しつこく大社弥山周辺のお話です。その麓のお社、遥堪(ようかん)町にある阿須伎(あずき)神社です。阿式(あじき)谷の出口に鎮座していて、阿式川の左岸に位置しますが、元々は右岸にあったんだとか。

で、電線だらけ・・・。
御祭神は阿遅須伎高日子根命(アジスキタカヒコネノミコト)。阿遅須伎高日子根命は大穴持(オオナムチ)命の御子神で、『古事記』では、死者と間違われて葬儀の場をこわしてしまう神様ですが、『出雲国風土記』仁多郡条では、顎髭がしっかり生えるまで泣き叫び続けて言葉を話さなかった神様。それが、言葉を話せるようになったきっかけが、三澤池(三津池説も)の地名伝承や神賀詞奏上の儀礼の場となっています。一方、楯縫郡条では、多伎都比古命(滝の神様?)の父神(后が、多伎都比古の母神と言う回りくどい記載)として記載されています。そもそもは阿遅須伎(アジスキ:すんげ~よく切れる鋤と言う意味)なので、農耕の神様のはずですが・・・。

大社弥山は、『出雲国風土記』では出雲郡の出雲御埼山なので、仁多郡とは関係がありません。ですが、出雲郡条には「阿受伎社、同阿受伎社、同社、同社・・・」と、40社も同名の社が列記されています。大社弥山周辺に40社もあった阿受伎社は、古くから合祀が進み、現在では阿須伎神社となっているようです。

どうも、キーワードは「水」のようです。仁多郡三澤郷では三澤池(三津池)の、盾縫郡では滝の神様の父神。出雲郡では大社弥山の麓の40社で、どうやら水の湧き出すところに祀られる神様ではないかと。
お松:阿式谷の阿須伎神社。御祭神は阿受須伎高日子根命。微妙に違っているんですね。
やや:『三代実録』では「阿式社」ですね。いずれにしろアジスキの意味が通じなくなるんじゃないかと不安になりますが、現在の阿須伎神社の扁額は
お松:お~!阿史須伎(アジスキ)神社なんですね!
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- 2023/03/19(日) 08:52:18|
- 神話の足跡探し
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天気も良いので、先週に引き続き大社弥山です。
お松:2週間続けて大社弥山に登山?どんだけ好きなんですか?
やや:右の高いお山が弥山。左の山が八雲山。出雲大社の背後のお山です。で、行きたいのは、その間の薬師谷の奥にある坊床です。
お松:ぼ~とこ?ぼ~とこにはなにがあるんですか?
やや:う~ん。強者共かどうかは判りませんが、夢の跡とでも言いましょうか・・・。
お松:山中の広場?
やや:では、こんなのは?
お松:石垣?建物があるのでしょうか?
やや:神光寺跡と呼ばれる遺跡です。
神光寺は現在は出雲市大社町杵築南にある曹洞宗のお寺ですが、元々は、修理免本郷の現在の子安寺付近にあったのだとか。さらにその前が、薬師谷の坊床。つまりここにあったんだそうです。
お松:何度も移転している?
やや:寺伝に依れば、子安寺付近にあった伽藍は慶安元年(1648)に豪雨のために伽藍が崩壊して現在地に移転再興されているのですが、そもそもは薬師谷の奥深い坊床に永仁年中(13世紀末頃)に建てられたお寺だったんだそうです。それが、天正年中(16世紀終わり頃)の豪雨災害により伽藍が崩壊し、子安寺付近に降りてきて移転再興されていたんだとか。
お松:2度も豪雨災害にあって、少しづつ下の方へ降りてきたんですね。
やや:でぇ、
子安寺西側で、昭和39年から40年にかけて、旧大社町が採土工事を行った際に室町時代から江戸初期の陶磁器類がまとまって出土したほか、中世の石塔なんかが発見されているんです。
お松:室町と言う事は天正よりも前?つまり、坊床にあったころの遺物が発見されたってことですか?
やや:それだけじゃなくて、なんと、金銅製の釈迦誕生物が発見されているんです。これが白鳳時代のものとされていて
お松:宮城野親方?
やや:白鵬ではなく、白鳳時代!7世紀末頃です。
お松:それって古代?寺伝より古いじゃないですか?
やや:釈迦誕生物は小さな仏様。動産なのでお寺間を動いていることは十分に考えられるんですが、でも、古代から続くお寺があったのかもしれないので、
お松:それで現地を見に行ってきたと?で、なにかわかりましたか?
やや:特に何も・・・。
お松:お地蔵様は知っているかもしれない。
- 2023/03/11(土) 18:20:31|
- 山寺で修行中
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春だ~!急にぽかぽかし始め、梅もしっかり咲き始めた山陰地方です。ってことで山へ行けねば。・・・そうは言っても1,000m級の山にはまだしっかり雪が残っていますので、大山はおろか三瓶山もまだ早そう。でもそろそろ登りたい!そういう訳で今シーズンの修行始めは大社弥山です。

見る方向によって山の形が違う。こっちから見るとすげ~な。ここ登るの?って感じですが、大社弥山です。
登り始めてすぐに、鼻水がどば~っと。で、なんか鼻呼吸ができない。ぐるじ~ぃ。この時期の好天にこれはもしやアレか?いや、やまいは気から。余計なことは考えない、考えない・・・。
弥山は、出雲大社のすぐ横にそびえるお山。『出雲国風土記』には「出雲御埼山」と言う記載がありますが、それによると、その山の高さは三百六十丈(1,000m弱?)。倍ぐらいサバ読んでますね。ま、それについては標高ではなく、登山道の長さではないかと言う説もあるのですが、問題はその範囲です。現代人は山を高さでしか表現しませんが、古代の人々は山に領域があったようで、ここから山!と言うラインがあったのかもしれませんが、この出雲御埼山の周りは九十六里一百六十五歩あると書かれています。古代の一里は約400mと言われていますので、ってことは約38km!広っ!

これは平田から出雲大社までの山塊全てが出雲御埼山で、つまり、旅伏山から大社弥山まで全部、ぜ~んぶまとめて出雲御埼山としていたようです。この範囲は、実は『出雲国風土記』の冒頭で、八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌノミコト)が志羅紀の三崎の余りを童女の胸鋤で切り取って三本撚りの綱を掛けて引っ張ってきて縫い付けた土地(←お松:わざと面倒くさい言い方をしていますが、要するに国引き神話の最初に引っ張ってきた部分ということ)そのものです。

下界は春霞ですね。こうしてみると、地球は丸いかな?
お松:で?花粉症は?平気だったんですか?
やや:だから、そう言うことは考えないって言ってるだろ~?なんで言うのさ!
- 2023/03/05(日) 16:50:21|
- 山寺で修行中
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雨がしっかり降っている出雲地方です。先週はちょっとだけ雪も降りましたが、さすがにもう積もることはないだろうってことで、愛車シャア専用に積んでいた角スコとチェーンを降ろしました。さらに昨夜からは、我が家の周辺に生息する猫科の猛獣が猛烈に鳴き始めたので(←お松:すげ~迷惑!うるさい!)、野生動物は春の訪れをはっきりと感じているようです。
さて、画像は先週の松江市宍道町東来待あたり。

古代の官道は、現代で言えば高速道路であり、通信施設。なにか事件があれば、いち早く都へ伝え、また、都からの様々な文書が地方へと送られる通信回線みたいもの。なので、けっこうな幅の直線道路が全国各地に配されていたはずです。この場所も古代山陰道の推定線なのですが、そこに生えてる謎の石の写真を撮ってきました。
お松:何気な~く生えてますね。お地蔵さんっぽいですが、お地蔵さんではない?何も彫られてないんですね。
やや:この場所、小字も「立石」なんだそうで、この石からついた小字であることは間違いありません。小字の元になっているのに、何の言われも残っていないってことは、だいぶ古い。江戸時代とか、そんな生やさしいもんじゃなくて、おそらく古代山陰道の道標だったのでは?
お松:ってことは1200年も前から、ここに、何気な~く、何気な~く立ってたんでしょうか?
やや:おそらく、1200年前から、何気な~く、何気な~く立ってたんでしょう。
- 2023/02/18(土) 18:05:04|
- プチ巨石ブーム
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なんだか急に石がみたくなって(←お松:何で石?)、出かけたのは松江市玉湯町柳井。旧玉湯町と旧宍道町来待の境近くなので、この辺りは凝灰質砂岩、いわゆる来待石の産地です。来待石は柔らかく、とっても加工がしやすい石なので、古くから・・・古墳時代から各種石製品に使用されています。現在でも出雲石灯籠がよく知られ、波乗りウサギでもおなじみの石です。
お松:で、どんな石を見に行ったんでしょう?
やや:これです。
お松:丸い石?でか!自然のもの?
やや:丸く見えますが、下の石とは繋がっているんだそうで、柔らかい凝灰質砂岩が風雨によって削られて、こんな形に残っちゃった石です。

上に石碑が2本生えていますが、地元の皆さんで大事にされていて、3月には神事も行われているんだそうです。
お松:こんな立派な石が身近にあれば、当然、祀られますよねぇ。
やや:ちなみにこの岩の名前は弁慶岩。
お松:武蔵坊弁慶?
やや:なぜか出雲地方には・・・松江市本庄町あたりを中心に弁慶にまつわる伝説が点々と知られています。
この石は、弁慶の下駄の歯の間に詰まっていたのを、宍道湖の反対側から蹴っ飛ばして落ちてきたとか、宍道湖の反対側に向かって石を蹴った時に割れ残った石だったとか、とにかく、弁慶が蹴っ飛ばしてみたって、ことになっています。
お松:弁慶っすご・・・。
- 2023/02/11(土) 17:55:36|
- プチ巨石ブーム
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