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木を見て庭を見ず

出雲・石見を中心に、歴史的なお庭と屋根と神社仏閣を見て回って、ひとりごとです。

お松さんとくだらない会話

 神在月(世間の神無月、八百万の神々が出雲に集まって縁結びの会議を行う?)も、終わり、冬を迎えた出雲地方です。冷たい雨が降ってます。
 この異常に忙しかった夏が過ぎ、その腹いせ・・・気分転換に隠岐と九州を突っ走ったところで、・・・なんだか滞って。
お松:燃え尽き症候群?
やや:って程でも無いですが、寒いこともあって、なんか、どこにも行く気にもなれず。
お松:そうは言っても、休日にゴロゴロしてるのもどうかと・・・。

華蔵寺の参道

やや:しょうが無いので、ご近所の華蔵寺です。
 以前なら、ほいほい登った石段も、なんだか辛い。

参道の杖

お松:つらいって時に、杖が一本あると、さいわいらしいですよ。
やや:はぁ?
お松:辛いって言う漢字の上の方に、杖を一本置いてみると、ね、幸い。

地蔵堂の屋根

やや:あぁ、そう言うことね。
 ゴロゴロしすぎて、頭もなまりきってますね。あちこちくたびれています。何かせねば・・・と、思いつつ・・・。
 ここは一発、忘年会でもすっか?

不動明王様

お松:もぉ~。叱ってやってください。
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  1. 2018/12/17(月) 16:43:13|
  2. お松との会話
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新羅は見えたか?・・・まだ行くか

 え~、太宰府です。

お松:え、え~!隠岐に続いて今度は九州?どんだけ行ってるンですか?
やや:う~、申し訳ありません。これが最後です。もうしません。
お松:本当に反省してくださいね。これが最後ですよ。
やや:は、はい、すみません。・・・なんか、おかしい・・・。

太宰府政庁跡から見た四王寺山

 とにかく太宰府です。奈良時代に遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれ、九州一円の政治の中心であったと同時に、大陸への窓口だった太宰府政庁跡です。
 で、目的地は、その背後。太宰府を守る大野城。現在の四王寺山です。
お松:やっぱり、山だよ・・・。
やや:天智天皇二(663)年、朝鮮半島にあった百済救援に向かった日本の大軍は、白村江で唐・新羅連合軍に惨敗してしまいます。それまで、隙あらば半島進出を狙っていた日本でしたが、ここに来て、逆に唐・新羅による侵略の脅威に直面してしまいます。
 そういう訳で、敗戦の翌年、天智天皇三(664)年には太宰府の博多湾側に総延長1.2kmにもなる水城(みずき)を、太宰府背後の四王寺山に大野城を築きます。これと前後して、通信システムである烽(とぶひ:狼煙を上げ、非常事態を伝える)や防人(さきもり)を整備し、唐・新羅の侵略に備えたのですが・・・とりあえず、新羅は攻めてきませんでした。
 しかし、その後、再び新羅との関係が悪化すると、軍事的な備えだけでは不十分として、
宝亀五(774)年、大野城の鼓峰・・・つまり四王寺山の最高所(410m)に塑像の四天王像が置かれ、新羅を調伏しようとしました。
お松:あ?それって、最近なんだか山登りしている理由の、四天王像がなんとかって言う?
やや:そうなんです。その件は、約100年後、貞観九(867)年の話なのですが、命令の中に見える「高顕淨地」とか、内容がほぼ同じなんです。つまり、この太宰府の四王寺をモデルに貞観九年の下知が出されたのは間違いない。一方、明確な違いは?と言うと、・・・貞観九年は図像、太宰府四王寺は塑像と言う点ですね。・・・と言う訳で、元祖の方を見に行ってきたと。
お松:本家四王寺?元祖四王寺?(←やや:どうでもいいです。)

四王寺山の毘沙門堂

やや:政庁から険しい山道を登ること2時間近く。四王寺山には、四つのピークがあり、それぞれに四天王の名が振られていますが、最高所は毘沙門天。奈良・平安時代の鼓峰です。
 その鼓峰には毘沙門堂が祀られています。
 それよりも、目的は、新羅が見えるかどうか?

四王寺山鼓峰から見た新羅・・・博多湾でした

 ・・・もちろん新羅は見えませんが、眼前には博多湾。その先は日本海。太宰府を守る四天王像は、ここから新羅ににらみをきかせていたんですね。

お松:画面の左上に大きなゴミが写って・・・。
やや:違います。福岡空港を飛び立ったばかりの飛行機です。日本一便利な福岡空港は、画面右端の中程の緑の部分。ここから飛行機がバンバン飛び立っていきます。右端上の方が金印を出土した志賀島。
お松:漢倭那国王?山陰地方の海を見ててもそこまでは感じませんが、この風景は、世界に繋がっていることをはっきり感じる気がしますね。
  1. 2018/11/24(土) 17:26:25|
  2. 山寺で修行中
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隠岐逃亡ツアーの最終回

 それは太古のロマンの告げるこの海最大の生物・・・

乳房杉

なのかどうかは知りませんが、隠岐の島は杉の産地!島内には巨大で不思議な形の杉の大木があちこちにあります。で、これは通称「乳房杉」。

杉は水分の豊富な土地に育つのだそうで、・・・実は、隠岐に行くのに11月まで待った理由はそれです。湿度の高い山は、マムシにとっても好環境。大満寺山は、マムシだらけの山としても有名だったもので・・・。
さて、江戸時代後期からは、北前船が沖乗りを始めます。江戸前期以前の船は、沿岸を航行し港毎に停泊していたのですが、江戸後期からは沖合をぶっ飛ばして航海(沖乗り!)ができるようになり、海運が高速化します。そこで注目されたのが隠岐諸島。沖合をぶっ飛ばすとは言っても悪天候や補給、船の修理などで停泊地は必要ですので、隠岐西郷港は北前船の寄港地として栄えることになります。
 その時に、役に立ったのが隠岐に自生する大量の杉!船の修繕に杉が使用され、また、良質の杉が隠岐から各地へ積み出されていきました。杉を加工する時には、当然皮を剥がします。残された大量の杉皮は、隠岐では建物の屋根材に使用されたようです。隠岐の古写真を見ると、多くの民家は屋根に杉皮を葺き、石を置いていました。そんな建物がそこら中にあったようです。
 もちろん今ではそうした建物は(文化財として残されているもの以外は)ほぼありません。・・・が、船小屋に残っていました。

布施の船小屋

 布施の船小屋は、移築され再建されたものなので、けっして昔からのものではないのですが、それでも雰囲気は良く伝えています。
 杉皮はこけら葺き(板葺き)や桧皮葺きなどと違い、すぐに反ってしまいます。そこで、竹の桟を這わせ、石で押さえています。

杉板葺き石置屋根

 移築・再建とは言え、今でも立派な現役。漁師さんの大切な船を守っています。
船小屋の籠網

 と言う訳で、ストレス発散隠岐ツアー!海はきれいだし、魚は美味いし、マムシは出なかったし、隠岐最高!

 歩いた、歩いた・・・そんでもって、あり得ないほどの筋肉痛と共に、フェリーでぐったりして帰ります。

おまけ
牛のお尻と大満寺山。

大満寺山と牛のお尻

お松:これ、隠岐の景色ですか?島の風景とは思えませんね。牛はともかく・・・。
  1. 2018/11/16(金) 18:14:36|
  2. 屋根フェチの小部屋
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隠岐で修行中の続き

 隠岐の最高峰、大満寺山607mです。

大満寺山

前回の続き・・・。
 中腹にあった大満寺の遺跡(?)を過ぎると一丁地蔵も無くなり、道も一段とハードでデンジャラスになります。それでも1時間ほど、必死で重力に逆らって体重を地球の外側へと引っ張り上げていくと、やっとこさの山頂です。

大満寺山の山頂から西を見る

この時すでに、四天王像安置の寺ではなさそうと言う印象を持ってはいたのですが、ま、一応、西の方を眺めてみます。

西ノ島の先に・・・新羅は見えたか

 正面に見える島影は島前の西ノ島。その向こうにも海が続いて見えます。朝鮮半島はともかく、四天王像を置くには良い眺望ですね。気分的には新羅は見えたか?

西郷、隠岐高校、そして国分尼寺・国分寺

 南の方を見ると、眼下には西郷の港がよく見えます。・・・見えている学校は隠岐高校。その右手には隠岐国分寺尼寺跡と隠岐国分寺があるはずです。
 国分寺あたりからの距離感は・・・ちと、遠いか?
 う~ん。隠岐国分寺の僧侶がここまで登ってきて四天王法を修法するとは思えん・・・。やはり、隠岐では山中での四天王法は行われていなかったのかなぁ・・・。


 おまけ
このロープは信じて良いのか?

 ものすご~く急な登山道には、親切にもロープが垂らしてあるのですが・・・。いつも思うけれど、この手のロープって信用しても大丈夫?

 ・・・とは、言っても、この急傾斜では頼らざるを得ないし・・・。
  1. 2018/11/10(土) 21:07:58|
  2. 山寺で修行中
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海外逃亡!隠岐で修行中

 この夏の激しく働いた腹いせに、どが~んと(1日だけ)休みを取って海外逃亡(←お松:やたらと大げさで、物騒ですが)!

海外逃亡!

 やってきたのは隠岐の島町です。
お松:仕事では時々行っているようですが、プライベートでは?
やや:何年ぶりかな?
 ま、とにかく、港でレンタカーを借りて林道の奥へ。その後は山道を一丁地蔵に導かれてしばらく登ります(←お松:隠岐まで行っておいて、やっぱり山・・・)。

大満寺の一丁地蔵

 向かったのは、隠岐諸島の最高峰、大満寺山の中腹にある大満寺です。が・・・。

曹洞宗大満寺本堂

お松:こ、これは・・・。
やや:曹洞宗大満寺は中世に守護佐々木氏が、甲尾城の鬼門を封じるために建てたと伝わるお寺です。隠岐では、明治初年の隠岐騒動に端を発する廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、仏教寺院は壊滅的な被害を受けました。その後に立派に再興されたはずなのに・・・、今はご覧のとおり・・・。
 実は、例の貞観九年の四天王像を置いた寺の可能性はないのかな?と思って行ってみたのですが・・・、四天王像安置の寺の諸条件からは外れそうです。平安時代に書かれた『延喜式』には、伯耆・出雲・長門の三国に四天王修法料の規定があるのですが、同時に四天王が置かれたはずの隠岐と石見にはその規定がありません。山上での四天王法は修法していないのか・・・。

大満寺の祠

 境内の外れには、小さな祠も・・・。
 実は、この祠、『増補隠州記』に、大満寺山の山頂に祠があった記載があり、その祠かもしれません。そうなると、貞観九年の四天王法ではなく、その前年の貞観八年の詔による新羅封じの祈祷を行った神社の名残だったのかも・・・。

大満寺の観音さんたち

 大満寺の境内には、近代の観音像や羅漢像、不動明王の石造が集められていました。
お松:でも、この人達は何も教えてくれない・・・。
やや:まったくです。
お松:で、この後は?
やや:もちろん、大満寺山頂へ登り・・・。この話はまた次回と言う事で。
お松:そんな予告をして大丈夫か?
  1. 2018/11/09(金) 18:12:48|
  2. 山寺で修行中
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Author:やや
 神社仏閣と古い町並み、そして何より屋根とお庭が大好きな“やっぱり屋根が好き”と申しますが、相棒の“お松”に、あり得ないぐらい略されて、“やや”と呼ばれています。

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