木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

や、八百杉が~

 隠岐の島町下西にある玉若酢命(タマワカスミコト)神社は隠岐国の総社で、現在の建築は、寛政5(1794)年の造営とされています。
 御本殿は隠岐造りと呼ばれる大社造りに似た切り妻妻入り高床建築ですが、正面扉が中央にあり、屋根が茅葺きとなっています。やはり茅葺き屋根の随身門などと共に重要文化財に指定されています。
玉若酢命神社の御本殿

 その境内には、天然記念物にも指定されている巨大な杉の大木があります。以前にも紹介しましたが、若狭国で人魚の肉を喰らわされて不老不死になってしまった尼が植えた杉とされ、「800年後に見に来る」と言い残されたことから八百杉(やおすぎ)と呼ばれています。一般には、樹齢1,000年とか2,000年とかとされていますが、まぁ、それはそれとして、樹高35mもの巨大な杉です。
八百杉折れた

 今年4月9日土曜日の13時50分頃・・・この日はずいぶん風の強い日で、大時化のため、フェリーも欠航していたのですが・・・強風により、高さ25m付近の巨大な枝が折れて落ちました。直前に多くの参拝者がいたという情報もありますが、さいわい被害は無く、直下にある随身門も無傷でしたが・・・あぶない、あぶない。
随身門と八百杉

 折れた枝を見ると、中には穴が空いており、かなり危ない状態。これからも同様のことが起きる可能性が高いのですが・・・。寛政年間造営の建築などとは比べものにならないほど古くから隠岐を見守ってきた杉の巨木です。神社と共に、末永く残って欲しいものです。
玉若酢命神社の扁額

お松:寛政年間と言えば、寛政の改革!享保・寛政・天保・・・江戸時代の三大改革ですね。
やや:覚える必要性をまったく感じないムダな歴史の代表ですな(←お松:そんな、身も蓋もない)。
 この頃、ヨーロッパではフランス革命の真っ最中!
お松:ベルサイユのバラですね。
♪バラは、バラはぁ、気高く咲いてぇ~
やや:「アンドレ~」「お~、ラスカル!」
お松:ちが~う!なんでアライグマ?
やや:え~・・・北方ではロシアが日本近海まで測量を行い、伊能忠敬が日本地図作成の旅に出発している頃でした。
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  1. 2016/05/28(土) 11:01:09|
  2. 神話の足跡探し
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西郷の町並み

 ちょっくら、隠岐の島へ行ってきました。
お松:いいなぁ?
やや:だから、仕事だってばぁ。
 隠岐の島は、島根半島から約60kmほど北の日本海に浮かぶ島々です。近い方の3つの島を中心に島前(どうぜん)、遠い方の大きな島を島後(どうご)と呼び、平成の大合併で、島後全部が隠岐の島町となりました。で、ちょっくら隠岐の島町に出張して来ましたのでそのついでに・・・。
西郷港を船が出る

 さて、明治25(1892)年頃の夏休みのことと思われますが、後に小泉八雲と名乗ることになるラフカディオ・ハーンは、念願だった隠岐諸島を旅しています。日本大好きのちょっと変わった外国人は、境港(鳥取県境港市)から西郷(島根県隠岐の島町)へ向かう船の乗り心地は最悪だったようで、「悪魔の手によって建造された船」(←お松:どんな船なんだ~?)なんだとこか、めちゃくちゃに記していますが、西郷の旅館については、「西日本でこれ以上心地よい思いをしたところはない」と言うほどくつろいだようです。
西郷の蔵

 幕末から明治~大正であれば、物流の中心は和船を使用した水運です。船は、近世前半までは、隣の港から隣の港へと、次々と近接する港を経て移動した訳ですが、近世後半になると遠乗り・・・沖合を高速でぶっ飛ばす水運が盛んになります。そうは言っても帆船ですので、風向きが悪いときには、どこかの港に停泊して、風待ちを船の修繕をすることになるのですが、そうした機能で、日本海の沖合に位置する隠岐の島は栄えたそうです。
蔵の窓

 隠岐の島町の西郷港周辺には、さすがに明治までは遡らないのでしょうが、意外なほど古い建物が残されており、北前船で栄えた頃の雰囲気を現代に伝えています。
西郷の水路

 さて、結局、ラフカディオ・ハーンは、この年の夏休み中を隠岐諸島のすべての島々を巡ってすごし、隠岐諸島を満喫したようです。
 明治25年頃の隠岐諸島には、新聞も電報も無かったのだそうですが、ハーンが泊まった旅館では、フライドポテト付きのビフテキを注文できたとか。でも、ハーンは異常なほどの日本大好き外国人で、西洋文化にまったく毒されていない日本の田舎も求めて隠岐に来ているので、フライドポテト付きビフテキに、むしろがっかりしたという、変な外国人でした。

おまけ
 隠岐の島にも松江の来待石で作られた狛ワンコが、たくさんがんばっています。
西郷の狛ワンコ「

お松:小泉八雲のことを、「変な外国人」って呼んでますが、変と言えば、このややさんも、まったく負けてません。変です。かなり変です。隠岐の島まで行って、屋根を見て回ってます。
やや:やかましい!
  1. 2016/05/24(火) 19:57:06|
  2. 小泉さんの散歩道
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武蔵坊弁慶ふたたび!

 出雲路幸(いずもじさい)神社は安来市西松井町にあり、現在の社殿は、飯梨川の堤防のすぐ下に位置しています。『雲陽誌』には、道祖神を祀り、京都市上京区にある同名の神社と「同社なり」と記されています。
出雲路幸神社本殿

 実は、この神社には、ほとんど興味は無かったのですが、たまたま弁慶がいたもので・・・。
お松:わ・は・は。それじゃぁ何のことか、判りませんぜ!
やや:前々回、武蔵坊弁慶のお話で紹介した長海神社は、この安来市からは、中海の対岸(←お松:真ん中に大根島がありますが・・・)にあります。弁慶の母は、良縁を求めて、紀伊国からやってきて、この出雲路幸神社にお参りし、長海神社あたりで弁慶を授かったとされているんです。
 出雲路幸神社の現在の御祭神は猿田彦(サルタヒコ)命と天鈿女(アメノウズメ)命とされています。猿田彦命は天孫降臨の時に道案内をした神様。つまり道祖神であり、塞の神(さいのかみ:村境などに祀られ、疫病や災いが入ってくるのを防ぐ)です。また、天孫降臨の際に、この神の名を尋ねたのがアメノウズメ。アメノウズメと言えば、天照大神の天の岩戸事件の際にストリップで盛り上げた(←お松:また、そんな直球で!)お方です。
お松:御祭神は判りましたが、それが武蔵坊弁慶の母とどう言う関係があるんですか?
やや:まったくわからん(←お松:だはは?)。「幸」と言う字が使われていますが、一般的には「賽」神社です。外からの厄災を防ぐ神様ではありますが、猿田彦とアメノウズメの関係から、男女のその・・・ぶっちゃけて言えば・・・
お松:ぶっちゃけなくてよい~!
やや:まぁ、そう言うことに御利益のある神様でもあります。なので、弁慶の母が子を授かると言うストーリーはアリなのですが、そもそも弁慶の母がよくわかりません。なんで、紀伊から出雲まで来ちゃうの?
お松:だからぁ、ややさんが、弁慶を架空の人物だと思ってるから・・・。弁慶とその母が実在すれば、すべてのつじつまが合うんでしょ?
やや:・・・でも、出雲路幸神社の参道脇には、弁慶腰掛け岩とかまであって・・・。
出雲路幸神社参道脇の弁慶の腰掛け岩

お松:だから、本当に腰掛けたのでは?
やや:う~ん。近世以前は、この神社が現在地でなかったのにですか?
お松:・・・う~ん。

おまけ
出雲路幸神社の狛ワンコ

そのあたりの事情をご存じないでしょうか?
やや:犬のおまわりさんは答えてくれない。
お松:同じオチを、使い回し?
  1. 2016/05/21(土) 18:30:14|
  2. 神話の足跡探し
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ピンクの病院

 この目にも鮮やかなピンクの建物は、松江市末次町にある浅野小児科医院です。昨年、約100年ぶりに修理され、ピカピカのピンクになりました。2つ宛並べられた、凝った窓のデザイン。建物の左右には鱗模様のうだつ。2階のバルコニー風の窓を支える玄関ポーチはドリス式・・・つまりギリシャ建築風の石柱を立てた、美しくもムダな意匠になっています(←お松:また、余計なことを!)。
 個人的には、建築史の方々は、瓦に興味が無くって、屋根を全部、ピカピカの新しい瓦に葺き替えられたのが気に入りませんが、・・・本来は出雲地方に特徴的な左桟瓦が載っていたはずですが(←お松:そんなモノを気にしているのはややさんだけです!)、まぁ、それはそれとして・・・。
浅野小児科医院

 この建物は、大正元(1912)年の建築で、いわゆる擬洋風建築。日本の大工さんの伝統的テクニックを駆使し、西洋風に造られた建物です。松江市内では白亜の洋館!興雲閣がよく知られていますが、興雲閣ができたのが明治36(1903)年ですので、そのわずか9年後の建築です。この手の擬洋風建築は、興雲閣のような公共施設の他は、銀行や病院が多かったようですね。
浅野小児科医院の表札

 この前の道は、小さい頃から何度も通った記憶があり、もう少し白い印象の建物でしたが、修理に伴う調査で、ピンク色に塗られていたことが判明し、塗り直されたものです。小児科のお医者さんなので、かわいらしい色にされていたようです。
 この建物は、2007年に登録有形文化財に登録され、明治~大正の世の中イケイケだった頃の雰囲気を現代に伝えています。100年ちょっと前のかわいい建物が残されているだけでも楽しいのですが、それ以上にすばらしいのが、この建物・・・現役バリバリです!今も小児科医院としてフル稼働中。撮影時にも、子どもの元気な泣き声が聞こえていましたよ。

お松:いや、元気じゃないでしょ。どっか悪くって泣いてるんでしょ?小児科だよ?。
  1. 2016/05/14(土) 16:50:09|
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武蔵坊弁慶のお話

今日は、灌仏会・・・つまり、仏教界のクリスマスです。
お松:ク・クリスマスって事はないでしょう?
やや:・・・4月8日は、日本ではお釈迦様が生まれた日とされ、出雲地方のお寺では、月遅れの5月8日に灌仏会が行われることが多いようです。

 と、言う訳で、今日は灌仏会ともお釈迦様とも無関係に、武蔵坊弁慶のお話です。
お松:武蔵坊弁慶と言えば
 ♪京の五条の橋の上~!牛若丸と運命の出会い。源平の合戦で源義経を助け、平泉で義経を守って壮絶な最期!
やや:でも、実在の人物ではないかも・・・。
お松:そ、そっからですか?
やや:でも、なぜか、出雲地方にはその弁慶にまつわる伝説が点々とあります。
お松:知ってます!鰐淵寺の釣り鐘は、武蔵坊弁慶が大山寺から一夜にして持ってきたんですよね。
やや:さらに、松江市本庄町あたりは弁慶の生まれた場所だと言われています。
お松:え~?
長見神社

やや:いわく。弁慶の母である「弁吉(?)」は紀州熊野の生まれだったとか。でも結婚相手に恵まれず、出雲路幸神社(安来市?)にお参りしたところ、島根郡の長海(現在の松江市長海町?)に住めば子を授かると言う託宣を受け、やがて仁平元(1151)年に生まれたのが弁慶だったとか。で、子どもの頃の弁慶は、手がつけられない暴れん坊で、この島に閉じ込められたのだとか。
弁慶島

 ちなみに、病床の母から最後に聞いたのが、自らの出生の話で、それを記した『弁慶願文』が、長見神社に伝えられているのだとか・・・。しかも、当然、非公開です。
長見神社の狛ワンコ

お松:お母さんの名前や生まれた年までわかっていて、その『弁慶願文』?が残っているのなら、結構実話じゃないですか?
やや:う~ん。貴族や高僧、有力武将の師弟や、すでに当時の有名人だったらともかく、後に有名になるかもしれない普通の人の記録が残っているはずは・・・。
お松:じゃぁ、どうして出雲に武蔵坊弁慶伝説が?
やや:わかりません・・・。まぁ、そう言った伝説が伝えられていると言うお話でした。
お松:今日はマザーズディ。弁慶の母の話に、牛若丸と言えば母、常磐御前。母の日の話と言う事でまとめてみました。
やや:は・は・は・・・。

おまけ
 長海神社の参道の灯籠の台座。まさに「雨だれ石を穿つ」!
長見神社の灯籠。

 灯籠には天保3(1832)年と書かれていますから、180年ほど前。天保年間と言えば、いよいよ幕末が近づいてくる頃。中国ではアヘン戦争の直前で、大阪では天保山を作っています。
お松:なんだ、そりゃ?
  1. 2016/05/08(日) 18:05:32|
  2. 神話の足跡探し
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橘泉堂

 松江市内を歩いていると、意外に古いものが残っていたりします。松江大橋から東京橋(ひがしきょう橋!とうきょう橋ではない)方面へ歩くと、このお店は・・・。
橘泉堂

お松:末次本町?古いお店があるんですね。時々通るところですが、こんなお店の存在は気付きませんでした。
やや:お店の正面上には「橘泉堂」の扁額が揚げられており、本来は橘泉堂(きっせんどう)だったようですが、山口卯兵衛薬局です。現在も漢方薬の販売を続けておられるようです。が、なんと!安永元(1772)年の創業と伝えられており、・・・って事は、250年近くも続く老舗薬局です。もちろん、瓦葺き2階建ての建築が、18世紀まで遡る訳ではありませんが・・・。
お松:18世紀と言われてもピンとこないんですが、江戸時代の・・・。
やや:年表を開いてみますと・・・え~、田沼意次が老中になった年ですね。前年に杉田玄白が『解体新書』の翻訳を開始しています。世界的には、アメリカが独立戦争を開始する直前です。
お松:やっぱり、ピンとこない頃ですね。で、その薬局がなんなんですか?
やや:やっと本題に戻った。
 後に小泉八雲と名乗る事になるLafcadio Hearnが松江中学の英語教師として招かれたのが明治23(1890)年8月です。それから、約1年3ヶ月の間、松江に滞在しています。その後に『知られぬ日本の面影』や『怪談』を発表しています。
お松:そう言えば、小泉八雲ネタは昨年4月頃に突然カテゴリを作って始めたかと思ったら、あっという間にネタ切れで、その後は止めちゃったかと思ったんですが、久々の八雲ネタ?(←やや:うるさ~い!)
 え~っと。小泉八雲はわずか1年3ヶ月の松江滞在中に頻繁に引っ越しを繰り返したんですよね。最初が大橋川沿いの富田旅館。次が・・・。
やや:次が、宍道湖岸の折原家。現在の皆美館の隣あたりです。最後が、現在「小泉八雲旧居」として公開されている根岸家です。
お松:富田旅館のあった場所は、この薬局のすぐ近くですね。
やや:富田旅館時代だったかどうかは定かではありませんが、Lafcadio Hearnが、この薬局で売られていたビールがお気に入りで、時々女中さんに買いに行かせていたのだとか。この建物は、もしかしたら、Lafcadio Hearnがビールを買いに行かせていた頃の建築が残っている可能性があるんです。
お松:へぇ~。松江の人も知らないような話じゃないですか?
やや:Lafcadio Hearnは、日本食も日本酒も大好きで、日本の食事には問題なかったようですが、時々、こう言ったものを欲しがったみたいですね。
お松:山口薬局のビール?どんな味だったのでしょう?
やや:イギリスではエールビール・・・常温で飲むビールがありますが、おそらく、そんなのでは?冷蔵庫がないので、常温で飲んでいたんだと思います。
 私は、キンキンに冷えたヤツが良いですがね。
お松:ところで、今日の画像はこれだけ?おまけとか無いの?
やや:・・・すんません。
  1. 2016/05/01(日) 06:20:31|
  2. 小泉さんの散歩道
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やや

Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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