあるこの不思議な響き。そう言えば、なんかいましたねぇ。
やや:カラス天狗様は、次回に続く!

清厳寺裏の観音様
お松:とにかく、いろいろ驚きなんですが・・・先週は横田の岩屋寺へ登った話をupしましたが、その翌日には朝日寺に登ったそうですね。で、また、今日、カラス天狗のいるところまで登ってきたんですか?
やや:ふ・ふ・ふ・・・まだまだ登るぞ~!
  1. 2015/10/03(土) 18:47:23|
  2. 山寺で修行中
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プロフィール

やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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