木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

能呂志島の海苔(後編)

 前回は、能呂志(のろし)神社は海苔の採れない宍道湖側にあるという話をしましたが、後編では、海苔の採れる日本海岸のお話です。
お松:いつも思うんですが、後編とか言っておきながら、微妙にタイトルが違うんですよね?今回は、微妙どころか、全然違いますよね。
やや:細かいことは気にしない!
 さて、
 『出雲国風土記』の盾縫(たてぬい)郡条には「能呂志島〔紫菜(のり)が生える〕。能呂志浜、広さは八歩ある。」とあります。能呂志浜の八歩とは、当時の距離の単位です。一歩は1.82mぐらいだと言われていますので、八歩だと・・・ほんの14~15m!他の浜の記載でも五十歩から数百歩、その上の里と言う単位が使われるのが一般的な中で、ダントツで小さな浜です。
お松:どんなに小さくとも、浜は浜!
やや:んな、バカな。たった14~15mの浜を浜として記載したら、そこら中、浜だらけになっちゃいます(←お松:あ!そうか?)。恐ろしく小さいけど、何か意味があったことは間違いありません。それこそ、海苔なのか?
能呂志浜?能呂志島?

 この、能呂志島・能呂志浜の推定地は、現在では出雲市美保町唯浦(ただうら)と呼ばれる小さな漁港です。14~15mってことはありませんが、それでもかなり小さな漁港です。『出雲国風土記』に「唯浦」と言う記載はありませんが、「田々(ただ)社」が記されていますので、当時から「ただ」と呼ばれていたようです、が・・・。
田々神社から見た美保の集落

お松:こ、これがまた、大変な急斜面に集落がへばりついて、平地らしき部分がない?14~15mの浜に急斜面の集落?
やや:この集落の一番上に田々神社があります。高野寺山を挟んで、宍道湖側に能呂志神社、日本海側に田々神社があって、その間に高野寺山がある訳です。
田々神社参道

不動明王
 田々神社の参道下には、不動明王様がいらっしゃって、お墓があります。地図で見ると確かに卍マークが記され、お寺のようですが・・・ネットで探しても、このお寺が出てきません。賽銭箱には「松尾山神宮寺」と記されていますが・・・(←お松:一見すると、普通の家ですよね)。
神宮寺?


 実際、何も判りませんが、不動明王ですので、おそらく真言宗。田々神社と共に背後の高野寺山を山林修行の場としたお寺なのでしょう。

お松:海苔が採れたから、この日本海に面した急斜面に、古くから人が住んだのでしょうか?
やや:海苔は冬だけですので、海苔以外にもよほどの漁場だったのでしょうね。
田々神社本殿

 真冬の日本海から吹き上げる季節風は強烈です。御本殿は完全ガード!
で、
 もうしばらく、盾縫郡の海岸線をうろうろするのでした・・・。

ひさびさにおまけの狛わんこ
田々神社の狛ワンコ

 吹きつける季節風にずいぶん傷んでいますが・・・。
お松:それでも、まだまだ元気な老犬ですね。よしよし!
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  1. 2016/01/24(日) 22:07:48|
  2. 神話の足跡探し
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野石谷のノリについて(前編)

 この間までの暖冬はどこへやら・・・冬真っ盛りの山陰地方です。
 さて、
 前回まで、旧平田市野石谷町の高野寺山は、古代から信仰の対象となった山で、『出雲国風土記』記載の「見椋山(みくらやま)」ではないか、と言う話をしてきたところです。なので、高野寺山は置いておいて、・・・
お松:なので、『出雲国風土記』のおさらいから。
やや:え、え~、そっからですか?(←お松:そっからです!)
 『出雲国風土記』は西暦733年の年記を帯びる奈良時代の地誌です。総記からはじまり意宇郡、島根郡、秋鹿郡、盾縫郡・・・の順に各郡毎の地名の由来や郷(今風に言えば村?)の位置、寺や神社、山や河川・浜・島で採れる産物などについて記載されています。要するに、奈良時代前半頃の出雲地方の様子を現代に伝えているというしろものです。
で、今、問題にしている見椋山うんぬんと言うのは、盾縫(たてぬい)郡・・・島根半島の真ん中よりやや西寄りの地域に付いて書かれた部分です。この地域は、南に宍道湖、北は日本海に挟まれ、東は秋鹿郡(現在の松江市北西部)、西は出雲郡(現在の出雲市大社町を中心とする地域)に挟まれ、秋鹿郡と共に古代出雲では小さな郡です。
能呂志神社と高野寺山

お松:で、その盾縫郡でノリを作っていたんですね。
やや:つ・作る?・・・採っていたようですが?
お松:・・・。
やや:・・・。
お松:ノリって、紙なんかをくっつける糊ですよね。
やや:おにぎりに巻く海苔です。
お松:・・・。
やや:・・・。
能呂志神社

やや:さて、
 『出雲国風土記』には、盾縫郡の産物として海苔が記されていますが、「隣の秋鹿郡と同様」と書きつつも、わざわざ「盾縫郡の海苔の方が優れている!」って書かれているんです。
お松:お~!現在でも、盾縫郡に含まれる十六島(うっぷるい)海苔は最高級品とされていますよね。
やや:で、やっとこさ高野寺山へ戻ると・・・。高野寺山の麓には、能呂志(のろし)神社が在ります。『出雲国風土記』に乃利斯(のりし)社と記された神社の事でしょう。
お松:ノロシ?海苔ですね。
やや:そう、海苔なのですが、この能呂志神社は日本海ではなく、海苔の採れない宍道湖側に位置しているんです。
お松:あ・あれ?
やや:安心して下さい(←お松:履いてるんですか?)。
 『出雲国風土記』には、日本海側に海苔の取れる能呂志島(のろしじま)や能呂志浜(のろしはま)が記されています。多少なまってますが、間違いなく海苔でしょう。
 つまり、海苔に由来する地名は、日本海から宍道湖沿岸までかなり広範囲に広がっています。その辺りの人が海苔を採ったり、能呂志神社を祀ったりしていたのでしょう。その中心にあるのが・・・。
お松:高野寺山?
やや:そう、『出雲国風土記』で言う「見椋山」です。ちなみに高野寺や能呂志神社のある出雲市野石谷(のいしだに)町は、江戸時代には海苔石谷村だったことが判っています。
能利志神社本殿

 と、言う訳で後編につ・づ・く
お松:最近、なんだかやたらと引っ張りますね。
  1. 2016/01/23(土) 09:20:48|
  2. 神話の足跡探し
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「見椋山」は高野寺山なのか?(後編)

 さて、前々回は、『出雲国風土記』記載の「見椋山(みくらやま)」は、現在の摺木山 (すなぎやま)とされているが、実は2つ隣の高野寺山が正解なんじゃないか?ってな話をしようとしていたのですが、とりあえず、高野寺です。
高野寺本堂跡?

 高野寺は、現在は本堂・根本堂など主要堂塔はなくなり、大師堂などわずかな建物を残すだけですが、地元の方々によって、参道は整備され、大師堂周辺も掃除が行き届いています。
高野寺大師堂

 高野寺は度々火災に遭っており、寺の記録はもちろん、古い仏像などもなく、その由来はまったく判りません。ただ、信仰の山としては、古くから・・・真言宗の山寺であれば平安時代から続いていた可能性があるのではないでしょうか?
高野寺根本堂跡?

 もし、平安時代の山林修行の山であるならば、それ以前から信仰の対象であった可能性もあり、『出雲国風土記』の時代から注意されていても不思議はない、と言うことになるのですが・・・。
 そこで、前回の話に戻ります。『出雲国風土記』には、世の中のすべての山が記されている訳ではなく、目立つ山や信仰の山を中心に記されています。近隣の最高峰である摺木山は、確かに目立つ山で、だからこそレーダー施設とかが置かれるのでしょうが、実際には摺木山は独立峰ではなく、高野寺山まで峰続きとなっています。もしかすると『出雲国風土記』の執筆者は、一連の山塊すべてを「見椋山」呼んでいたのかもしれません。
と、言う訳で、今回も続くのであった。
大師堂

お松:あ、あれ?ずいぶん引っ張りますね。高野寺は度々火災に遭って、記録がないとかって言ってませんでしたか?
やや:確かに高野寺には、記録がありません。でも、調べ始めると、『出雲国風土記』のノリの話がおもしろくって・・・。
お松:ノリ?ノリって、あのノリですか?
やや:あのノリです。と言う訳で、つ・づ・く。
  1. 2016/01/17(日) 08:10:14|
  2. 山寺で修行中
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今年も、五十猛(いそたけ)のグロ

 相変わらず、激しく働いています。
 で、高野寺山は、ちょっと置いておいて、五十猛(いそたけ)のグロです。
お松:五十猛のグロは、大田市五十猛町大浦の港の正月行事ですよね。なんか、新年が開けても仕事は忙しいわ、あちこちに見舞いに行かなければならないわ、まったく時間が取れないってぼやいていたわりには、いつの間に?
五十猛のグロ

やや:大田での仕事があって、その合間に15分だけ・・・。
 五十猛のグロは、トンドさん。いわゆるドンド焼きや左義長の1種です。1月11日から15日の間、笹竹とむしろで仮小屋を作って正月飾りを集め、15日の早朝に火を放って終わるのですが、その仮小屋が・・・。
お松:モンゴルの遊牧民の住居、ゲルとかパオを思わせるような、不思議な形なんですよね。中では火が焚かれ、暖かそうです。期間中は炉の火を絶やさず、地元の方々が火の番をかねて、お餅を食べたり、するめを肴にお酒をいただいたり・・・。
グロの内部

やや:で、それがまた、韓神新羅(からかみしらぎ)神社なんて言う、思わせぶりな名前の神社の前で行われるので、大陸や朝鮮半島と関わりがあるんじゃないか?って、勘違いしている人も多いと言う、ステキな正月行事です。
お松:無いんですか?
やや:ありません(きっぱり!)。
 近代には、ここだけではなく、周辺の港3箇所以上で行われていたことが判っています。なので、韓神新羅神社だけの行事ではありません。また、五十猛は、スサノオと共に新羅から渡ってきたとされる五十猛命(いそたけるのみこと)にまつわる地名ではありますが、大陸だのモンゴルだのとの関係はありません。もちろん、新羅に似た正月行事がある訳でもなく、つまり・・・。
お松:つまり?
やや:他人のそら似。
お松:・・・。
やや:五十猛の大浦は、古い港。様々なものや情報が、各地から伝えられるところです。『日本書紀』の「一書(あるふみ)」に見える新羅経由でやってきた十猛命の伝承や、オオクニヌシにまつわる「仁摩町大国」地名など、怪しい地域ではありますが、具体的なモノでは、海外とのつながりは見いだせません。
お松:船乗り達が、各地のいろんな伝承を持ち込んで、それが残されたんですね。
大浦の港とグロ

やや:ま、由来は判りませんが、独特の伝統行事です。末永く伝えていただきたいものです。
お松:なんか、実に無難なまとめでした。
  1. 2016/01/16(土) 09:20:14|
  2. 神話の足跡探し
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『出雲国風土記』の「見椋山」は高野寺山?(前編)

 尾道の病院で、いろいろ考えさせられた事もあって、なんだか、何か(仕事)をする意欲もイマイチ湧かなく・・・なんか天気も良いし・・・山寺が呼んでる気もして・・・。さいわい暖冬で雪もないし、行っちゃえ!
 ってことで、前から行ってみたかった平田の高野寺(たかのじ)へ向かってみました。本体は麓に降り、すでに廃寺となっていますが、山中にはいくつかの堂宇が残り、地元の人が大切に祀っているのだそうです。友人に聞けば、「レーダーのある山ですよ。車で上がれるそうですよ。」とのこと。では!お気軽に出かけちゃいました。
レーダーのある山

 とりあえずの目的地は、出雲市野石谷町の摺木山 (すなぎやま)です。
 島根県古代文化センターが刊行した『解説出雲国風土記』によれば、『出雲国風土記』の「盾縫(たてぬい)郡」条に記される「見椋山(みくらやま)」がこの摺木山なんだとか、風土記には「郡家の西北七里のところにある」と記され、また、都宇(つ)川の水源とも書かれている山です。
 一方、出雲国風土記研究の第一人者である加藤義成氏は、「見椋山」を「高野寺山」と呼んでいます。つまり、風土記の見椋山は高野寺のある山で、それが現在の摺木山なのだと読めそうです。『出雲国風土記』比定地と山寺を同時に楽しめるってことで・・・。

 ん?・・・ところが、行ってみると、どうも様子がおかしい。
 地元の方々が高野寺登山道の案内板を出しているところは、摺木山のレーダー施設の遙か東。地図で見ると摺木山よりも東に二つめのピークが高野寺のある山のようです。あれ?・・・もしかして、摺木山と高野寺山は違う山では・・・。
 そう言えば、『出雲国風土記』からすると、見椋山は現在の久多見川(都宇(つ)川)の水源でなければおかしいのですが、その水源は、摺木山の麓よりは遙かに東。つまり・・・摺木山は、加藤義成氏の言う高野寺山ではなく、そもそも見椋山も摺木山ではない可能性が高いのか?

 このあたりで、すでに当初のもくろみは大外れなんですが、とにかく、車を駐められそうな場所を探し、高野寺参道を登ります・・・。登り始めてすぐに
一丁地蔵

 いわゆる一丁地蔵ですね。山寺の参道に、およそ一丁(約100m)毎に置かれ、〇丁と書かれているので、お寺への距離の目安にもなります。
 さて、あと何丁かな?・・・げ、四丁?ってことは、400mもこの山道を登るのか?車で行けるはずじゃなかったのか(←それはレーダー施設)。
車横付け装備のため、ジーンズにスニーカー、コートを引っかけショルダーバッグ。山道を歩ける格好ではありませんが、今更引き返せないので、何とか前に進みます。
高野寺参道

 やがて、山寺のシンボル、山林修行の守り神、不動明王様が出迎えてくださいました。このあたりで、すでに疲れ果てているのですが、ようやく高野寺本体にたどり着いたようです。
不動明王さま

・・・疲れ切ったので、今日はこの辺りで・・・。
お松:どわ~?何ですか?この終わり方は?
やや:ま、長くなったので、次回・次回。
  1. 2016/01/11(月) 17:35:05|
  2. 山寺で修行中
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坂の町に行ってきた

 新年が開けてずいぶんになるというのに、相変わらずくそ忙しい日々を送っておりますが・・・。そんなところに、たまたま同じ大学を出ただけの知り合いのオヤジから、どうでもいい電話が。
お松:「学生時代の先輩から大変な電話がかかってきた。」と、申しております。
やや:オヤジが言うには、私の昔の天敵が病気なんだとか。
お松:「先輩がおっしゃるには、古い友人が病気なんだとか。」と、申しております。
やや:入院して弱っているから、この際やっちゃえって頼まれて。
お松:「入院して気弱になってるから、見舞いに行ってくれと頼まれた。」と、申しております。
やや:・・・。

 「俺なんかが行ったって、逆効果ですぜっ!」とは言ったんですが、どうしても行ってくれ、と言われたので・・・。
 ・・・と、言う訳で、行ってきました坂の町!尾道。
 でも、何時間もかけて行って、ヤツの見舞いだけと言うのもばかばかしいので、ちょっとだけ観光を。
坂の町

お松:尾道と言えば、大林宣彦監督の尾道三部作!
やや:知世ちゃんですね。ふ・古いなぁ。
お松:「転校生」・・・じゃない。「時かけ」か?え~と、もう一つは・・・?
やや:「さびしんぼう」です。

西國寺の三重塔

 と・とにかく、今回は、突然行くことになったので予習とか一切無し。例によって、カーナビにすら頼らない「行きあたりばったりジャーニー」です。
お松:カーナビは頼らないんじゃなくって、古すぎて頼れないからですよね(←やや:やかましい!)。

天寧寺の三重塔

やや:尾道は、瀬戸内海に面した急斜面に、古いお寺や家並みが重なりあう町です。山陰と異なる、柔らかな冬晴れの瀬戸内は、屋根めでには最高です(←お松:普通は、「町歩き」とかいいます。「屋根めで」はごくごく特殊な趣味の方のみの専門用語かと・・・)。

民家の屋根

 尾道には、中世まで遡る重要文化財の三重塔が2基も残されており、何はともあれ、それをダッシュで見学。
 歴史的建造物以外にも、ただの民家さえ魅力的な屋根が続きます。
 いずれまた、ついでではなく、じっくり町歩き&屋根めでしたいところです。


尾道のネコ
「いつまでも油売ってないで、さっさと見舞いに行けよぉ。」
「は・はい、すみません。すぐに向かいます・・・。」
  1. 2016/01/10(日) 10:49:45|
  2. 屋根フェチの小部屋
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新年開けましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます
熊野大社御本殿

お松:旧年中は、このおかしなブログにおつきあいいただいて、ホント~にありがとうございました。
やや:本年も、時々ペースで更新していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
鑽火殿

画像は、松江市八雲町にある出雲一宮の熊野大社の御本殿と(さんかでん:火切り杵と火切り臼が納められ、毎年10月15日に出雲大社が借りに来ると言う、不思議な神事を行う)でした。
  1. 2016/01/01(金) 07:18:51|
  2. お庭でひとりごと
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プロフィール

やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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