え~、前回は、松江市八雲町東岩坂の星上山(453m)の山頂に、『出雲国風土記』にも記される那富乃夜神社がある、と言う話をしましたが・・・。
お松:「星上山の山頂に那富乃夜神社がある」と言う話だけで、ホントーにそれだけで終わってびっくりしましたが・・・。
やや:だはは・・・。その那富乃夜神社の隣、星上山山頂近くには星上寺があります。
星上寺は、現在は曹洞宗で、通常は無住となっていますが、元々は真言宗。つまり、山林修行の山寺です。実は星上山の麓には仁王門があり、つまり全山が星上寺だったわけです。
那富乃夜神社の北側斜面をわずかに下ったところに、清水が湧き出し、升を組んで水をためた施設があります。
星上寺の縁起によれば、聖武天皇の御世(8世紀前半!?)、漁師が暴風雨で遭難しかかった時、星の光が山を照らしたので、その方角に向かったら、なんとか助かったのだとか。不思議に思った漁師がその山へ向かうと、池があり、水面に観音様の姿が現れた言う・・・。
お松:な、なんか、微妙に聞いたことがあるような・・・。
やや:石見銀山が発見された伝説は、博多の豪商が日本海を航海中に山が光って銀行脈を発見したと・・・。石見銀山清水寺の縁起で、やはり観音様です。
お松:観音様って、時々、光るんですね。
やや:・・・。石見銀山清水寺は天台宗、この星上寺は真言宗ではありますが、同じ密教で本尊は観音様です。密教の中にそういったテキストがあるのかもしれませんね(←お松:また、話をつまんなくする・・・)。
ところで、松江市忌部町に忌部神社と言うお社がありますが、そこに『忌部総社神宮寺縁起』と言う神社に併設された神宮寺の縁起が伝わっています。その養和元(1181)年2月条には、「当時の国司の施政に怒り、国司屋敷を襲撃した」とする記事があり、その襲撃した僧兵に来待岩屋寺などと共に「岩坂星神山四十坊」という記載が見えます。
お松:ってことは、12世紀・・・平安時代の終わり頃に、この星上寺には四十坊も僧坊があって、僧兵がいたって事ですか?
やや:残念ながら、この『忌部神社神宮寺縁起』は、誇張や脚色が多く、資料的な信憑性は低いとされていますので、ここから読み取れる事実は、12世紀後半に、星上寺があって、僧坊がいくつかあった。・・・までしか言えないのですが・・・。その後、星上寺は盛衰を繰り返し、昭和23年に発生した火災により全山焼失。古い仏像や建物は残されていません。
お松:まあ、それにしても少なくとも平安時代までは遡る、由緒ある古い山寺だと言うことは判るんですね。でも、観音様が光って、漁師が助かるというのは、もっと海に近い山での伝説の方がしっくりしますよね。
やや:山の形がきれいな三角形で、目印になりやすいこともあるのでしょうが・・・。『雲陽誌』(享保2(1717)年)には、那富乃夜社の事ですが、「妙見・八幡を同社に祭る」とあります。妙見とは「北辰」つまり北極星や北斗七星の信仰ですね。
お松:お、星?星上山の星上寺の星?
やや:星の指し示す方角が北。遭難寸前の漁師が星に導かれ、正しい方角を知ったと・・・。一方、密教の修行者たちにとっては、いかに山林修行中とはいえ、水は欠かせません。山頂近くにわき水のある山は山林修行にも最適の山。山林修行に妙見信仰。何となく繋がりましたね。
お松:現在は、スターパーク星上山。平安時代から続く妙見信仰は、意外な形で引き継がれて・・・。
やや:・・・そんなはずないだろ。
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- 2015/11/08(日) 17:57:35|
- 山寺で修行中
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| コメント:2
古いお寺さん、保存するのが大変なんですね。
戦争も有ったでしょうに。昭和23年に発生した火災は
戦後の事、惜しい事をしましたね。
- 2015/11/09(月) 02:47:40 |
- URL |
- 太巻きおばば #-
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おはようございます。
ただでさえ木造建築は火に弱いのに、登るのも大変な山の上ですので、火事に遭ったらひとたまりもなかったのでしょう。あらためて火の用心です。
コメントをありがとうございました。
- 2015/11/09(月) 07:11:42 |
- URL |
- やや #YgKj3tPc
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